5月の中尾先生絵画鑑賞入門講座は、バルテュス!

プロトマニアのアートの柱、中尾陽一先生の「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」は、柱が太〜くなって来た気がします。

 

私はアートを通して、私ってなんだろう? 絶対に変わらないものって何だろう?(自己の本質)を考えたり、聴いたり、探ってきたのですが、つくる人ではないアートの仕事は飽きない商いであるがゆえ、この世の欲望が渦巻く世界。『売れない画商』っていう素敵なあだ名(笑)をもらうくらいの私には、仕事としてはまったく向いていなかったとも言えます。でも、様々な出会いはこのアートを通して起こって来ました。

 

プロトマニアで中尾先生の講座を毎月聴いて来て、芸術というのはまさに真理を求める人々が命がけでそれを表現しようとしているものだということ、あらためてよくわかりました。芸術作品は、自分と向き合うツールです。

 

中尾先生から、自己の本質とは?とか、悟りやら真我やら非二元、なんて言葉は聞いた事がありません。私がそれについておしゃべりすると、「あぁ〜・・・はい」くらい頷いてくれるけど、中尾先生は取りたててそんなことを話題にはしません。でも、この「誰も教えてくれなかった絵画」の見方は、固定した見方を揺さぶり、気づかない信念や思考に「あれ?」と気づかせてくれる。そんなことをに興味がある人には新たなアングルを与え、興味が全くない人たちには、知らないうちに視野が広がって、頭も心も余分な緊張が弛んでゆったりしている、そんな講座です。

 

 

 

さて、中尾先生からのご案内です。

 

5月28日(日)のプロトマニア・アート・レクチャーのご案内です。

20世紀最後の巨匠 バルテュス

前回の《ボナールとナビ派》の講座内容が、プロトマニアのHPに、ライブ感たっぷりに楽しく紹介されています。よろしければご覧下さい。

 

ボナールとナビ派!〜中尾陽一先生の絵画鑑賞入門講座

 

 

さて、次回はバルテュスをとりあげます。

バルテュス、変わった名前ですね!ただし、これ通称です。

本名はバルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ。

こちらは、なんともエキゾチックで高貴な出自を彷彿とさせる名前ですが、それもそのはずポーランド貴族の血を引く家系だそうです。東欧系の貴族と聞いてわたしは勝手にドラキュラ伯爵を連想したりします。この名前の響き、ゾクゾクっとしませんか?

名前からして不思議感満載な匂いがするバルテュスですが、作風もこれまた異色中の異色。まず思い浮かぶのが室内で扇情的なポーズをとる少女像ですが、その脇には我関せずと独特な雰囲気を醸し出す猫がいたりします。猫はパリのシーフード・レストランの壁を飾った絵ではユーモラスな主人公になっています。そうかと思うとまったく別人が描いたような光に満ちた静謐な雰囲気の風景画があったりもします。

バルテュスは1908年にパリで生まれ2001年にスイスで亡くなっています。まさしく20世紀を生きた画家でしたが、20世紀美術のどの流派にも属することなく、独自の具象表現を追求しました。その創作態度や秘密めいた私生活から「孤高の天才画家」とも称されます。ピカソはバルテュスの芸術を高く評価して「20世紀最後の巨匠」と呼びました。

その一方で、バルテュスは少女のエロティシズムというセンセーショナルな画題から道徳的な批判や誤解に曝されてもきました。2014年に東京都美術館ほかで開催された没後初の大回顧展のサブタイトルは『称賛と誤解だらけの20世紀最後の巨匠』でした。バルテュスは好き嫌いがはっきる分かれる画家です。

次回のアート・レクチャーでは好き嫌いを越えて、はたしてバルテュスはピカソの言うように『20世紀最後の巨匠』なのかを、みなさんとごいっしょに感じ考えてみたいと思います。

 

 

美しい日々

 

猫と裸婦

 

地中海の猫

 

*美術のことを知っていても知らなくても、ただ楽しもう!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

第37回 バルテュス

5月28日(日)13時から15時30分

お申し込みは、中尾流と書き添えて こちらからどうぞ→

 

芸術は気づきを喚起する

 

セザンヌは、形はないけれど常にここにある体験の現実を、ぎりぎりのところで形として救い上げた作品を残しました。それは、パルメニデス、ルーミー、クリシュナメノンなどが言葉で表したものと同じです。

 

芸術家のやり方は知覚を通じてのものであり、哲学者は思考を通じて、帰依者は愛を通じて同じことをします。

 

セザンヌは、「一本のニンジン、新たに観察されたニンジンが革命を起こす、その時がやってきている」と言いました。

 

ありふれたつまらないものであっても、そのものの中心、つまり、その体験の中心に触れることで、これまでに見たことのないものを発見し、この発見が、自己、他者、世界についての見方を変換する、とセザンヌは言ったのです。この真の革命の前では、他のいかなる革命も意味を持ちません。

 

芸術家は、この気づきを表現し、喚起する何か、つまり、観た者を直接この体験的理解に導くような何かをつくり出そうとします。芸術家は、革命の引き金を引こうとするのです。

 

芸術家は、その現実を喚起する体験のビジョンを改めて現出させようと、観る者をその現実に引き込む力を込めた作品をつくり出そうと試みるのです。

 

フランス人画家、ピエール・ボナールがつかもうとしていたこともこれと同じです。ボナールは、思考が世界を、知覚する主体と知覚される客体、そしてこの客体を「数限りない物事」に分割する前の、時間を超えた知覚の瞬間をつかもうとしました。

 

ボナールにはそのビジョンはどのように見えたのでしょう? 彼が見たのは、色彩に溢れ、濃密で、調和した、活力とともに踊る世界でした。彼の世界では、バスタブの縁や古びた床板にも、頬の曲線や手の表情と同じだけの注意が払われました。同じだけの愛が注がれたのです。

 

中略

 

 

芸術家の体と心(マインド)は、自然が、それ自体をそれ自体へと翻訳するための媒体です。自然が、それ自体のアイデンティティを探し、現実化するための媒体なのです。このことをセザンヌは次のように表現しました。「私は景色の主観的意識になり、そして、私の絵はその客観的意識になる」と。

 

 

『プレザンス 安らぎと幸福の技術』 ルパート・スパイラ著 Part 5 自然の鏡 P213〜より抜粋

真の芸術には、突抜け、溶解させる性質があり、それは、視覚、聴覚、味覚、触覚、臭覚、といった知覚の見かけ上の要素を導引して、よくある二元的な見方が純粋体験へと崩壊するのを早めるのです。

 

 

ボナールとナビ派!〜中尾陽一先生の絵画鑑賞入門講座

ナビ派

*「オルセーのナビ派展」三菱一号館美術館  入口

 

気持ちよい4月第四日曜日は、中尾陽一先生の、

 

『これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座』

ボナールとナビ派

 

ナビ派というと、流れとしておよそ「ゴーギャンとナビ派」という組み合わせになるらしいのですが、ここは中尾流のアングルから、ボナールを中心にナビ派の作品をたっぷり検証、味わってみました。

 

まずは、前回の講座中で参加者の感想の中に名前が出た日本の画家について、先生からプチインフォメーションがありました。こんな風に中尾先生は、その回のテーマ以外でも講義の中で話題になったことを、宿題のように(笑)持ち帰っては、みなさんの世界の枠を拡げるようにフォローして下さいます。

 

さて、そして本題。

ナビ派のナ「ナビ」は、ヘブライ語で「予言者」の意味。新しい絵画、未来の絵を描こうという若手画家たちの意気込みが感じられます。

例によって、ナビ派の画家の作品を大まかにスライドで流し見て行きます。

 

ボナール、ヴュイヤール、ドニ・・・

 

「どうですか? まずは見た感じでナビ派の絵、どんな印象ですか?」

 

 

竹久夢二に似ている、平面的、服の模様が日本的、装飾的・・・

 

など、皆さんからひと言ずつ。上の作品は「日本かぶれのナビ」とあだ名されたボナールの作品。確かに細長い画面や洋服の模様など、日本的。そして女性のなよっとした曲線や顔立ちが竹久夢二の女性像を思い起こさせますね。

 

ナビ派は、自然を再現しようとした印象派の後のゴーギャンの教えを汲んで、絵の中の意味や物語性を超えた色彩表現を特色とし、題材には日常の風景や、フランス語のアンティーム(親密な、私的な…)に表される室内、そしてその裏側の神秘を描いている作品があります。

「このヴュイヤールの「ベッドにて」は、深い安らぎも感じれば死も感じますね」

 

*記念すべき3年目の36回から、ビデオ撮影記録開始(気づくのが遅かったかも)

 

参加者から

 

「どうもこのナビ派はどこに価値があるのか、皆目わかりません。みなさんの感想を聴いてみたいと思っています」

 

という意見も。ナビ派の絵はカラフルで華やか、ごくフツウの日常風景が描かれていて、絵として確かにきれいです。でも「で、それで?」と言いたくなる。その絵はいったい何が言いたいのかがハッキリ伝わってくるタイプではないのですね。西洋画には定義がある、という定義にあてはまらないというご感想。

 

いぃ〜んです! そういう正直なご意見、ご感想はそのままブラボーです。

 

それに対して中尾先生、

 

「わからないところが、傑作、なんです〜」

 

ニヤリとつぶやく・・・。

 

ナビ派の絵は、人物も模様もすべて同じ価値、並列なのです。実際、絵の印象は平面的です。ゴーギャンからは、印象派のように絵の具を混ぜて表現するのではなく、「黄色に見えるなら黄色を塗りなさい、影が青く見えるなら青で」と生のままの絵の具を使うように教えられたナビ派の画家たち。説明よりも前に、色でその絵が成立しています。どちらかというと、具象画でありながら抽象画のよう。

説明的に絵を描くよりも、本質を描こうと試みたのが、ナビ派の人々でした。

 

ナビ派について、気づいた特色を参加者ひとりずつ、あげていく。

 

先生とのやりとり。

 

いろいろ出ました。

 

ナビ派ってある意味おおざっぱ? ちょっとホッとするよね〜、好きかも!

 

なんてお声も。

 

日常的に見えて非日常。どこかに違和感、不安感、神秘性があるのもナビ派。

 

先生からとっても面白いことを教わりました。

絵を描いている時に、その絵を上下ひっくり返して見てみるんですって。

「描く時には無意識に、これは山でこれは空で・・と当り前に思い込んで描いてしまっている。それを、ひっくり返して見るんです。ひっくり返して見ると、色の秩序のバランスがとれているかどうかが分かる。良い絵は、意味を取り払っても、抽象的絵画として成立しているんですよ」

 

首をひねってひっくり返ってみたら、・・・なるほどね。

 

私たちの脳は、目に見えるものに意味を探し、ストーリーを持たせるのが癖ですが、モーリス・ドニの言葉のように「絵画が軍馬や裸婦や何らかの逸話である前に、本質的に、一定の秩序のもとに集められた色彩で覆われた平坦な表面である」として見ることは、当り前を疑って見直してみる、面白い遊び、ゲームになるかもしれません。

これこそ、プロトマニアの中尾流的!!

 

*オヤツとお茶と先生のプリント

 

記念すべき3年目の第36回も、皆さまの活発で自由な意見や感想、中尾先生の名ガイドで無事終了。今日も白熱。みなさま、おつかれさまでした。

 

さて、寺子屋世話人は、ちょうど開催中の「オルセーのナビ派展」に行きました。会場では、中尾流で聴いたこと、皆さんの感想や印象とは違うことが解説ボードに書かれていたりします。でもね、それがおもしろいところ。美術館の学芸員の方が解説することは、ひとつの解説、見方。唯一正しいわけではありません。ふぅん、そうなんだ〜と横目で見たり、なるほどと納得したりしながら、あらためて作品を味わって来ました。実際の絵を見る事が出来るのは、幸運ですね。

 

 

こんなワイワイガヤガヤの中尾流は、5月から4年目に突入します。5月の画家は「バルテュス」です。ご案内の準備ができましたら、またジャーナルと中尾さんのコーナーでご紹介します。ぜひ一度遊びにいらして下さいね!

 

帰りは夕焼け。

 

 

*美術のことを知っていても知らなくても、ただ楽しもう!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

第37回 バルテュス

5月28日(日)13時から15時30分

 

中尾先生の絵画鑑賞講座『ボナールとナビ派』、まもなく。

 

中尾先生の「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」は、4月で第36回目。ってことはもう3年続いているということで、それはそれは素晴らしいことだと実感するわけです。

 

参加することで、

 

 

何か資格が取れる、わけでもなく、

 

現世利益につながるノウハウもの、でもなく、

 

これに参加すると救われます〜!、とかでもない、

 

 

この中尾流。

 

思い返せば、最初はごく少人数の回もあり、寺子屋準備係は内心ヒヤヒヤしながら山あり谷あり、今は毎回なんとも良い雰囲気です。この講座は淡々と穏やかに3年間、プロトマニアを支えてくれました。

 

中尾先生、ありがとうございます〜♡

皆さま、ありがとうございます〜♡♡

 

この講座は、誰さんよりも知識が多いとか、たくさん絵を見ているとか、美術に詳しいことが美点にはならず、優越感にもならないところがミソ(笑)。

美点になるとしたら、全体のハーモニーを感じてその場に楽しい発言をしたり、中尾先生の大いなるクマサンっぷりを笑っちゃうってこと、かな。

 

中尾先生の「ボナールとナビ派」のお申し込みは、中尾流4月と書き添えてこちらからどうぞ〜 →

 

 

 

中尾陽一先生、4月は『ボナールとナビ派』!

ナビ派中尾流

プロトマニアのアートレクチャー、中尾先生から次回のご案内が届きました。

先生は忙しい中、いつもこうして次回の内容を丁寧にテキストにして送ってくださるのです。運営者としてはありがたい限りです〜♡

4月のテーマ、ナビ派は幸運にもただいま丸の内の三菱一号館美術館で展覧会開催中。生の題材、実物の作品を見てレクチャーに臨むもよし、中尾流のアプローチでナビ派がどんなものかを知ってから、展覧会に行くもよし。フランスはオルセー美術館からやって来た作品の数々を、これまで誰も教えてくれなかった角度から楽しんで下さいね! お待ちしています。

 

アートは楽し♪ Love Art !

 

 

 

ボナール「庭の女性たち」 1890-91年

 

♪〜♪〜♪

第36回《〜これまで誰も教えてくれなかった〜『絵画鑑賞入門講座』》

 

ボナールとナビ派

 

毎月1回開催のアート・レクチャーですが、次回はついに36回目になります。ということはまるまる3年やってきたわけですね。私としても大変感慨深いものがあります。そして3年前の初回から参加されて、この3年間皆勤賞に近い方が何人もいらっしゃいます。ほんとうにありがたく思います。今後、皆様とともに、ますます面白く刺激的な講座にして行きたいと決意を新たにしております。

前回の《シャセリオー》の講座内容が、プロトマニアのHPにライブ感たっぷりに楽しく紹介されています。よろしければ、ご高覧下さい。

 

https://protomania3.wordpress.com/2017/03/28/シャセリオー!〜中尾陽一先生の絵画鑑賞入門講/

 

さて、記念すべき第36回は《ボナールとナビ派》をとりあげます。

折しも、東京丸の内の三菱一号館美術館では《オルセーのナビ派展》が開催中です。ところで、この展覧会は『本邦初のナビ派展』だそうです。私はナビ派展というのは過去何度も開催されていたように思っていましたが、初回だったとは!!!

そう言えば、私の中でナビ派の展覧会として記憶に残っているのは、『ゴーギャンとナビ派の仲間たち』とか『ゴーギャンとル・プルデュの画家たち展』とか『ゴーギャンとポン=タヴァン派展』だったような・・・要するにゴーギャンを冠にした展覧会でした。納得です!やっぱりゴーギャンはインパクトが強くて訴求力がありますものね。実際、今回のナビ派展でも展覧会の冒頭を飾るのはゴーギャンの有名な《黄色いキリスト》です。

では、私がなぜ今回のレクチャータイトルを《ゴーギャンとナビ派》ではなく、《ボナールとナビ派》にしたか?それは、《ゴーギャンとナビ派》ではどうしても個性の強い巨星ゴーギャンが主役になって、ナビ派がすっ飛んでしまうからです。ナビの始まりはゴーギャンにあったかもしれませんが、ナビ派を理解するにはゴーギャンの軛を取っ払った方がいいと考えたわけです。とは言え、《ナビ派》だけでは作品のイメージがわきにくいのでナビ派の中で最もナビらしく最もポピュラーなボナールを強調した次第です。

ナビ派を鑑賞する際のキーワードにアンチーム(仏語、intime:親密感のある)という言葉がよく使われます。ナビ派の絵の主題は家族やありふれた日常の情景など身近なものが多く、画面からも何ともいえない親近感が漂ってきます。これを形容して「アンチームな」と言いますが、この穏やかなアンチームな雰囲気の中に、平面性だとか装飾性だとかの絵画の革新性が微妙に織り込まれているのがナビ派の特徴です。

このナビ派の穏やかな革新性を実感していただくのが次回《ボナールとナビ派》の目標です。みなさん、ふるってご参加ください!

 

※ この講座は絵の知識を競うものではありません。絵を見る力を養うための講座です。

※ いわゆる美術史の流れを知らなくても、その場で向き合った絵をどう見るか、

そしてそれをどう自分の言葉にするかを「わいわいがやがや」の寺子屋スタイル

で学びます。 お気軽にご参加ください。

 

マイヨール「女性の横顔」 1896年

 

*美術のことを知っていても知らなくても楽しい!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

第36回 ボナールとナビ派

4月23日(日)13時から15時30分

お申し込みはこちらから→

 

 

 

 

シャセリオー!〜中尾陽一先生の絵画鑑賞入門講座。

日曜日は、中尾陽一さんの「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」でした。雨降りの寒い日曜日、美術鑑賞っていいものです。

 

今回の画家は、ただいま上野の国立西洋美術館で開催中「シャセリオー展」のテオドール・シャセリオー。しつこいようですが、この画家は日本ではちっとも知られていません。19世紀の画家です。この中尾さん講座の予告反応では、知られざる画家への皆さんの期待度がけっこう高かったような気がします。まずは絵がどことなく魅力的だしね。

カバリュス嬢の肖像(1848年)

 

中尾流の素敵なところは、美術史を知らなくても、絵をたった今見たばかりでも、何か感じること印象などを言葉にしたり、分析してみたりするところ、そしてそれが誰でも思わずできちゃうところ。

 

とはいえ、ちゃんと美術史的な流れや位置も押さえます。シャセリオーの先生は、新古典主義の画家、アングルです。そんな流れから、シャセリオーは、新古典主義に次ぐ「ロマン主義の異才」と展覧会パンフレットのキャッチコピーにあります。

 

 

「これ、有名ですよね。」

 

アングルの「泉」 これが新古典主義。

 

シャセリオーは、この絵の先生門下に入りました。なんと11歳にして!・・・ということは、かなりの才能、技量があったということですね。

 

 

「これは16歳の時に描いた自画像です」

 

シャセリオー自画像

 

まずは、新古典主義とロマン主義の代表的な画家たちの作品をスライドで見ながら、その作風の違いを検討していきます。新古典主義の代表がアングルだとするとロマン主義は、ドラクロワ。

 

 

これがドラクロワ。「サルダナバールの死」。絵の中にいっぱいドラマが描かれていて画面から激情が伝わってくるようです。うねうねしていまねぇ。(ちなみに上方でなんとなくエラそうに横たわっているのが王様、サルダナバールです。これから死ぬにあたって、自分が寵愛したものをみ〜んな道連れにして処分する!ところ。自分が愛でたものを敵に渡してなるものか〜ということですね。わかるようなわからないような・・・汗)

 

「シャセリオーは、新古典主義的な安定感のある画風から、画業後半は(といっても37歳でこの世を去るので、夭逝の画家ですね)ロマン主義的なザワザワ感が現れます。」

 

この「ザワザワ感」という表現は、参加者の方から出た感想で、なるほどです。でも、ちょっとわかるようなわからないような?、かもしれませんね。つまり、新古典主義では、絵はある種の理想に沿って均整の取れた輪郭線で描くことが大切で、安定感を感じます。そして普遍的な美を描く。ひと言で言うと、かたい。でも、ロマン主義は内なる衝動に突き動かされるように描く。形式よりも自分が感じたことを筆にのせ、その場の空気まで伝える。不安感すら呼び起こすのです。リアル、それがザワザワ。つまり、現実を理想化せずとらえ、小綺麗におさまらない躍動感があるのです。

 

 

シャセリオーは、アングル先生の新古典主義的端整さを受け継ぎながら、それではおさまらずにロマン主義的要素を孕み、後の画家たちに繋いでいった存在とも言えるでしょう。

 

「若いうちから成熟した大人の文学者たちと交流し、影響を受けた。技量があるシャセリオーは、文学が題材にするような人間の本質的な情動をも描くことができるのだけれど、それは本人の内的衝動からではない。それ故に少し弱い。その弱さ、繊細さが魅力でもある。」

 

 

「この二つの横たわる裸婦、どうですか?」

 

シャセリオー左、現実味といえば写実主義のクールベ右。

 

クールベは、美化せず現実感いっぱいに裸婦を描いていますねぇ(この脚の角度、ちょっと気取らなさすぎ?笑)。繊細なシャセリオーは、裸婦を神話的要素にのっとって描いています。シャセリオーもちょっと現実的にニンフの脇の下に毛を描いているのですが(モデルが自分の彼女だったから「オレ様のカノジョ印」らしい)、比べるとどことなくお上品でソフトですよね。

 

この情感豊かなところがシャセリオーの魅力のひとつなんでしょうね〜

 

中尾先生の講義は白熱して、皆さんとの対話が尽きませんでした。これから展覧会に行く方にも、既に見て来て受講された方にも、内容が濃くて熱い中尾流でした。

 

中尾さんはいつもと変わらず、パソコンとちょびっと格闘しながら「あれ?」とか「おっ!」とかつぶやきながらクマさんっぷりを発揮。この中尾先生のテンポというか「間」が、どんな時も全体をゆったり楽しくしていると感じます。

 

本日のオヤツは、

こんな和菓子。抹茶と桜。集中した脳には糖分を。甘いものとお茶で一息。

これがプロトマニアの流儀です。

 

 

アート大好き♡

次回は、これまた丸の内の三菱一号館美術館で開催しているナビ派を取り上げます。お楽しみに!

 

 

*美術のことを知っていても知らなくても楽しい!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

第36回 ボナールとナビ派

4月23日(日)13時から15時30分

お申し込みはこちらから→

 

 

継続は力なり。

 

ふと気がついた、プロトマニアはもうすぐ5年目に入るのです(!)

何処からをスタートと見るかは微妙なのですが、

初めて皆さんをご招待して会を開いた時から数えると、そういうことになります。

 

 

春の妄想からはじまって、夏に急速に具体化して年末にカタチが出来て、

寒い時期をゆっくり超えて次の春にスタートしたプロトマニア。

そうか、もう5年目か。

なんだか不思議。

継続できてよかった、ありがたや。

 

この先もふつうにふつうに一緒にね。

 

 

*とっこさんの「季節ごとの心身調和のための学び」

〜弥生の身体と心を学ぶ〜

3月12日(日) 14時から16時

参加費 5000円(当日受付)

 

 

*空のお茶会〜バーソロミューと共に。

3月19日(日) 14時頃から16時頃まで

参加費は2000円(お茶とおやつ付き)