8月の中尾先生アートレクチャーは、ルソー。

 

8月のプロトマニアのアート・レクチャーは、素朴派の巨匠アンリ・ルソー。なんと中尾流白熱教室は、8月で40回目!!! パチパチパチ〜♪

 

・・・・・・

 

う〜ん、主催者、感慨ひとしおでございます。

中尾さんと出会ったのは、プロトマニアでもフラワーレメディの講座をして下さった、アートと植物のキュレイター遠藤浩子さんがキューピッド。あの頃、いつかこのお二人と何か一緒にやってみたいなぁ〜と。お得意の妄想力で、こんな風に実現しましたよ、ウフフ。

 

この「これまで誰も教えてくれなかった」アートの不思議なチカラが身に付く(♪)中尾さんの講座は、始めたばかりの頃は参加者が4人とか5人の時もあったのです。主催者は先生に申し訳ないな〜と小さくなりながら、それでも先生の熱意と魅力と太っ腹に支えられ、毎回毎回先生と皆さんと一緒に、とにかくまずは楽しんで来ました。

 

今や、プロトマニアのなくてはならないこの講座。いろいろな出会いが繋がって、毎回たくさんのエネルギーと笑顔で賑わう中尾流です。これまで参加して下さった皆さん、いつも参加して下さる皆さん、そして中尾先生、ありがとうございます。

 

 

「アートと暮らそう!なんて、あったり前さ〜♡、な人生を、これからも。

 

 

さてさて、本題です。先生からのご案内をどうぞ。

 

 

第40回《〜これまで誰も教えてくれなかった〜『絵画鑑賞入門講座』》

へたなの?うまいの?   素朴派の巨匠 アンリ・ルソー

 

前回の《ターナーとイギリス風景画(その2)、コンスタブル》の講座内容が、プロトマニアのジャーナルで、ライブ感たっぷりに楽しく紹介されています。よろしければご覧下さい。
https://protomania3.wordpress.com/2017/07/27/7月第39回中尾さんの絵画鑑賞からは、言葉が溢れ/

 

次回の『絵画鑑賞入門講座』はとうとう40回目を迎えますね!(拍手パチパチ)

この記念すべき40回目ではアンリ・ルソーをとりあげます。

 

なぜ、アンリ・ルソー?

 

熱帯の情景を多く描いたルソーは真夏にピッタリ!という発想からの単純なセレクションでしたが、実は私たちの絵画鑑賞力をテストするには絶好の教材です。夏期講習のつもりでお気軽にご参加ください。

 

ルソーはしばしば日曜画家の代表のように言われます。パリ市の税関にずっと努めていて余暇に絵を描いていた素人画家として『税官吏(ドワニエ)ルソー』とも呼ばれています。また、素朴派の巨匠とも言われます。この場合の《素朴派》というのは正規の絵画教育を受けていなくて、技術的に下手くそな画家のイメージです。たしかに彼の絵は一見人体のデッサンが狂っていたり、遠近法がギクシャクしていたり、へんてこりんな印象のものが多いですね。そんなへたくそなイメージですが、でも巨匠と言われます。へたなのに巨匠・・・?なんか変ですね!

 

ルソーはまたピカソやブラックからも高く評価されていました。そして現代絵画への影響も大きいものがあるとも言われます。1844年生まれのルソーは印象派のモネやルノワールとほとんど同世代です。それが近代を通り越して現代絵画への影響というのもなかなかすごいですね!

 

次回は皆さんといっしょに、ルソーの絵はへたなのか?うまいのか?すごいのかすごくないのか?すごいとしたらどこがすごいのか?また日曜画家であるにもかかわらず 同世代の印象派の革新を大幅に追い抜いて現代絵画にも影響を与えているというのは本当なのか?などなどいろいろな観点から話し合いたいと思います。

 

人形を持つ子供(子供の肖像) 1908 年 67x52cm

 

眠れるジプシー女  1897 年 129x200cm

 

 

私は、ルソーの熱帯的な空気感と音のない世界がとても好き。夢と現実は混在どころか共存している。夢も現実も区別のない、ただそのものの子ども時代の感覚がもどります。

中尾先生のクマさん的おおらかさ、常連参加者の皆さんのさりげない優しさ・・・初めて参加してもドキドキせずに楽しめる温かいホスピタリティと、感じたことをドンドン言う爽快感が溢れる中尾流白熱教室です。ぜひ一度、体験してみてくださいね! お申し込みは「中尾流参加」と書き添えて、こちらからどうぞ→

 

 

8月のプロトマニア。

 

8月になりました。東京は梅雨明けして、さぁ夏だ!と思った途端、不安定なお天気続きです。来週の月曜日は暦ではすでに立秋。なんだか目が廻りそうですね。いつもの散歩道にある栗の樹には、もう立派な緑のイガグリが沢山ついています。

 

さて、8月のプロトマニア、まずは  伊東充隆主宰  第1回「青空禅塾」がスタートします。

 

この青空禅塾は、伊東先生が主宰する継続コース『和サンガ東京』の、オープン塾と言って良いのではないかと思います。

 

真我、悟り、自己の本質、非二元を求めたり、探究したり、興味を持って自分なりに学んで来た方、どなたでもぜひ、いらしてくださいね。

この青空禅塾は、知識や情報を超えた手応えのある対話の場になると思います。

 

なんといっても、伊東先生のライブはとにかくサイコ〜(♪)真我に熱く純粋で誠実、丁寧にいつでも変わらずサポートしてくれる伊東先生。一期一会のダイナミックな感触を得られることを請け合います。

 

8月6日(日) 13時から17時まで開催です。

 

 

 

そして、8月27日(日)の午後は、中尾陽主宰『これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座』  

 

8月は、19世紀フランス素朴派の画家・アンリ・ルソーです。その不思議な雰囲気の絵は、皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。ルソーは、日曜画家と称されたようにパリの税関で仕事をしながら余暇に絵を描いていました。ジャングルの中の一場面のような作品やモダンな都市の風景など、どれも空想夢想的。彼は一度もフランスから出たことはなく、エキゾティックで熱帯風の植物や動物は、パリの植物園や動物園を訪れた時にインスパイアされて描いたといいます。ルソーが植物園の見慣れぬ植物たちに囲まれた時「まるで夢の中に入って行くようだ」と述べています。ルソーの絵は、夢と現実が同時にそこにあり、時空を超えて自由です。

・・・と嬉しそうに書く私は、ルソーの作品が醸し出すムードが大好きです。中尾先生、どんな風に中尾流白熱へとリードして下さるかは夏のお楽しみ〜!中尾先生の講義の後は、その画家と仲良しになった気分になります。皆さん、ぜひ一緒にルソーとお近づきになりましょう〜♪

 

夢 1910年 MOMA 所蔵

 

 

さてそして、8月20日(日)の午後は、『空のお茶会〜バーソロミューと共に』

バーソロミューの言葉を本から音読して耳で聴きながら、「私とは何か」を考えたり考えなかったりしているお茶会です。バーソロミューは、スピリチュアル真っ盛りの1990年代に出版されていますが、柔らかなスピリチュアルを「廓然無聖」の非二元へと優しく繋げています。

 

知ることのできる真理はひとつしかありません。それは自分は誰なのかという真理です。苦痛を見たり感じているのは誰なのか。大きく拡がって生きる喜びを感じようと決めるのは誰なのか。車を運転するのは誰なのか。食べたり眠ったり愛したりするのは誰なのか。自分とは誰なのか。自分とは何なのか。これが唯一の問いです。あらゆることのなかで、これが最も確実に知ることのできることです。なぜならそれはすでに起きていることだからです。自分が何をしているとしても、何を感じているとしても、何を考えているとしても、それらが起きているのは ” 大いなる自己 ” が存在するからなのだ、そしてそれらは、 ” 大いなる自己 ” のなかで起きているのだ、ということを忘れないで下さい。

まちがったことは何もありません。正しいこともな何もありません。学ぶべきことも何もありません。見つけるべきことも何もありません。捨てるべきものも何もありません。あなたは ” 大いなるいのち ” であり、” 大いなるいのち ” は神であり、神はすべてです。神の外には何もありません       何もないのです。ですからこのことをいつも念頭において、自由に羽ばたいて下さい。(バーソロミュー3   *P107より)

 

伊東先生やマハラジせんせいからコツコツと学んで来たので、バーソロミューが優しくユーモアを持って私たちを励ましてくれる言葉の中に「私」「自分」「神」「愛」が出て来ても、既知の意味やまとわりついたイメージをひとつずつ解き放ちながら真っ新なことばを受け取ります。

 

廓 然 無 聖

 

不変なる青空へと、ゆっくりのびのび寛ぐ。それが、空のお茶会!

 

 

7月のプロトマニア

 

7月になりました。

今月のメインは中尾さんの絵画鑑賞入門講座、7月23日(日)午後開催。

7月は6月に引き続き、イギリスの画家ターナーの後編です。
ターナーはお上品な風景画が印象的な画家で、描写力は抜群。若い頃にその才能を認められて、一見、順風満帆のキャリアです。でも、途中からターナーが描き始めたのは、目に見えないエネルギーや空気。まるで抽象画のような絵。

 

 

 

 

これ、どうでしょうか? モヤモヤの中に光??、向こうの方にはお城???

 

ターナーはロンドンの下町コヴェント・ガーデンの理髪店の息子。彼が子供の頃に幼い妹が亡くなります。また彼がロイヤル・アカデミーの準会員になった直後に母親が精神病院に収容され、4年後にはそこで亡くなります。ターナーと父親は大変仲がよく、父親はいつのまにかターナーの助手のようなことまでするようになります。ターナーが54歳の時に父親が亡くなりますが、その時まで二人は同居し、気楽な独身男二人の生活を貫きます。と、公にはそうなっていますが、実はターナーは準会員になった24歳の頃から、4人の子供があったセアラ・ダンビーという未亡人と10年間密かに交際して、二人の娘ももうけていたりします。画家仲間では誰も気づかず、いわゆる二重生活を送っていました。そして父親の死後は、彼が以前絵を描きに通っていたマーゲイトという海辺の町の定宿の経営者、未亡人のソフィア・ブースと懇ろになります。結局、彼女がターナーの最後を看取ることになりますが、ターナーは彼女との仲を公にはしていません。71歳の時にはチェルシー地区に借りた小さな家で彼女と暮らし始めましたが、まわりの人々には彼女の名を借りて「ブース提督」と名乗り、高名な画家であることは誰にも明かしていません。彼の絵画同様、非常に謎の多い人生を送りました。

 

この中尾さんからのご案内文を読むと、ターナーという人物自体、かなり面白そうだと思いませんか?
7月は、もうひとりのイギリスの巨匠、コンスタブルと対比しながら謎めいたターナーに迫ります。この後半の講座だけでも楽しめる中尾先生の講座です。

 

絵ってね、見慣れてくると言葉ではない情報がいろいろ見つけられてすごく面白いんですよ。中尾さん講座を何回か受けているうちに、ひとりで美術館や画廊の展覧会に行って絵の前に立った時、たぶん、中尾さんに出会う前の自分とは違う見方をしていることにふと気づくかもしれません。こんな自由で、囲いのない先生はいません。中尾先生は、クマさんっぷりも楽しい〜♪ クマさんっぷりって何かって?それは会ってのお楽しみ。

 

 

そして空のお茶会、7月22日(土)14時頃からです。

 

 

空のお茶会は、私とは何か?何のために生きているのか?・・・そんな哲学的な(♪)問いもあります。

 

どうやったらうまく生きられるのか?幸せになれるのか?孤独でなくなるのか?・・・そんな当り前の想いもある。

 

こんな欠点ばかりの私、ついイライラしちゃって周囲とうまくやれない私、いつも一番注目されていないと不安な私・・・なんていう悩みも、共感し合える。

 

 

空のお茶会では、形而上的問いも日々の暮らしにつきものの問いも、同じように並べて見て、ちょっと俯瞰してみたりできるかもしれないし、ヒントがあるかもしれませんね。リラックスして安心しておしゃべりできる雰囲気が空のお茶会にはあります。

でも専門の先生やセラピストはいないから、勝手にこんがらがりが解けていく(笑)。勝手にっていうことは、自然な流れの中でということですね。

 

ダイジョウブ、だいじょうぶ、ってね。

 

 

 

*美術のことを知っていても知らなくても、ただ楽しもう!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

 

第39回 ターナーとイギリス風景画(その2)

7月23日(日)13時から15時30分

 

 

*私の本質、ハートを頼みに自分で確かめよう〜

 

空のお茶会〜バーソロミューと共に。

 

7月22日(土) 14時頃から16時頃まで

参加費は2000円(お茶とおやつ付き)

 

 

 

中尾流でターナーに迫る、その1。

 

 

中尾さんとイギリスを代表する画家、ターナーを鑑賞しました。

 

 

 

 

いつものように作品をスライドでざっと見て行きます。

ターナーは、1775年生まれで1851年に生涯を終えているのですが、この時代にしては長生き。76年の間に2万点以上の作品を描いて残しています。ちょっとした数ですよね。

 

 

中尾陽一絵画鑑賞入門講座

 

14歳、若くしてロイヤル・アカデミーに入学を許可されたターナーは、20代半ばで既に一流画家と認められました。

自画像を見ると、順風満帆のエリート画家のようですが、実際のターナーは背が低くてわし鼻のずんぐりしたひとだった模様。・・・なぜにこの好男子自画像???

 

 

ターナーと言えば、どんなイメージですか?

 

 

といつものように参加者ひとりひとりに問いかける中尾さん。ターナーに持っているイメージを自由にひと言ずつ。特にない、よく知らない、そんな時は、それでオーケー。

 

 

ターナーは、初期には歴史画を描き、最終的に画業で行き着いたのは、光、そして海のエネルギーを表現する画面。参加者の印象は、広大は風景画と、モヤっとぼんやりした絵というイメージに分かれました。

 

 

 

 

具体的な物を最小限描いてはいますが、何が描いてあるかよりも、ターナーが何を描きたかったが伝わってくるよう。全体が渾然一体となって訴えかけて来る。

 

 

 

 

「ターナーは、自然のエネルギーを描くために、船の柱に身体を縛り付けて何時間も荒海の中でスケッチをしたといいます。」

 

 

 

中尾陽一絵画鑑賞入門講座

この絵は、どんな風に見えますか?

タイトルは、『雨、蒸気、速度』です。そう、雨の中を向こうから汽車が走って来る。スピード感。

 

「五感で感じることを描こうとすると、かたちは消えて光も消えて原初の絵になっていく。それを左脳的にやったのが抽象画ということになるかもしれませんね。」

 

 

ターナーは若くして、目に見える写実的なものは完璧に描けてしまったのですね。描け過ぎてしまったその後どこへ向かうかというと、それが目には見えない海のエネルギーであり、光だったのです。彼の絵は、説明的でない世界へと進んで行きました。

 

 

さてそこで! この中尾流に登場したのは、日本画の長谷川等伯です。

 

 

 

「長谷川等伯に共通するものを感じます」 と中尾先生。

 

 

 

 

気韻生動

 

 

え〜っと・・・せいは、静でしたっけ??

 

中尾流の参加者には博識の方がいらして、たとえ先生が字をうっかり忘れても、すかさず助け舟が出ます(笑)

 

そして、「その絵は、等伯が愛息を亡くした後に描いたもの」とどなたかがおっしゃれば、「それを聞いてあらためてこの絵を見ると、余計に胸に迫るものがありますね」と他の参加者の方の感想。みなさん、知性・感性、豊かで素晴らしい!

 

 

気韻生動、気品が生き生きと立ち上る。等伯の作品は、自然が醸し出すエネルギー、目に見えない風までもが見え、聞こえ、感じられる。

 

ここで中尾先生、みなさんに質問。

 

「(対極にある)若冲と等伯はどちらが好き?」

 

これも面白い質問でした。それぞれに良さがありますよね。

私はどっちも好き〜♪

 

 

共通するものを感じるけれど、

等伯は哲学的で無限に広がる印象、

ターナーは、絵の中にその壮大さを閉じ込めている、その天才性で押し込めている。

なるほど。

 

「ターナーは、西洋画の中ではうるさくない絵ですね。描きたいものの為に全てを省いた。モネにも影響を与えているけれど、このターナーのスタイルの直接的後継者はいません。」

 

 

・・・といったところで、さらにターナーは7月の中尾流で後半へと続きます。

 

後半からでも楽しめる中尾先生の講座です。ぜひご一緒しましょう〜

次回は7月23日(日)です。

 

 

*この日、参加者のお庭からクチナシの花が届きました。

小振りのクチナシから、甘いいい香りがいっぱいに広がります。

あぁ〜しあわせ。ありがとうございました♡

 

 

今日のオヤツは、マドレーヌと、これもディズニーランドのお土産にいただいた、サクサクのラスク、でした。ごちそうさまでした!

 

皆さんがお帰りなった後、後片付けをして帰ります。掃除で身体を動かしながら、頭の中は、先生の名ガイドぶりやみなさんの発言や変化を思い出して、あ〜ホントに今日も楽しかった〜。人の気配が少しずつ消えて、静かになっていくこの時間が私はとても好きでリラックスします。こんな時間を頂けて今日も皆さん、中尾先生、ありがとうございました。

 

 

*美術のことを知っていても知らなくても、ただ楽しもう!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

 

第39回 ターナーとイギリス風景画(その2)

7月23日(日)13時から15時30分

 

 

日曜日は6月の中尾流!〜英国よりターナー登場

 

明後日、日曜日のプロトマニアは、

中尾さんの「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」

 

ターナー

 

ターナーは、18世紀後半から19世紀にかけて活躍した英国ロマン主義の画家。ターナーはロンドンの理髪師の子どもとして生まれたそうです。そのターナーの人生と作品を中尾先生のガイドで見て行きます。

 

 

中尾陽一絵画鑑賞入門講座

 

こんな絵。 落ち着いていますね。

その場の空気とか、湿度とか、光の印象が伝わって来ます。風景画だから具象的だけれど、この絵は何を言っているのか?よりも、まず五感に響いて来るような気がします。

 

中尾陽一絵画鑑賞入門講座

 

何ごとも、万人にフィットすることってなかなかありませんが、この中尾さんの講座の魅力は、お勉強的ではなく、参加していくうちに自然と見る目が、つまり絵を見る時のポイントがそれぞれにできていくこと。そして、知らず知らず美術と仲良しになっていて、しまいには、好きになってしまうこと、だと思います♪

そんな中尾さん白熱教室がフィットした参加者、だんだん増えて来ました。

 

私は美術の世界のはしっこで、つくる人と買う人の間を繋いできましたが、美術館の展覧会で見る作品との関係より、美術と一緒に暮らすような関係を作れたらいいなぁと思って仕事をして来ました。私は今も昔も、作る人でもなければ教える人でもないけれど、どんなきっかけでも、何かのご縁で美術と仲良しになる人が増えていくといいなと思います。

 

 

 

*美術のことを知っていても知らなくても、ただ楽しもう!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

 

第38回 ターナーとイギリス風景画

6月25日(日)13時から15時30分

 

お申し込みは、中尾流と書き添えて こちらからどうぞ→

 

 

 

ビシッと決まらないけど、自然。

 

 

 

不意打ちを喰らった時、たいてい、一瞬ぼーっとしてしまうのです。

気の利いた返事もできず、映画のような決め台詞でカッコ良く反論もできなくて。

 

 

きぃー、あの時こう言えばよかった!! も〜ばかばかばか!!!

またやられた、もぅ全然ダメじゃないか^^^^

 

 

なんてね。後から来るんですよね。思い出してイライラ〜♪

 

でも。

意外とこのアホみたいな、ぼ〜〜〜〜   は、悪くないぞ。

 

 

この、アホ、のままでいるのは実はとても自然なすがた。

 

ただ動きに抗わないでいる。

 

 

ぼーっ、は、最も効率よい自然な在り方かもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バルテュス、中尾流ではこうなる!第37回絵画鑑賞入門講座〜

 

5月最後の日曜日は、

中尾陽一先生の「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」

でした。5月のテーマは、「バルテュス」です。

 

バルテュスは1908年パリ生まれ。ドイツ国籍でポーランド系貴族の家系。両親、兄は画家や小説家という芸術一家に生まれ育ちました。日本では何度か大きな展覧会が開催されています。50代で親子ほど年下の日本人女性と結婚し、その節子夫人は後に画家との生活やライフスタイルなどが注目され、女性誌でかなり記事になっているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 

画家バルテュスは、2014年東京と京都で開催された展覧会のコピーにあるように「賞賛と誤解だらけの」20世紀最後の巨匠と言われています。(バルテュスを巨匠と言ったのは、ピカソだそうです)

 

 

まずはいつものように、スライドでさささ〜〜〜っと作品を流し見ます。

その後で先生から

 

 

「どうですか? どんな印象ですか?」

 

と一人一人に質問。

 

 

 

 

エロティックだけど品がある。人物像は生々しくない描き方だからか下品な印象がない。風景画は光がさらっとして爽やか・・・などなど。

 

 

 

 

バルテュスは少女を描きました。パッサージュ(仏語)、つまり過渡期、移行。少女から成人女性へ変わる危うい妖しい女性美を描きました。パリの画廊でデビューする個展の時には、意図的に少女を描き注目を集めるというセルフプロモーションも。

 

 

 

 

バルテュスの作品は、何が言いたいのか描きたいのかが明確には伝わりません。

例えばこの絵、画面の少女のポーズは造形的な説明ができる、鏡は何を象徴するか? 後ろの暖炉の燃え盛る炎は何を表すか? そしてそこに薪をくべる男は? その不自然なまでの姿勢にはどんな意味があるか?・・・などなど、様々な解釈が生まれ得るのです。

 

 

参加者から、かなり深い意見が飛び出す!

 

 

先生から浅田彰氏が書いた文章が紹介されました。要約すると、バルテュスの絵は

 

倒錯的なポンチ絵   (!!!)

 

であるということ。浅田氏によれば『美術史の流れとして行き着いた抽象表現、その先、抽象から戻った具象絵画は人体表現に帰す。20世紀その中心にいる巨匠は、バルテュス(ロリコン)、F.ベーコン(ゲイ)、L.フロイド(デブ専)・・・』とのことらしいですが、ご興味のある方はこちらから→

 

 

 

というように、バルテュスが描く不思議感に満ちた人物像は、十人十色の受け止め方と感想がありました。でも、先生としてはそこも狙い目だった模様。そして、みなさんから拒絶反応がもっとあるのではないかと予測していらしたそうですが、予想以上にみなさんの絵の見方が広がっている、と。
これも中尾流での知性感性フル稼働の賜!誰もが巨匠と認める画家だけを取り上げないところが、さすが中尾先生です。

 

 

「バルテュスはシャガールやルオーを全く評価しませんでした。なぜならば、作品にテーマを持たせて訴え、語らせる彼らとは違って、バルテュスにとって絵画は、その時その時、描きたい課題を描くことが重要でした。」

 

バルテュス自画像

 

自らを

 

「職人であり修道士である」

 

と言っていたバルテュス。

芸術に対して誠実な人生を送りました。作品について語ることは殆どありませんでしたが、90歳を超えた最晩年に、自身の芸術や思想、自然、人生について語った回想録が出版されました。

 

 

この日は、バルテュスの回想録『バルテュス〜自身を語る』の翻訳者、鳥取絹子さんも参加して下さり、翻訳をしながら実際の作品を見にニューヨークへ行った時のことや、鳥取さんから見たバルテュスの哲学と作品についてお話を聞くことができました。

 

鳥取さんは、フランス語の本の翻訳をはじめ、エッセイなど数々の著作をお持ちです。プロトマニアがイメージする「大人の男の子、女の子」、オリジナルは、この絹子さんの言葉。まさに絹子さんは大人の女の子。知性的で、いたずらっぽくてお転婆、でも周りへの配慮をさりげなく自然にしていらっしゃる大人の女の子です。

 

今回の「バルテュス」は、多様性に満ち満ちた中尾流でした。みなさま、お疲れさまでした!

 

 

 

さてさて、この日のおやつは、オヤツ番長セレクトに加えて、スペシャルプレゼントが届きました。

前回のボナールとナビ派の時に出て来たフランスはブルターニュ地方の町「ポン・タヴァン」。参加者のおひとりが「ここのクッキーおいしいの〜」とおっしゃっていたのですが、なんと!今回その方のお誕生日にフランス人のお友だちからウワサのお菓子が届いたとのこと。(中尾流の話、聴いてたのかしら?)

 

そして、なんたる愛♡、そのお裾分けをこの日持ってきてくださいました!お裾分けというにはゴージャス太っ腹な、ひと缶まるごと!!!

 

 

 

ばば〜ん

 

缶がきれいなので、これは中尾流で確保。

ごちそうさまでした。

 

中尾流は、とってもリラックスした雰囲気で、初めて来ても前からいるように自然にそこに座って、聴いて,見て、発言しちゃうし、みなさんがふつ〜に仲良くなっていて、とにかく素晴らしく緩やかです。

そんな中尾流、次回は6月25日(日)

 

ターナーとイギリス風景画

 

あのゆったりとした絵のターナー。けっこう変人だったというウワサですよ

 

(笑)

 

詳細は近日、中尾流のコーナーでご紹介しますね!
絵が好きでもそうでもなくても楽しいこの寺子屋白熱中尾さん、ぜひ一度遊びにきてください。

 

ね、先生が楽しそうでしょ。

 

 

 

 

5月の中尾先生絵画鑑賞入門講座は、バルテュス!

プロトマニアのアートの柱、中尾陽一先生の「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」は、柱が太〜くなって来た気がします。

 

私はアートを通して、私ってなんだろう? 絶対に変わらないものって何だろう?(自己の本質)を考えたり、聴いたり、探ってきたのですが、つくる人ではないアートの仕事は飽きない商いであるがゆえ、この世の欲望が渦巻く世界。『売れない画商』っていう素敵なあだ名(笑)をもらうくらいの私には、仕事としてはまったく向いていなかったとも言えます。でも、様々な出会いはこのアートを通して起こって来ました。

 

プロトマニアで中尾先生の講座を毎月聴いて来て、芸術というのはまさに真理を求める人々が命がけでそれを表現しようとしているものだということ、あらためてよくわかりました。芸術作品は、自分と向き合うツールです。

 

中尾先生から、自己の本質とは?とか、悟りやら真我やら非二元、なんて言葉は聞いた事がありません。私がそれについておしゃべりすると、「あぁ〜・・・はい」くらい頷いてくれるけど、中尾先生は取りたててそんなことを話題にはしません。でも、この「誰も教えてくれなかった絵画」の見方は、固定した見方を揺さぶり、気づかない信念や思考に「あれ?」と気づかせてくれる。そんなことをに興味がある人には新たなアングルを与え、興味が全くない人たちには、知らないうちに視野が広がって、頭も心も余分な緊張が弛んでゆったりしている、そんな講座です。

 

 

 

さて、中尾先生からのご案内です。

 

5月28日(日)のプロトマニア・アート・レクチャーのご案内です。

20世紀最後の巨匠 バルテュス

前回の《ボナールとナビ派》の講座内容が、プロトマニアのHPに、ライブ感たっぷりに楽しく紹介されています。よろしければご覧下さい。

 

ボナールとナビ派!〜中尾陽一先生の絵画鑑賞入門講座

 

 

さて、次回はバルテュスをとりあげます。

バルテュス、変わった名前ですね!ただし、これ通称です。

本名はバルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ。

こちらは、なんともエキゾチックで高貴な出自を彷彿とさせる名前ですが、それもそのはずポーランド貴族の血を引く家系だそうです。東欧系の貴族と聞いてわたしは勝手にドラキュラ伯爵を連想したりします。この名前の響き、ゾクゾクっとしませんか?

名前からして不思議感満載な匂いがするバルテュスですが、作風もこれまた異色中の異色。まず思い浮かぶのが室内で扇情的なポーズをとる少女像ですが、その脇には我関せずと独特な雰囲気を醸し出す猫がいたりします。猫はパリのシーフード・レストランの壁を飾った絵ではユーモラスな主人公になっています。そうかと思うとまったく別人が描いたような光に満ちた静謐な雰囲気の風景画があったりもします。

バルテュスは1908年にパリで生まれ2001年にスイスで亡くなっています。まさしく20世紀を生きた画家でしたが、20世紀美術のどの流派にも属することなく、独自の具象表現を追求しました。その創作態度や秘密めいた私生活から「孤高の天才画家」とも称されます。ピカソはバルテュスの芸術を高く評価して「20世紀最後の巨匠」と呼びました。

その一方で、バルテュスは少女のエロティシズムというセンセーショナルな画題から道徳的な批判や誤解に曝されてもきました。2014年に東京都美術館ほかで開催された没後初の大回顧展のサブタイトルは『称賛と誤解だらけの20世紀最後の巨匠』でした。バルテュスは好き嫌いがはっきる分かれる画家です。

次回のアート・レクチャーでは好き嫌いを越えて、はたしてバルテュスはピカソの言うように『20世紀最後の巨匠』なのかを、みなさんとごいっしょに感じ考えてみたいと思います。

 

 

美しい日々

 

猫と裸婦

 

地中海の猫

 

*美術のことを知っていても知らなくても、ただ楽しもう!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

第37回 バルテュス

5月28日(日)13時から15時30分

お申し込みは、中尾流と書き添えて こちらからどうぞ→

 

芸術は気づきを喚起する

 

セザンヌは、形はないけれど常にここにある体験の現実を、ぎりぎりのところで形として救い上げた作品を残しました。それは、パルメニデス、ルーミー、クリシュナメノンなどが言葉で表したものと同じです。

 

芸術家のやり方は知覚を通じてのものであり、哲学者は思考を通じて、帰依者は愛を通じて同じことをします。

 

セザンヌは、「一本のニンジン、新たに観察されたニンジンが革命を起こす、その時がやってきている」と言いました。

 

ありふれたつまらないものであっても、そのものの中心、つまり、その体験の中心に触れることで、これまでに見たことのないものを発見し、この発見が、自己、他者、世界についての見方を変換する、とセザンヌは言ったのです。この真の革命の前では、他のいかなる革命も意味を持ちません。

 

芸術家は、この気づきを表現し、喚起する何か、つまり、観た者を直接この体験的理解に導くような何かをつくり出そうとします。芸術家は、革命の引き金を引こうとするのです。

 

芸術家は、その現実を喚起する体験のビジョンを改めて現出させようと、観る者をその現実に引き込む力を込めた作品をつくり出そうと試みるのです。

 

フランス人画家、ピエール・ボナールがつかもうとしていたこともこれと同じです。ボナールは、思考が世界を、知覚する主体と知覚される客体、そしてこの客体を「数限りない物事」に分割する前の、時間を超えた知覚の瞬間をつかもうとしました。

 

ボナールにはそのビジョンはどのように見えたのでしょう? 彼が見たのは、色彩に溢れ、濃密で、調和した、活力とともに踊る世界でした。彼の世界では、バスタブの縁や古びた床板にも、頬の曲線や手の表情と同じだけの注意が払われました。同じだけの愛が注がれたのです。

 

中略

 

 

芸術家の体と心(マインド)は、自然が、それ自体をそれ自体へと翻訳するための媒体です。自然が、それ自体のアイデンティティを探し、現実化するための媒体なのです。このことをセザンヌは次のように表現しました。「私は景色の主観的意識になり、そして、私の絵はその客観的意識になる」と。

 

 

『プレザンス 安らぎと幸福の技術』 ルパート・スパイラ著 Part 5 自然の鏡 P213〜より抜粋

真の芸術には、突抜け、溶解させる性質があり、それは、視覚、聴覚、味覚、触覚、臭覚、といった知覚の見かけ上の要素を導引して、よくある二元的な見方が純粋体験へと崩壊するのを早めるのです。

 

 

ボナールとナビ派!〜中尾陽一先生の絵画鑑賞入門講座

ナビ派

*「オルセーのナビ派展」三菱一号館美術館  入口

 

気持ちよい4月第四日曜日は、中尾陽一先生の、

 

『これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座』

ボナールとナビ派

 

ナビ派というと、流れとしておよそ「ゴーギャンとナビ派」という組み合わせになるらしいのですが、ここは中尾流のアングルから、ボナールを中心にナビ派の作品をたっぷり検証、味わってみました。

 

まずは、前回の講座中で参加者の感想の中に名前が出た日本の画家について、先生からプチインフォメーションがありました。こんな風に中尾先生は、その回のテーマ以外でも講義の中で話題になったことを、宿題のように(笑)持ち帰っては、みなさんの世界の枠を拡げるようにフォローして下さいます。

 

さて、そして本題。

ナビ派のナ「ナビ」は、ヘブライ語で「予言者」の意味。新しい絵画、未来の絵を描こうという若手画家たちの意気込みが感じられます。

例によって、ナビ派の画家の作品を大まかにスライドで流し見て行きます。

 

ボナール、ヴュイヤール、ドニ・・・

 

「どうですか? まずは見た感じでナビ派の絵、どんな印象ですか?」

 

 

竹久夢二に似ている、平面的、服の模様が日本的、装飾的・・・

 

など、皆さんからひと言ずつ。上の作品は「日本かぶれのナビ」とあだ名されたボナールの作品。確かに細長い画面や洋服の模様など、日本的。そして女性のなよっとした曲線や顔立ちが竹久夢二の女性像を思い起こさせますね。

 

ナビ派は、自然を再現しようとした印象派の後のゴーギャンの教えを汲んで、絵の中の意味や物語性を超えた色彩表現を特色とし、題材には日常の風景や、フランス語のアンティーム(親密な、私的な…)に表される室内、そしてその裏側の神秘を描いている作品があります。

「このヴュイヤールの「ベッドにて」は、深い安らぎも感じれば死も感じますね」

 

*記念すべき3年目の36回から、ビデオ撮影記録開始(気づくのが遅かったかも)

 

参加者から

 

「どうもこのナビ派はどこに価値があるのか、皆目わかりません。みなさんの感想を聴いてみたいと思っています」

 

という意見も。ナビ派の絵はカラフルで華やか、ごくフツウの日常風景が描かれていて、絵として確かにきれいです。でも「で、それで?」と言いたくなる。その絵はいったい何が言いたいのかがハッキリ伝わってくるタイプではないのですね。西洋画には定義がある、という定義にあてはまらないというご感想。

 

いぃ〜んです! そういう正直なご意見、ご感想はそのままブラボーです。

 

それに対して中尾先生、

 

「わからないところが、傑作、なんです〜」

 

ニヤリとつぶやく・・・。

 

ナビ派の絵は、人物も模様もすべて同じ価値、並列なのです。実際、絵の印象は平面的です。ゴーギャンからは、印象派のように絵の具を混ぜて表現するのではなく、「黄色に見えるなら黄色を塗りなさい、影が青く見えるなら青で」と生のままの絵の具を使うように教えられたナビ派の画家たち。説明よりも前に、色でその絵が成立しています。どちらかというと、具象画でありながら抽象画のよう。

説明的に絵を描くよりも、本質を描こうと試みたのが、ナビ派の人々でした。

 

ナビ派について、気づいた特色を参加者ひとりずつ、あげていく。

 

先生とのやりとり。

 

いろいろ出ました。

 

ナビ派ってある意味おおざっぱ? ちょっとホッとするよね〜、好きかも!

 

なんてお声も。

 

日常的に見えて非日常。どこかに違和感、不安感、神秘性があるのもナビ派。

 

先生からとっても面白いことを教わりました。

絵を描いている時に、その絵を上下ひっくり返して見てみるんですって。

「描く時には無意識に、これは山でこれは空で・・と当り前に思い込んで描いてしまっている。それを、ひっくり返して見るんです。ひっくり返して見ると、色の秩序のバランスがとれているかどうかが分かる。良い絵は、意味を取り払っても、抽象的絵画として成立しているんですよ」

 

首をひねってひっくり返ってみたら、・・・なるほどね。

 

私たちの脳は、目に見えるものに意味を探し、ストーリーを持たせるのが癖ですが、モーリス・ドニの言葉のように「絵画が軍馬や裸婦や何らかの逸話である前に、本質的に、一定の秩序のもとに集められた色彩で覆われた平坦な表面である」として見ることは、当り前を疑って見直してみる、面白い遊び、ゲームになるかもしれません。

これこそ、プロトマニアの中尾流的!!

 

*オヤツとお茶と先生のプリント

 

記念すべき3年目の第36回も、皆さまの活発で自由な意見や感想、中尾先生の名ガイドで無事終了。今日も白熱。みなさま、おつかれさまでした。

 

さて、寺子屋世話人は、ちょうど開催中の「オルセーのナビ派展」に行きました。会場では、中尾流で聴いたこと、皆さんの感想や印象とは違うことが解説ボードに書かれていたりします。でもね、それがおもしろいところ。美術館の学芸員の方が解説することは、ひとつの解説、見方。唯一正しいわけではありません。ふぅん、そうなんだ〜と横目で見たり、なるほどと納得したりしながら、あらためて作品を味わって来ました。実際の絵を見る事が出来るのは、幸運ですね。

 

 

こんなワイワイガヤガヤの中尾流は、5月から4年目に突入します。5月の画家は「バルテュス」です。ご案内の準備ができましたら、またジャーナルと中尾さんのコーナーでご紹介します。ぜひ一度遊びにいらして下さいね!

 

帰りは夕焼け。

 

 

*美術のことを知っていても知らなくても、ただ楽しもう!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

第37回 バルテュス

5月28日(日)13時から15時30分