青い青い空はひろがっている

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今日の空は少し重たくて、空気はもわぁっと湿気ていて、暑い。

森の中の池の向こうに住んでいる陶芸家から、ハガキが届きました。

 

 

 

柿渋の匂いは不正を嫌い、山百合のかおりは人を誘う。

 

雨の匂いは沈黙を保ち、珈琲のかおりはおもうひとをおもう。

 

これらのにおいが部屋の空間に混在しているのは七月。

 

この梅雨が明けたら、青い青い空がいっぱいにひろがっているがよい。

 

 

 

ものをつくる人たちは、あまりにもデリケートな狂気ゆえ、生きることに誠実。

だから好きだ。

美は見ることができるし、快は触ることができる。

喜びや痛みは味わうことや感じることができる。

優しさを聴くこともできるし、記憶を嗅ぐこともできる。

それができる人間は wonderful で fantabulous 。

だから大好きで同時に大嫌い。

でも、真理はそれとは全く違う。

参照点はないから。

だけど人間は優しくってずるくて少しバカで可愛くて、大好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもある歓びと共に

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今、個展をしている女性の陶芸家はベテランで70代。

ギャラリーに作品を搬入して、梱包をあけて、展示しました。

彼女は、展示された一つ一つの作品を、

遠くから近くから眺めたり、手に取ったり、

頬ずりするようによしよしとさすったり。

 

これいいでしょう〜、とってもよく出来たのよ〜、これも素敵なの〜。

これは形がすっごくきれいでしょ〜、作るのが楽しくて楽しくて ♪ …

 

と、私といい勝負の(笑)自画自賛。

それはそれは本当に素晴らしい、自画自賛!

歓びが黄金色の杯からきらきら溢れ溢れているように。

 

そうして歓びと共に作られたひとつひとつの作品は、

どれもこれも、瑞々しくてエレガント。

私のなけなしのお金で買うなら、こんなに風に生まれた作品がいいな!

 

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彼女は赤ちゃんの時に、半分死にかけていたのを、

家族みんなが懸命に助けて、ようやく命を繋いだのだそうです。

そんなわけで、

「あなたが生きているだけで嬉しい」

と言われて育ったのですって。

そして現在も決して健康そのものではないのですが、

 

「だから、生きているだけで嬉しいのよ」

 

と。

 

 

母も、お医者に16歳まで生きないと言われた私の兄を抱えて子育てをしました。

私にとってはあまり「お母さんらしくない」お母さん。

「ようこのお母さんは昔から変わってたよね」と言われる母なので、

私はちょっとばかり寂しくてひねくれて、

母のことをずっと受け容れられませんでした。

でも今思うのは、

 

お母さんだからこうあるべき、こうするべき、子供を一番に優先すべき、

妻だからこうあるべき、こうすべき、家庭を優先すべき…

 

と、責任や義務も深い愛情ゆえで美しいけれど、

 

それを歓びと共にすること。

 

何をしていても、まずそれがあれば、ただ オッケー♪ なのだろうな。

それでパーフェクトなんだな。

 

 

フランスでは惨事があり、世界が言葉にできない沈痛さに包まれました。

パリはどこを見ても絵になる美しさがあります。

猥雑さも、洗練もあって、すべてがあるから美しい街。

神を求めて正義のために戦ったジャンヌ・ダルクの国。

もう「正しさ」のために戦うのはやめて、

いつもすぐここにある歓びとともに、joie de vivre (生きる歓び)を、

と祈らずにはいられません。

 

 

 

 

 

 

 

 

無分別にすべてがある

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世界は「愛」… 

 

アラカワさんは愛が好きだからね…とまた笑われちゃいそうですが、

だって愛に恋しているんだもの 〜  ♪

 

愛って何かというと、本質で、真我で、それの状態。

 

 

この世界には憎い感情も愛する感情も、平和も抗争も、

慈しみも蔑みも、誠実も裏切りも、怒りも悲しみも常にあります。

穏やかで優しくて思いやりに溢れる愛情、喜び、受容、救いがある一方で、

悲惨、残虐、理不尽、不平等、嘆きは絶えることがありません。

 

ふと考えたら、それらすべてが在ることをゆるしている。

何も分けること無く、別れることもなく、すべてがある。

すべてを無分別に在るようにしている状態を、愛 と名付けてみる。

 

良い、優しい、だけなら平和そうなのに、

ずるい、酷い、まであるなんて! (すごっ!!)

 

でも、こういうジャッジや言葉や概念の無い、在る、それが本質。

だから、語ることができない。

沈黙。

 

 

なるほど、世界は愛の状態。

ちょっと思いついた。

もしかしたら、いわゆる母なる愛、父なる愛、は、

この「愛」のダイジェスト版なのかもしれませんね。

親は、どんなに「悪子ども」でも「おりこうさん子ども」でも、

決して見捨てることはなく、ただいることを受け容れて、

ただそこに子どもが生きているだけで、それでいい。

大きくて深くて静かにそこにいる(在る)。

お母さん、お父さん、既に、それ、そのものなのかもしれませんよ。

そして、たとえどんな「ワル母」でも「ダメ父」でも、

子どもは親を求める。

だから、

子ども、それもまた、それ、そのものなのかもね。

だからすべては愛の状態。

 

もう見た夢をもう一度見ているだけ、とは、こういうことかもね。

 

それに恋しているんだよ

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愛って何だろう?

 

仏教でいう「愛」といったら、執着心であり捨て去るべき煩悩を指す。

愛ということばのイメージなら仏教では「慈悲」なのだそうです。

キリスト教では「愛」は大切にされるアガペー。隣人を愛せよ、の愛。

男女の愛や対象への愛は、愛 情 であってそれは大きな意味の「愛」とは違う、

とされます。どうしてかというと、

大好き〜!の愛には、暗在系に同時に 大嫌〜い! がある。

大好き と 大嫌い はコインの表裏。

二極は揺れる、大好きになったり、大嫌いになったり、忙しい。

 

 

 

愛がどこにあるかというと、Love でもなく hate でもない

 

無分別

 

愛、ということばが指し示すそれに恋い焦がれた。

真理、純粋意識、真我、神、i  、

「愛」に恋したワタシのストーリー。

 

 

どうかわかってほしい。私はあなたから何も欲してはいないのだ。私が話すのは、あなた自身のためなのだ。なぜなら、あなたは何よりも自身を愛しているからだ。あなたは自分が安全で幸福でありたい。それを恥ずかしがることはない。それを否定することはない。それは自然なことで、自分自身を愛することは良いことだ。ただ、正確にあなたが何を愛しているかを知るべきだ。あなたの愛しているのは身体ではない。それは生命      知覚し、感じ、考え、行為し、愛し、努力し、創造する生命なのだ。あなたが愛しているのはあなた自身であり、すべてである生命なのだ。それをその全体性において認識しなさい。すべての区別と限界を超えて。そうすれば、あなたのすべての欲望はそのなかに溶け去るだろう。なぜなら、大いなるものは小さなものを包含するからだ。それゆえ、あなた自身を見いだしなさい。なぜなら、それを見いだすことであなたはすべてを見いだすからだ。
誰でも存在することが嬉しい。だが、その完全な意味を知るものはいない。「私は在る」「私は知る」「私は愛する」という言葉の意味の核心を知ろうとする意志とともに、それらに心をとどめることによって、あなたは知るようになるのだ。

 

I AM THAT   Talks with Sri Nisargadatta Maharaj

『苦痛と快楽に無関心でありなさい』より抜粋

テヅカクンのこと

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テヅカクンは、ずっとそこにいたらしい。

最近、思わぬことで再会した時、テヅカクンはとても気の弱そうな印象だった。

髪の毛ボサボサで賢くて気の良さそうな、だけどまったく冴えない感じ。

 

ちゃんと思い出せば、これまでカチンと何かがぶつかったり、突然カッと熱くなったり、

酸欠みたいにパクパクしてしまう時、

必ずテヅカクンが何食わぬ顔してぼーっとそこに立って見ていた、

その平然とした感じが最初とっても癇に障った。

そのうちテヅカクンがいると私は不幸になる、嫌な目に遭うという回路ができた。

アレルギーみたいに条件反射で、全身全霊で拒否して、

もう!どっか行っちゃってよっ、と心の中で叫んだ。

 

だからずっとテヅカクンのことを封印していた。

テヅカクンのことは、無視だ。

 

 

誰かや何かを無視することは、心の中の殺人です

 

 

と、高校生の頃に習った。

テヅカクンのことは、いつの日からか怖くて絶対に認めちゃいけない存在になって、

こころのなかでサツジンしていた。

 

そして、テヅカクンは居るのに居ない、

 

『 無いもの 』

 

となった。

 

 

 

 

 

 

 

素朴なこと

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いつも走る高速道路から見える都心の夜景は、

4年前のあの後の世界の沈痛と静けさを忘れたように、

享楽のきらびやかさで光を放っています。

 

テレビの画面に映った避難先の年老いたひとが、

「一所懸命働いて自分たちで家を建てて暮らして来たのに、

そこに住むこともできず帰れない。老後こんな目に遭うなんて思わなかった」

と疲れた表情で話していました。

それを暖房の効いたいつもの部屋で見て、聴いているだけだけれど、

その心中は察して余りあり、いいえ、計り知れず、言葉もない。

 

子どもの頃から家庭の中で、おばあさんおじいさんから、

お父さんお母さんから言われて来たとても素朴なこと、例えば、

 

嘘をついてはいけないよ

人さまに迷惑をかけてはいけないよ

他者への思いやりを持ちなさい

約束は守りなさい

友達を大切にしなさい

時間に遅れてはいけないよ

食べ物を粗末にしてはいけないよ

などなど。

 

うるさいなぁと思っていたことは、大人になった時ふと思い出したり、

知らないうちに身に付いていて、それが無意識に出ていたりします。

それは案外、人柄の基盤になっているのかもしれません。

どんな素晴らしく見える新しい考え方や教養や教えや技術よりも、

とても素朴で古くさいようなことが、いざという時に人を救うかもしれません。

 

昨年秋、プロトマニアの青空禅フォーラムにも来てくださった、

セラピストの溝口あゆかさんは、被災地の方たちのメンタルケアをされているそうです。

セラピストの方たちは、こんな風に活動されているのですね。

善悪、白黒、正義と罪悪感、などの二極、

あれかこれか、ではない「調和の道」を知るセラピストの方達が、

抑え込んだ感情やこんがらがる思いの扱い方を、

そばに寄り添って一緒に解いていってくれたら、

暗闇にいる人も、その人なりの速度でいつか光を見つけることができるのではないでしょうか。

 

悲しい時に無条件に慰めてくれたり、苦しい時には背中を擦ってくれたおばあちゃんのような、

むずかしくない大事なことをそっと教えてくれて、ただ味方でいてくれる存在が、

時として、ひとには必要な気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アリガトウ

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アリガトウ

の気持ち。

どんな色?

かわいらしいピンク色。

やさしいオレンジ色、それとも緋色。

深紅、それともシャネルの赤?

静かな深海のブルー。

 

ありがとうって、いいきもち。