東京和サンガ2期募集中〜☆

和サンガ 伊東充隆

 

今日は朝から風が強くて、雲がぐんぐん流れて行きます。

青空に白い雲も、グレーの空に白い雲も、どちらも見ているのが好き。

空の写真をウェブサイトに載せている方って、たくさんいらっしゃいますね〜

ソラ仲間だなぁ ♪

 

仲間といえば! … (笑)

東京和サンガの参加者を募集中です。

 

和サンガは伊東先生のインスピレーションで広島でスタートして8年。

(広島の様子は広島の招致主催者、坂本範子さんのウェブサイトからご覧下さい)

そして東京では昨年秋に初めて開催され、この4月に一期が終了しました。

青空禅のギュギュッと濃縮されたエッセンスにたっぷり浸った6ヶ月でした。

伊東先生は、

 

こうして同じ目的で集っているチームには、自ずと気付きの「場」が生まれて徐々に育って行きます。この「場の力」が一人一人の非二元への気付きを自然にサポートしてくれて、一人でやるよりも格段に気付きは深まって行きます。

このコースを受講したからといって、悟れるわけではありません(笑)。  しかし、非二元への方向性が定まり、一貫性が持てる様になっていきます。そのお陰で様々な情報に惑わされる事がなくなり、エネルギーの節約がなされます。人生が以前よりもシンプルで楽になり、ゆとりが持てる様になって行くでしょう。

そして何より、非二元の視点から、人生の様々な状況を遠慮なくオープンに語り合えて助け合える仲間ができることは、素晴らしい宝物になるでしょう。

 

と和サンガについて書いていらっしゃいます。
(先生の描写による和サンガとは、はこちらから

 

和サンガがどういうものかを分かりやすく伝えたい、

興味を持っていただきたい、

知っていただきたい、

参加申し込みもしていただきたい(笑)、

というわけで、ご紹介。

 

 

今度の東京和サンガは、その時その場にいる仲間と先生と、

まさにユニークな場が生まれ育っていくでしょう。

どこにもなかったものが、たったその時、現れるのだ!

すごい!

 

いろいろ読んで見てみて調べて検討してのご参加、大歓迎。

パッと見た感じの直感で、ここ!っと参加して下さるのも、大歓迎!

 

先入観や概念はそっと横において、

『和サンガ』という「場」を一緒に体験しながら、

たった一つの自己の本質へ。

 

なかなか他ではできない自由への冒険です、

一緒にしましょう〜 ♪  ぜひぜひ。

 

 

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*伊東充隆主宰* 東京和サンガ6ヶ月コース2期 6月スタート〜受付中

詳細やお申し込みはこちらからどうぞ

*伊東充隆主宰* 青空禅フォーラム 6月24日(金)19時より〜受付中

詳細やお申し込みはこちらからどうぞ

 

i Medic & Art  伊東充隆先生 雑誌掲載予定

☆5月31日発売〜

『スターピープル Vol.59』 ナチュラルスピリット社

伊東充隆/大和田菜穂 対談

「みんなに知ってほしい  ノンデュアリティから見た不生不死

 

SP59small

 

 

 

 

 

 

 

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深刻にならない

Mme.U

言葉は大切だなあと常々思っております。

どんな気分や感情で(エネルギーに乗せて)その言葉を届けるか、届けられているか、

ということが、もちろん見るべきポイントなのですが、

受け取った時に、相手のエネルギーを感じているつもりで、

実は意図と全然違ったりして(笑)、

つまり、勝手な思い込み、だったりすることが多々あります。

それで何度も失敗しました(とほほ)。

エネルギーマスターはニュートラルじゃないとね〜

 

 

夜書いたメールや手紙って、翌朝起きてから読むと妙に暗くて重たくなっちゃってる!

 

とミュージシャンの aiko が言っていましたが、

確かにそういう傾向はあるのかも。なぜかな?

 

じっと目を覗き込まれて、ぐっと来るような素敵な言葉を聞かされたりすると、

魔法にかかったみたいになってしまうこともあります。

自分がよくわかっていないことに関して言われたりすると特に。

 

真理の探究をしていると、

やけにロマンティックで、ドラマティックで、美しくて、神秘的で、

書いている人、話している人自身が、酔ったような文章や表現に出会います。

美しいことばには注意しなくちゃ。

大好きなパパジはすごく素敵で暖かい表現をするのですが、

ロマンティックなのとはちょっと違うんです。

 

オモシロいブログを書いている方 がいるのですが、

つい深刻になってしまう時には、こういうのを読んでフフフと笑おう。

真理は、廓然無聖。

 

とか言いながら、さっき車で走っていたら、

前を走るトラックの後部とびらに、

 

ドライバー名

幸喜 悟

 

と書いてありました(笑)

ひとはまさに、自分が見たいものを見ているんですね〜

 

driversatoru

 

 

わかっちゃった?

wakacchatta

 

『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』

 

という本を読んだ。

あー、なんだかスカ〜っとした〜!!

 

 

第3章 オーストラリアはない

〜 いろんなことが起こって、マインドはその意味をつかもうとする。それがマインドの仕事だから。

マインドは意味づけをして、理屈づけをして、原因を探って、なぜかとか、それはこうだからとか、いろいろこねくり回すんだ。

それがマインドがすること。実際は何も見当もつかないのに。どんなこともただ起こっているだけなんだ。ただ単に。

マインドが割り込んできて「これはこれを意味するに違いない。あれは間違いなくそういう意味だな」とか何とか言うこともある。

それはすらすら出て来る(来る来る!注:私の声)ほんとうに何の苦もなく簡単に出て来る。

それがマインドのすること。マインドはいつだって理解しよう、知ろう、解き明かそうとする。そういうことを全部しようとする。

生き残ろうとしながらね。マインドがしようとしているのは、自分が生き残ることだけなんだ。マインドがしていることといったら、

マインド自身を守ろうという、それだけ。まるで安全じゃないみたいに。それに、自分がコントロール主体ですって感じで。

実際は全然違うのに。

結局それが伝えたいことだね。僕らはコントロールしていないんだってこと。自分でコントロールしてると思い込んでるよね。

自分で選択してると思い込んでる。自分で決めてると思い込んでるんだ、でもそれは見かけ。

すべてただの見かけなんだ。これは夢から目覚めるってこと。夢の中にね。

 

 

 

 

真理と自由と神と愛と真我と本質と青空をめぐるドラマ

skyyks

なぜそんな言葉を使い始めたのか、どこで耳にしたのか『  真理の探求 』を若い頃に始めた私は、

いろいろなことを頭の中で考えました。

考えるのは良いことだ、と当時は思っていて、何でもバリバリ考えていました。

親しい友人には、ないアタマで考えるな!と言われましたが、

自分が感じる感覚より考えた方が確かな気がして、ふと感じることを即思考で置き換えていました。

今なら、うへっ、うざったい!というタイプのオネエチャンだったと思います。赤面。

 

それがいつの日からか「真理の探究」となり、

結局、考えてもどうしようもない、何も解決しない、堂々巡り、ただ苦しいだけ。

考えてもムダ、こりゃダメだ、という結論になるのですが、

何をしても最終的には自分が考え、感じているのだから、

私はこの肉体の中に閉じ込められていて、「私自身」からは逃れられない、

ここからしか世界を見ることはできないんだ、と思っていました。

あぁ、なんて不自由なんだろう!!! と。

 

でも、アートやいろいろな試行錯誤の末に知ったのは、私は肉体でもこころでも魂でもない、というものでした。

それはこれまでもいろいろな人が言ったり、書いたりしてきたことですが、

私には私のタイミングで、その智慧との出会いがあったのです。

それが、禅の教えであり、クリシュナ・ムルティやラマナ・マハルシ、パパジ、ガンガジなどの覚者であり、

それを実感したい欲望にかられての実践編、青空禅フォーラムであったりします。

インターネットは情報を集めるにはとても便利なツールで、このブログと同じ wordpress で偶然知った、

溝口あゆかさんという方のブログも、晴天のようにそれに関して言葉でわかりやすく伝えています。

( 真実は、すべてはジョーク?2012.7.4    がっつり目覚めトーク 2013.2.21 など )

あちこちから見てみると、真理は特別な人たちだけが知るものではなく、選ばれた人のためにあるのでもなく、

もっとずっとリラックスしたものだということがよくわかりました。

それはわたしの深いところにあった緊張を緩めてくれました。

 

プロトマニアでは、本質とは何か?という言い方をしていますが、

本質でも真理でも、神、愛、真我、青空 … どんな言葉でもよいのです。

これらの言葉が指し示すすべての源に出会えば、まずは知識だけでもそれに出会えば、

この現実の受け止め方にゆとりが生まれて、少し気楽になれるのではないかと思います。

そして毎日のバランスをうまく取れるようになるのではないかと思います。

 

私はわかっちゃったひとではないので、ここで書くことは途中の備忘録であり、

その時の私のベスト、つまり限界でもあります。

最近、仕事中や日々の暮らしの中で、源に繋がるごっこをしています(笑)

これまでの、ちからいっぱい真剣なわたし、から、こうさんしてしまおう、にシフトチェンジして。

 

もし、悟りや目覚めや真理ということに興味があるという方は、青空禅フォーラムをぜひのぞいてみて下さいね。

いつでもドアを開いてお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青空と悟りと在り方

zenao

昨日の青空禅フォーラムでは、伊東先生から禅のお話を伺いました。

 

私たちは全てそのままで仏性である。

つまりお釈迦様と同じく、悟った状態なのである。

 

悟り、っていうのは、あるがままの本質を知りそれを味わっている状態。

白隠禅師は謡いました。

 

いろいろな修業が用意されているけれど、それをやらないと迷いのない境地に至らない、のではないよ、

あらゆることはただ禅定の中に包含されている。

 

禅定すなわち、座禅とは行為ではなく意識の在り方です、

することではなく、あること在り方なのだと伊東先生は解説してくださいました。

 

悟りっていう言葉以外に何か他にことばはないものかなぁと思うことがしばしばありました。

というのは、悟りって言うとなんだかとても特別な感じ。それを求めているとなると不思議ちゃんな感じもする。

愛とかワンネスとか神とか大いなる一とかとかとか?? 宗教っぽいし、ヒッピー?みたいだし、よくわからない。

言葉にはいろいろイメージがくっついている。

でも本来、特別でも何でもなく、私たちはすでにその悟りそのものらしい。

 

ただし、「そうか、すでに悟っているのだ」と思い出したからといって、

現実の生活が突然大成功したり、夢みたいなことが起こる訳でもないらしい。

中にはそういうドラマの主人公みたいな人もいるかもしれないけれど、悟りはいわゆるこの世の成功法則にはあたらないらしい。

 

では何が起こるのかというと、ただ単に、良くなろうが悪くなろうが、それが気にならなくなるらしい。

問題はそのままあるであろう、生きていれば病気にもなるだろう、そして究極の死もちゃんともれなくやって来る。

それでも区別なく無分別。

 

そう聴くとなんだかそれはとっても楽そうだと思う。自由そうだし、気持ち良さそうだと思う。

矛盾に苦しむこともなく、良いも悪いも、優劣、白黒を判断することもなく、

足りないことも余計もなく全てを包含して味わっている。

 

なんだか素晴らしく雄大広大無辺ではありませんか。

スーパーマンで一番になるよりも、そちらの方がよほどいい感じがしますよ。

 

高速道路を走りながらふと横を見ると、隣車線のトラックのボディーに

 

前後裁断!今を生きる!

 

と書いてありました。

― 余計なことは考えないことですよ~ - ってことですね。

 

サトリます

happycafe

今日はお釈迦様が悟りを開かれた日。

ちょっとマニアックだけど、ぱらりと開いたページに悟りということばがあった。

プロトマニアだから、か....あはは(笑)

 

あなたの悟りの花はいま咲いています。

それは開花以外の状態ではありえないのです。けれども、あなたの視界が狭ければ、たとえば、あなたが小さな虫で、

その花の根っこのとろこから少しずつ這い登って、葉の下をくぐり、上へ上へと向かっているとすれば、

悟りの花がすでに開き切っているのは見えません。それと同じことなのです。

魂の成長の一時期には、周りの人の声援を聞きながら、茎を這い登っていく、そんな小さな虫のように自分を感じます。

やがて次には、自分を、花や茎とは別の存在である虫として感じなくなる段階がやってきます。

自分とは肉体だと思わなくなり、自分が純粋で目覚めた意識であることを思い出します。

そして、その意識が虫や茎や葉や花として、またはそれらを囲む空間として、そしてそれよりもっと大きい、

どんな想像も超えた存在として物質界に体現しているのだ、ということを思い出します。

あなたは無限の存在です。そのことをあなたは知っています。あなたは何百万、何千万という形に姿を変える、純粋な目覚めた意識なのです。

そして、自分が一個の小さな肉体であるという考えを捨て去って、”広大無辺なもの”だという考えを受け入れると、

じつは悟りの花が、香り高くいっぱいに咲き誇っていることを知ります。そして、ずっと以前から咲いていたのだということを知ります。

人生のいいものすべてが欲しいと人は言います。欲しがらないで、すべてになってください。

あなたは、自分が求めているものそのものなのです。そこに達するために越えなくてはならない障害は何もありません。

ただし、その境地に達するには、自分は神から分離した存在であるという考えを捨てなければなりません。

あらゆる瞬間を、ただ一つの目的のためだけに生きて下さい。

悟りはいま現在ここにあり、いつでもその姿を現してくれる、ということを知るためだけに生きて下さい。

神はいま完全にあなた方とともにいるのだということを、あなた方に思い出してもらうために、私は来たのです。

私の叡智の力とあなたの叡智の力とが統合されて、あなたがこの真理を悟るように祈っています。

”一なる自己”しか存在しません。そして”一なる自己”とは、あなたのことなのです。

 

バーソロミューより