知っているけど忘れていた穏やかさ、かも。

伊東充隆主宰和サンガ・青空禅フォーラム

 

自己の本質を知るということ、それを知識にとどめずにリアルにすること、つまりそこに意識の軸を変換させることと言うと、すごく難しそうな話に聞こえますか。

たしかに難しい〜と思う時もあるのですよ。

でもいろいろな本を読んだり、教えてくれる方たちのお話を聴いたりしながら、例えば青空禅や和サンガで伊東先生から伝えられたコツを実際にやっていくと「それは難しいことだ」という重い思いはいつのまにか消えていきます。

「難しいに違いない」という思い込みが「いえいえ、実はこんなに簡単なのよ〜」になるというよりは、『難しいこと』の影が薄くなる感じ。そんなことがあまり気にならない。

 

すごく気になっていたことが気にならなくなったり、ふつうにまぁまぁ気になる、くらいになると、それだけでとても気楽ですね。

気になることは多々あったとしても、それはそれでよくなっていて、すごーく気になる時もあるしちょっと気になる時もある。でもそのこと自体がそれほど気にならない。

 

不変なるものをただ見ていくことで出会う穏やかさや軽さというのは、これまで体験した穏やかさや軽さ、その言葉からイメージしていた感覚とは、実はちょっと違うのかもしれません。だから「これではない」と勝手に判断して、うっかり見過ごしているのかもしれませんね。

 

初めてでもなく自然。もっともっと穏やかで(笑)繊細な  …  。

 

真我

*自己の本質を知り、意識の軸を変容する〜

伊東充隆主宰  青空禅フォーラム  Tokyo

次回開催は4月予定です。

日程が決まり次第お知らせいたします。お楽しみに!

 

和サンガ   東京3期(6ヶ月コース)開催中

次回の募集は初夏の予定です。

和サンガについてはこちらから→

 

 

*空のお茶会〜『バーソロミュー』を読む

2月25日(土)14時ごろから16時ごろまで。

真我を伝えるバーソロミューを音読したり、その感想や疑問を話しながら自由におしゃべり。

美味しいお茶をゆっくり楽しみながら、非日常プチトリップのお茶会です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見える通りに

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世界の指導者がはるか上空から自分たちの星を見たら、

彼らの態度も根本から変わるはずだ。

何よりも重視している国境は見えないし、

言い争いもぱったり聴こえなくなる。

 

地球は、見える姿の通りにならなければならない。

資本主義も共産主義もない青と白の姿に。

金持ちも貧乏人もいない青と白の姿に。

 

 

アポロ11号の宇宙飛行士、マイケル・コリンズのことば。

見える通りにただ在ることが、

平和への最大の貢献なのだと言っているように思えます。

 

 

史上初めて人類を月面着陸させたアポロ11号の司令船パイロットを務め、

誰もが知るアームストロング船長とオルドリン飛行士が月面に着陸している間、

月の裏側をたったひとり周回飛行し、月面を撮影し、

110キロの上空から月面の仲間を見守り、

ひとりだけ、月面を踏むことなく地球へ帰還したコリンズさん。

 

たったひとり、まったくの独りってどんな感じだろう。

 

 

 

 

八月がくるたびに

20150728

 

今朝、母がふと、

「夏になると広島に行ったのよね。広島に行くといつも海水浴に連れて行ってもらった」

と言いました。

母方の家は広島で漢方の薬屋さんをしていたらしいのですが、

戦争中女学生だった母は、原爆が落とされた時、広島に疎開をしていました。

私はその頃の体験をよく聞かされて来ました。

 

もうすぐ8月。

小学生の時に課題図書で読んだのが『八月がくるたびに』という本。

長崎の原爆のお話です。

細かいことは覚えていませんが、その本を読んだ時に感じたのは「恐ろしさ」。

今でも思い出すと、身体の感覚も一緒によみがえります。

おそろしさなのか、まとわりつくような重さか。

子どもが受け止めた、衝撃。

 

この本が忘れられないのは、

戦争や原爆の悲惨さ、恐ろしさを伝えて平和を考えさせるということもですが、

子どもにそんな衝撃的な本を与えた作者、出版社、学校の、凄さ、鋭さ、覚悟の熱。

今だったら、子どもたちはもっとやんわりしたフィルターで守られてしまうかもしれません。

挿絵は、あのクマさん、篠原勝之さんが描いていたと、後になって知りました。

それもけっこうオソロしくて、一般的な子ども向けの絵ではない本。

8月になるとふと思い出す、小学生の頃に読んだ本です。

 

 

青空意識とか非二元とか悟りとか言っていると、

ちょっと特別意識で、個人的な心の何かを満たそうとしているように聞こえるかもしれませんが、

すべての道は、最後に平和という名の『 静けさ 』にたどり着きます。

 

先週、インターネットテレビでお話した ゼロ・セラピストの坂本範子さんが放映の中で、

広島には平和に対する祈りのベースがある、というようなことをおっしゃっていました。

長い間、仕事を一緒にして来た版画家の福本倫ちゃんも広島出身で、

先日の宮島初上陸の時に感じた広島人のオープンな印象をお話しした時に、

「  広島の人たちってなんだか結束力ありますね〜 」と言ったら、

「やっぱり原爆でいったん何もなくなったところから立ち上がらなければならなかったから、

みんなで助け合って、サポートしよう、がんばろーみたいな気質が知らないうちにあるのかも。

カープ(野球の)の応援もそうでしょ、俺たちが応援しないで誰がする!

みたいな勢いでしょ(笑)、熱くるしいくらいあっついんですよ〜」

と言っていました。

うん、確かに熱いわ♡

あの熱さは、平和の意味を実感した人たちが、戦争の間の生活や状況を体験していない人たちに、

有言無言で伝えて来た日々の祈りが紡いで来た熱さと思います。

 

過程がどんな風に見えていても、すべては静けさへ。

今朝の母の何気ないことばから、そんなことを考えました。

 

 

 

全き

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このところ世界はとても不穏ですね。

フランスの襲撃テロとその後の世界の動きは、二極に大きく振れるこの世界のすがた。

私は若い頃にしばらくフランスで暮らしたことがあって、

その時に、実際、移民(いうなれば異質なもの)を受け入れて日常に問題が様々ありながらも、

はなから拒絶するのではなく折り合いをつけようと切磋琢磨しているフランスを、

成熟した大人の国だなぁとしみじみ思っていたのです。

今回の事件とその後の大デモ行進。世界の連帯…

インタビューでマダムが、「皆が笑顔を交わしてボンジュールと言えるフランスでなくては」

と言っていました。

一方で、イスラム教や移民自体を攻撃する動きがあり、それを危惧する意見もあります。

新聞で読んだのですが、

フランスの歴史人類学者は、テロを正当化はしないが、移民の子どもたちが人生に意味を見出せず、

犯罪へと向かうその社会構造を考え直さなければいけないと言っていました。

 

今夜のニュースでは、最近過激になって来ているヘイトスピーチのことを取り上げていました。

在日の人たちに体する攻撃的なデモやスピーチ。

このことも、私は以前、新宿でたまたまその行進に出会って、

スピーカーからがなり立てられることばに心底驚いて、本業のブログに書いてしまったほどでした。

自分の友人や隣人がその対象になっていたら、痛いほど悲しい、と書きました。

このヘイトスピーチに参加する人たちは、ごく普通のサラリーマンや主婦や学生でもあるそうです。

その動機は、外国人に生存権を脅かされる、という不安感にあるとの分析でした。

ヘイトスピーチの中身は、はっきりとした主張があるわけではなく、

実は意味の無いキャッチーで過激な言葉の繰り返しで、

それを聞いてそのまま信じ込む人たちがさらに生まれるという。

100%、正しく美しいか、100%、間違っていて敵視すべきものか。

これも二極の極端な現れです。

 

今、なぜこんなにも暴力的な危うい二極が現れているのでしょうか。

 

私がここで何を書いたり行動したり言ってみたところで何も変わらないさ、とは思いません。

マザーテレサが来日した折、志のある学生がコルカタに行ってお手伝いをしたいと申し出たことに対して、

「あなたはコルカタに来ることはない。あなたの周辺のコルカタで行動してください」

とおっしゃったことを思い出します。

そして、青空禅フォーラムですっと聴いて来た「二極を超えたところにある平安」に今こそ思いを強くします。

人間は誰でもが二極の中にいて、誰でもが極に傾く可能性がある、あなたもわたしも。

自らの軸を意識しなければ、いつの間にかサイレントマジョリティになっているかもしれません。

 

この世界の本質を知りたい生きたいと言いつつ、Love and Hate の間を揺れ動き続けていたし、

嘘に対して怖れでいっぱいになり、信念ゆえにジャッジして、

二極のあいだを揺れては戻って、たまに凪いでいました。

人はなぜ悟りや本質や真理、真我、存在、神、源、意識へと向かうのか、

それは個人的なことでは全くないのだということが、つくづくわかったような気がします。

 

 

 

 

 

 

青空とただ幸せでいてごらん

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今週の土曜日は、伊東先生の「青空禅フォーラム」です。

伊東先生の「青空禅フォーラム」は、なが〜い歴史があるのですが、

場所を変えたり、より深い内容の会は名称を変えて行われたりして小休止の後、

2013年の夏にプロトマニアで「青空禅フォーラムTOKYO」が再スタート。

名称やカタチは七変化しても、先生が一貫して丁寧に伝え続けていることが

「青空」( 本質、意識、愛、真我、存在、本当のわたし … )だから、

青空禅フォーラムというなまえは、全ての土台みたいな気がします。

 

東京以外でも各地で講演会や勉強会をプロデュースをしている方たちがいらっしゃって、

12月15日(月)16日(火)には、沖縄で「青空禅フォーラムin沖縄」が行われます。

タイトルは「静かなる心という贈り物」

先生の講話会はこれまでも沖縄で開催されているのですが、

「青空禅フォーラム」として継続されていく! そのスタートですね。

日々のストレスやこんがらがった人間関係や悩み事、の元をたどって行って、

どうしたら心穏やかに過ごせるの? という答えに向かう本質のおななし。

科学や禅や心理学やいろいろなアプローチで、あらためてこの世界を見てみる、という時間です。

沖縄の青空禅フォーラムも、多くの方につながりますように!

 

 

このところ、シアワセなワタシ、のことを書いて来ましたが、

幸福って何でしょうか?

幸福とは何だろう?

先生の青空禅フォーラムに参加するようになって間もない頃、

「ただ幸せでいてごらんプロジェクト」というのがありました。

私たちは、幸福であるためには具体的な何かが必要だ、と思いますよね。

たとえば、年収は2千万くらい(笑)、とか、生活はこんなセレブな(?)スタイル、とか、

恋人や伴侶はこんな人、とか、会社でのポジションはこのくらい、とかとかとか。

でも、そんな手に入れては消えて行くようなものを追い求めていたら切りがない。

自分の外側にあると思って欲し続けることは、シンドイです。

本当の幸福、あなたは何だと思いますか?

伊東先生は、「ただ幸せでいてごらん」ととてもシンプルに提案します。

 

 

ただ幸せでいてごらん

今、ここで、君の身体の中で、ただ幸せでいてごらん。

「ただ」とは、なんの理由もなくということ・・・

だから、そのための原因を 探したり、作ったりする必要はないんだよ!

幸せでいられない理由で頭がいっぱいなら、それこそ、なんの理由もなく

ただ幸せでいることができると知るチャンス!

幸せとはこうあるべき!という閉じた想いや望みは、叶わないかもしれない。

でも、その背後に完全に開かれてある、とても静かで穏やかな幸せには、

いつでもどこでも、触れることができる。

君が今、たった今!その気になればね!

でも・・・と、一瞬でも思ったら、あっという間に君はたくさんの理屈に捕まる!

ただ」こそ、それを開く鍵・・・

どうやって?と問う前に、ただ幸せでいてごらん!

うまくできない!と嘆く前に、ただ幸せでいてごらん!

幸せになりたい!と思う前に、ただ幸せでいてごらん!

すると、君は、何者か?

 

伊東充隆 

 

裏を見せ表を見せ

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裏を見せ  表を見せて散るもみぢ

 

 

良寛さんのこの句が大好きです。

日本のことばの表現ってすごいですよね。

これだけ短いことばなのに、表されていることの深さといったら!

 

やさしさとか温かさ、の深いところには、悲しみのようなしんとした静けさがあって、

相手を思いやる気持ちは、そんな深いところから泉のように湧いているように思います。

誰にでもその泉はあるのですが、

良寛さんのような人は、その泉が深くそしてこんこんと涌き上がっていたのかもね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何も起こっていない、という贈り物

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告白します。

食べてはいけないものを食べるのが好き。

そっちは危ないから行かないで、という方向に、つい、行ってしまいます。

ダメダメと言われると、本当にダメなのか? と確かめたくなる。

声、話し方、頭がワルイ、が弱点。

みじめさ、取り残されることに怖れが強い。

その怖れが強いことが、さまざまな場面で感情の嵐を呼ぶ(笑)。

実はドラマティックなドラマこそ大好き、でした。

裏切り、嘘、ごまかし、執着、自己中心的裁き、正義、背徳、献身、嫉妬、愛、誠実、信頼  …

などなど切りなく…

表面のワタシが穏やかさを求めれば求めるほど、

ドラマティックなストーリーを招くのです。

なぜなら、内面が外に表れるのだから。

ワタシの心が作った結果が、瞬時に外側に現れている。

驚愕!

エゴの世界。

 

 

通奏低音のようにずっと「この世界とは何か? わたしとは何か? 」 を知りたかった、

と書いたことがありますが、

すべての人、もの、こと、この世界に、通奏低音のように流れているのは、

 

平安。

 

平安なのです。

愛、ということばは、くすぐったいかもしれないけれど、愛、です。

怖れとは、愛を求めて叫んでいる姿。

 

でも、あるものは、愛だけです。

それ以外は、何も起こっていない。

 

 

何も起こってなどいない、という贈り物を、

受け取りました。

片時もそれを忘れない態度を、身につけていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Peace

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見ていると、そのひとから醸し出される空気と言うか雰囲気というか、

(それをエネルギーと言ったりもしますが)

現れているし、表わしていますね。

言葉を重ねてみても、表情を作ってみても、

本当はどんな感じなのか、わかります。

正直です。

 

ある写真に写っているお顔がとても平和でした。

いい写真だなぁ。

なんて穏やかでゆったりしていて幸せそうなんだろう。

そう思いました。

ひとことで言うと、

 

平和。

 

こんな風に、平和で、凪いでいるのですね。

ずっと見ていたいような、お守りにしたいようなお顔でした。