青空禅フォーラム4月は、29日(土祝)です

 

青空禅フォーラム、東京の開催は、4月29日(土祝)です。

 

この青空禅で伊東充隆先生がお伝えしている青空意識、つまり自己の本質、真我とは何か、非二元のお話、は、一所懸命それを探究しているとつい真剣を通り超えて深刻になったりします。厳かで特別なこと!をイメージして重厚なムードになりながら、まっすぐまっすぐ行こうとしていたりします。

 

でもこのことを知りた〜い、理解したいと学ぶ時には、ある種のユーモアが大切なんじゃないかな。師と弟子とか覚者とフツウの自分のような関係性にハマり込んだままだと、その中でどんどん神聖で重々しくウヤウヤシい何か、遠いどこかへ向かってしまったりしがち。

 

伊東先生がおっしゃっていました。真我とは本来、軽やか。

そう軽〜く思っていた方が良いのかもしれません。

 

青空禅は、真剣だけれども余計な緊張感がないフォーラムです。

もし、非二元のお話を本で読んだりいろんな先生のお話を聴いていて、そうは言っても…そ、そうなんですかぁ???、と感じていらっしゃるなら、青空禅の雰囲気を味わってみてくださいね。知識という情報をどんどん増やすよりも、ただそこに居てみるというとても単純、シンプル、明快なことで、ふと視界が開けるかもしれません。

 

(…おいしいオヤツとお茶もありますよ♪)

 

i Medic & Art 伊東充隆

 

 

*自己の本質を知り、意識の軸を変容する〜

伊東充隆主宰  青空禅フォーラム  Tokyo

4月29日(土祝) 14時から16時

 

お申し込みはこちらから→

 

 

*先生のいない、読書会

空のお茶会〜バーソロミューと共に。

3月19日(日) 14時頃から16時頃まで

参加費は2000円(お茶とおやつ付き)

 

 

どうか見過ごさないで下さい。

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あなたが自分自身と呼んでいるあの慣れ親しんだ感覚、間違って〈自分〉と呼んでいるあの感覚に気づくように、ここでまたお願いしたいと思います。実際のところ、あの慣れ親しんだ感覚というか、歓喜の絶頂から憂鬱のどん底まで、愛から憎しみにいたるまで、不安から喜びにいたるまで、あらゆる過程に存在する感覚こそがあなたの本質です。あなたは  ”わたし”  を間違って〈自分〉と呼んでしまったのです。生まれたり消えたりするのは有限の〈自分〉です。あなたといつもいっしょにいて、朝目覚めた瞬間からもっとも深い夢の瞬間までいるのが  ”わたし”  の本質です。
あなたは  ”わたし”  の本質をいつも感じているのですが、それをいままでは間違った名前で呼んできました。これまであらゆる瞬間に感じてきた感覚こそがあなたの求めているものです。ほかのあらゆるものはその上に反映されます。こうしてここにすわっているときも、常に変わらず存在するのはその純粋な意識です。わかりますか。あなたは自分がすでにそうであるものを求めているのです。あまりに明らかで、不変で、強く、なじみが深いので、それがわからなかったのです。どうか見過ごさないでください。

 

「バーソロミューの旅日記(下)〜インド編〜」カルパの五日目 P229 より

 

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*自己の本質を知り、意識の軸を変容する〜

伊東充隆主宰   

和サンガ   東京3期(6ヶ月コース)1月7日(土)スタート。

引き続き、募集中(応募締切りは1月末日)

詳細・お申し込みはこちらから→

 

 

和サンガ 東京3期 募集中〜 理解することもたいせつ。

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心のこと、精神的なこと、目に見えないことについて伝えられることは、

曖昧だったり、情緒的になったり、言葉の美しさに煙に巻かれたり、

思い込みや錯覚することがしばしば起こりがち。

 

 

この目がカタチとして認識できないことや、

通念ではない何かに出会ったり、それを理解しようとすると、

気づかないうちに既に自分に刷り込まれたイメージがフィルターになって、

フィルターをかけたまま見たり聞いていることがあります。

 

伊東先生と質問者の対話を聞いていると、

その無意識にかかっているフィルターにまずは気づかされ、

次にそれを自然と外す方向へ向かいます。

そして「わ〜目からウロコ!」。

 

青空禅や和サンガを続ければ続けるほど明らかになるのは、

伊東先生が変わらずにずーーーーーっと伝えていることが、

信じるとか信じない、という土俵でのおはなしではなく、

先生はそれを熱く、淡々と淡々と正確に丁寧に伝え続けているということ。

 

その伊東先生の態度や説明には曖昧さが、あっけないくらい、ありません。

言葉や表現の仕方はとても美しかったりするけれど、

それは先生の美意識みたいなもので、

態度はただ「明晰」。

その明晰な立ち方は圧倒的。

 

真我、非二元、悟り、本質、実在、… 何でもよいけれど、

それについて最初は、整理して理解することが大切だと感じます。

最終的にはそれも超えちゃうんだけど。

 

自分たちは、実はいろんなことがゴッチャになっていることに、まず気づくこと。

そのために、伊東先生との対話は本当に役立つと感じます。

そばでそれを聞いているだけでもね。

だからこの丁寧なやりとりが行われる和サンガという場は、

本当にワンダフルなんじゃないかなと思います。

 

唯一けっして変わらないもの。

それを実在という。

 

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*自己の本質を知り、意識の軸を変容する〜

伊東充隆主宰   

和サンガ   東京3期(6ヶ月コース)募集中

(応募締切りは新年1月末日)

詳細・お申し込みはこちらから→

わたし、とは何か?

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わたし、ってなんだろう?

 

いつ 「 わ た し 」 ってことばを知ったんだろう?

誰が 「 わ た し 」 ってことを教えてくれたんだろう?

この世に「 わ た し 」ってものがあると言ったのは誰だろう?

お父さんとお母さん?

ではそのお父さんとお母さんに教えたのは誰?で、

そのまた誰かはどこでいつ誰に教えられて…

いったい元の元は……?????

 

 

そもそも、「 わ た し 」ってなんのこと?

「 わ た し 」って、どれ? 何の意味?

 

私 は、 「わたし」と読み、「わたし」と発音します。

それは何を指しているのかな?

そもそも、いつからだれが、

この世界(があるとすれば)に「わたし」があるって言ったのかな?

 

そもそも、何を指して、

どれのことをその「わたし」という名称で表してきたのかな?

当り前のように。

いつから当り前だと思い込んでいるんだろう。

 

 

本当に本当に考えてみて、

それ、つまり「わたし」とは何かを、

本当に知っているのでしょうか?

 

 

私とはどこにあるのか? を、

いろいろなアングルから、その場で検証します。

伊東充隆先生の 11月の青空禅フォーラム は、

11月23日(月祝) 14時から16時

です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

問題は何もない!

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問題は何もない!(笑)。

これが起こることです。心は問題を生み出し、解決法を欲しがります。

たいていの場合、問題は解決法を必要としていません。

問題は解決ではなく、解消されることが必要です。

なぜなら解決法はないからです。

問題が解消される唯一の方法は、それらが起こるやいなや、

単に観照されることです。

マハラジが言っていたように、それらは受け取られません。

心が巻き込まれるとき、そのとき問題は問題となります。

さもなければ、それはただ思考にすぎません。

もしその思考が単に観照されるなら、それは消えます。

 

『意識は語る ラメッシ・バルセカールとの対話』より抜粋

 

シーン…

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映画のシーン

… ではなく、

 

し〜ん

 

としているのです。

テヅカクンと出会ってから。

 

は?

テヅカクンって誰??

 

 

誰だかわからないから

 

し〜ん

 

……

 

 

智慧

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ヨガ先生を熱くやっていた頃、

レッスンごとに、プリントを作っていました。

その日のポーズの動きを分解して絵を描いて解説したり、

身体のしくみや呼吸やがもたらす効果を文章にしていました。

頭と身体感覚と、両方で理解して習得するのが、自分が学んだ時にわかりやすかったからです。

身体の感覚だけではつかめないところを、

知識という情報で理解しイメージしてから動かすと、できちゃったりする。

なんとか筋を外側に使って、とか、肩甲骨を寄せて、とか言いながら、確認しながら。

すると「論理があるとわかり易い」と言われて、

やはり大人は、こうだからこうなる、と筋が通っていると納得できる、

分かりながらやるのがいいのだろう、と感じました。

 

私の先生は、肚(はら)をさして、

「昔の人間はこれが  ”  腹筋  ”  なんて知らなかったんだから」とおっしゃって、

あまり細部や情報にとらわれないように、

つまり、アタマでばかりやらないように導いて下さいました。

 

分かる、って快感なんですよね~

あ、わかった!と思えると、落ち着くのです。

実際は身体はついて来ていなくても、できました~!と思ってしまいます。

(とはいえ、束の間なので、やっぱり出来ていないことは後からわかるのですが。)

 

真理の探究も似ていて、タバコ屋のおじさんニサルガダッタ・マハラジのように、

ひたすら先生に言われたことだけやっていたら、そうなっちゃった、

というすばらしい覚者もいますが、

あれやったりこれやったり、量子物理だ、禅のことばだと読んだり、聞いたりしても、

分からないよ~~~~

というのが続くと、ちょっと分かる快感の誘惑にかられることあり。

 

何ごとも科学的、論理的に証明されると納得信用できる、という傾向にありますが、

実はは昔からわかっていることを、現代人は技術や知識や研究で、

ほらねって証明して安心しているのかもしれませんね。

すっきり分かりたい、というその一心で。

太古の昔の人がそんな私たちを見たら、笑っちゃったりしてね。

そんな現代人だから、好きなだけたっぷりお勉強したら、

後は、肚に落とさなきゃね。

智慧、にしなきゃね。

は〜い。

何も起こっていない、という贈り物

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告白します。

食べてはいけないものを食べるのが好き。

そっちは危ないから行かないで、という方向に、つい、行ってしまいます。

ダメダメと言われると、本当にダメなのか? と確かめたくなる。

声、話し方、頭がワルイ、が弱点。

みじめさ、取り残されることに怖れが強い。

その怖れが強いことが、さまざまな場面で感情の嵐を呼ぶ(笑)。

実はドラマティックなドラマこそ大好き、でした。

裏切り、嘘、ごまかし、執着、自己中心的裁き、正義、背徳、献身、嫉妬、愛、誠実、信頼  …

などなど切りなく…

表面のワタシが穏やかさを求めれば求めるほど、

ドラマティックなストーリーを招くのです。

なぜなら、内面が外に表れるのだから。

ワタシの心が作った結果が、瞬時に外側に現れている。

驚愕!

エゴの世界。

 

 

通奏低音のようにずっと「この世界とは何か? わたしとは何か? 」 を知りたかった、

と書いたことがありますが、

すべての人、もの、こと、この世界に、通奏低音のように流れているのは、

 

平安。

 

平安なのです。

愛、ということばは、くすぐったいかもしれないけれど、愛、です。

怖れとは、愛を求めて叫んでいる姿。

 

でも、あるものは、愛だけです。

それ以外は、何も起こっていない。

 

 

何も起こってなどいない、という贈り物を、

受け取りました。

片時もそれを忘れない態度を、身につけていこうと思います。