重要なのは今しかない

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この瞬間の真っ只中で、脅かされた自分のイメージを慌てて守ろうとせずに、今現れているすべてのものが深く受容されている境地を見つけることができるだろうか? この瞬間を、深い受容への一つの壮大な誘いとしてただ見ることができるだろうか? 愛されていないと感じる気持ち、私のことについて相手に言われた内容が正しいかもしれないという可能性、相手に拒否されるのではないかという恐怖、もう二人の関係は終わりで相手が去って行くのではないかという恐怖でさえ、すべてこの瞬間に、ただここにあっても構わないだろうか? 胸の苦しさ、例えるならみぞおちにパンチを食らったような感じ、喉が締めつけられるような感覚、あなたの全世界が一時的に崩れ落ちるような気持ち、そういった体験のすべてをこの瞬間に深く許すことができるだろうか? 明日許そうと考えるのではなくて、昨日許せたかどうかを考えるのではなくて、今許せるだろうか? 重要なのはしかないのだ。
たとえ、あなたが私とても挑戦的なことを言ったとしても、たとえ私が深く傷ついたり、侮辱された、拒絶された、愛されていないと感じたとしても、私はそういった感情の真っ只中で、最も深い受容に気づくことができるだろうか? あなたのいる前で私が傷ついたと感じ、痛みを感じ、悲しみを感じ、怒りを感じ、愛されていないと感じ、心細さと無力さを感じるのを、ほんの少しの間ただ許し、それをそっとしておくことが私にできるだろうか? ほんの少しの間、その傷ついた心を完全に自分の中に招き入れることを許せるだろうか? 傷ついた心がすでに許されている境地を見つけられるだろうか?
 傷ついた心を招き入れることがどんなに常識に反していて、どんなにエゴによる自尊心を脅かすものであっても、その傷を十分に感じることを許すとき、私たちは傷ついている状態に終わりを告げる。言い換えると、深く受容されている傷ついた心が「傷ついた人」は私であるというストーリーを打ち壊すのだ。

 

 

 

『もっとも深いところで、すでに受け容れられている ー普段の生活の中で根本的に目覚める』   愛、人間関係、そして徹底的な正直さ より P301-303    ジェフ・フォスター著 

 

 

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降伏する

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その瞬間に「このことは受け入れることは不可能だ。あまりに耐えがたいことだ」と思ったら、

「受け入れられない」という事実を受け入れるのです。

「ありのままを受け入れる」ということは、

「耐え難く、いまは受け入れられない」ということを受け入れることから始まります。

おっしゃる通り、時に受け入れがたいことや我慢しがたいことが起こります。

それが、その瞬時に自分の中に現れた感情で、

「我慢できない、耐えることができない」ということがその瞬間の事実なのです。

我慢出来ないことを我慢しようと試みないでください。

耐え難い出来事に出遭った時に、

スピリチュアルの教えを使ってその場を切り抜けようとしないでください。

「受け入れること」は取り除くこととは違います。

 

たとえ、「もうこれ以上やっていけない。もうこれ以上我慢できない」

という感情や考えが自分の中に現れたとしても、

そこから逃げないで、自分の中に現れた感情をそのまま認識し、

そしてその状態が自分の中に現れたことを許可するのです。

それが、「 The Deepest Acceptance 」なのです。

その「耐え難い」瞬間もどうしたものか神聖な瞬間となるのです。

その瞬間に、「なぜ、こんな辛いことが自分に起きているんだ?一体自分が何をしたというんだ?」

とののしるか、

ライフをコントロールすることなど不可能だと降伏し、

感謝の気持ちでいっぱいになるかのどちらかでしょう。

 

ジェフ・フォスター

 

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意味から自由になる

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良いけど良くない、

好きだけど嫌い、

幸福だけど不幸、

意味があるけどない…

 

この世はそんな裏腹なことに溢れています。

 

私は何のために生きているのか。

生きる意味とは何か?

それは何を意味しているのか?

そんなことをして何の意味があるのか?

 

私たちは何ごとにも意味を見出そうとし、意味をつけたがる。

人間の脳はそんな風にできているのでしょう。

意味のないことなんて意味ないよって思わずに、

意味がないことをただ受け入れるのはちょっと勇気がいるけれど、

そこにこそ自由が広がっている。

 

意味を求めない、とか、あるがまま、とか、どちらでもよい、とか、

シンプルな言葉ほど、それを正しく聞くことは難しい。

わかったつもりで勝手に解釈したり、自分流にしてしまうのは簡単ですが。

ヨガで習った 信じるな 疑うな 確かめよ という意味が少しだけ分かって来た気がします。

 

 

 

ことばのむこう

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今朝、交差点でお散歩中の犬と飼い主に目が止まりました。

犬はしきりにある場所の匂いを気にしてその場を動こうとしません。

飼い主はグイッとリードを引っ張って歩き出そうとしますが、犬は首を引っ張られながらも匂いを嗅いでいて、

飼い主は仕方なくその犬を見つめて待っています。

犬は言葉を話さないけれど、はっきりと自分の意志を示しています。飼い主は犬の意志を受け入れています。

犬も人間も生命が宿るものとしてみれば同じだなぁとそれを見ながら思っていました。

人間には言葉があり理性があるので犬よりはスペックが複雑、しかしそれは人間という生物の在り様で、良いも悪いも上も下もない。

 

インドの仏教の考え方では動物までは生命があるから動物を食べてはならず、植物にそれはないから食べてオーケー、

そういうわけで仏教者はベジタリアンで、動物を食べませんが植物は食べるのだそうです。

日本には草木にまで生命があり仏性があると考える。まして動物の成仏は当然。

インドという土地や歴史・気候が作った考え方と日本の風土が作った考え方。

あるものの見方や考え方は、その歴史風土に合ったカタチで長い間に作られ、ある点から見ればそれは整合性があるけれど絶対普遍ではない。

 

これまで洋の東西を問わず人間の本質について書かかれて来た本や教えをあれこれ読む時、

私たちはそのままそれを読んで鵜呑みにするとかその通りにする、そうなる事を目指すなんてことはできません。

青空禅の伊東先生がおっしゃっていましたが、時代も環境も違うから同じようにはならないし、出来ない。

絶対普遍は、言葉でというより、エッセンスで伝わる。

私たちに出来ることは、そのエッセンスをつかむこと、汲み取ること。

それは理解というより、キャッチするセンス。

書かれたことばを理解するのではなく、言葉にとらわれずに感じ取るセンス。

 

人と人の出会いはありがたいもので、いろいろな可能性に気づくことが出来ます。

例えば誰かを好きなったら、最初はその人のことをまるごと好きになって夢中になっているけれど、

段々と現実的になって少しずつ相手への批判が生まれます。

相手への要求が高まって不平不満もいっぱい、自分のことは棚に上げて(苦笑)。

それでも好きになったり嫌いになったりしながら人間はなんとか関係を維持していきます。

そんなシーソーみたいな繰り返し。

その繰り返しに、もうウンザリと思うこともあるけれど、

肉体を持った人間であればこそのシーソーであって、けっして悪いばかりではありません。

人間って愚かだなぁとか、どうしようもないなぁとか、思うことしばしばあれど、

人間はそれでも素晴らしいという希望、承認、愛情はいつもどこかにあるのです。

これまたシーソー。シーソーがあればこそ可能性に気づける。

繰り返しているうちにいつの間にかシーソーの真ん中で微笑んでいたりして。

 

自分の中に初めて愛が生まれた時のあの感じを思い出すと、そんな愛が自分にあること自体に感動してしまいます。

好きになったり嫌いになったり、勝ったり負けたり、怒ったり笑ったり…

それ自体が悪いのではなく、その見方や感情に固定してとらわれてしまわなければ良いだけ。

どちらでもいいではなく自分の意見を持て!と教育されて来たので、

自分の見方や考え方を主張することが良いことだと思って来ましたが、そのためにずいぶん余計なエネルギーを費やして来ました。

でも、本当はどちらでも良い、ありのままで良い。好きになったら好きになったのでよく、嫌いになったら嫌いになったのでよい。

良寛さんもそう言っていたものね。

 

昨日、思考いっぱい派の私にも、ちょっといいことがありました。

長いこと繰り返し頭を抱えて来た問題に対して、

それでもあれほど素晴らしい時間を過ごせたことに本当に感謝だわと、気がついたら勝手にそう思っていたのです。

ふふふん、シーソーがちゃんと動いている。

大きな普遍の愛と同じように、感謝のような身の回りのささやかな愛情を大切にしたいです。

 

あるがまま

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素直って、なかなか難しい。

気が付かないで持っている小さなつまらないプライドが、へへん!とけっこう格好つけていたりします。

自分のことをちゃんと扱われたい(承認欲?)、

相手の言うことを受け取る前に「 だって… 」という言葉が出る(支配欲?)、

きっとこのちっぽけなプライドがあるからじゃないかな。

ちっぽけなプライドの正体は、小さな私が怯えている姿。

素直になれた時は、ひろびろとしてとても気分良く寛いでいるのに。

 

相手と違っていても、その違うところをリスペクトすれば怖くない。

同じところがあったら、そうそう!と共にそれを喜べばよい。

素直っていうのは、やって来たものに抵抗しないっていうことかもしれない。

 

今朝は、いつもと変わらないキッチンの当たり前の風景を見て、

当たり前のことになぜかとても感謝したくなりました。

 

 

受容

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 もしあなたの行く手に立ち塞がってあなたの人生に影を投げかける人がいたら、何時だって一歩外すことができるということを覚えておこう。
いずれにしろ、道の向こう側のほうが日当たりがいいかもしれない。 その上、石ころだって少ないかもしれない。

 人生は実に多くのことを要求する。  一所懸命努力しても報われることが少ない場合が多い。 大切なことは、希望と力と粘り強さを持つこと。
あなたは自分が感謝されることがあるなんて思ったことがあるだろうか?

 人から傷つけられたら、どうしようか? その人を愛しているならやさしくするようにしよう。 そうでなかったら距離をおくようにしよう。

 受容はあなたが状況に対応できるだけに成長したということなのです。

 

「 今日という日は贈りもの 」 ナンシー・ウッド著 より抜粋

 

祈り

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変えられないものを受け入れる心の静けさと、

変えられるものを変える勇気。

それらを見分ける英知を与えてください。

(ラインホールド・ニーバーの祈り)

*写真(上)は、写真家の百瀬恒彦さん撮影、礼拝堂へ向かうマザー・テレサ