「真我として在りなさい」

ラマナマハルシのことば

 

質問者:

真我を実現すると、人は何を見るのでしょうか。

 

マハルシ:

そこに見るということはない。見るということは、ただ在るということだ。われわれが真我の実現と呼ぶ状態は、新たな何かを達成することではなく、どこか遠い目的地に到達することでもない。それはつねにあなたであるもの、そして今までずっとあなたであったものとして、ただ在ることである。あなたに必要なのは、ただ誤りを真実と見なすのをやめることだけだ。われわれは皆、実在ではないもの実在だと見なしている。ただこの習慣を放棄するだけでいい。そうすれば、われわれは真我を真我として実現するだろう。言い換えれば、「真我として在りなさい」ということである。あまりにも明白な真我を発見しようとしているあなた自身を笑うときが、いつかやってくるだろう。だから、この質問に対していったい何が言えるというのだろう?
その境地は見る者も見られるものも超越する。そこには何かを見ている見る者がいない。これらすべてを今見ている見る者が存在を消し、そしてただ真我だけが残るのである。

 

「あるがままに ラマナ・マハルシの教え」第一章  真我の本性  P22より抜粋

 

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ラマナ・マハルシの教え

真我

 

質問者

あなたはときおり、真我は沈黙であると語っています。なぜでしょうか?

 

マハルシ

真我のなかで無心の美しさを生きる者にとって、考えるべきことは何ひとつない。なぜなら、その至高の状態のなかでは、真我以外に達成されるようなものは何も存在しないからだ。

 

 

 

「あるがままに  ラマナ・マハルシの教え」 第1章 真我の本性

 

 

 

 

質問者

あなたは在ることについて語っています。何として在ることでしょうか?

 

マハルシ

あなたの務めはただ在ることであり、あれやこれやとして在ることではない。「私は私であるものである」( I AM THAT I AM)という言葉がすべての真理の要諦である。その方法は、「静かに在ること」に尽きる。では静寂とは何を意味するのだろうか? それはあなた自身を打ち壊すことを意味する。なぜならすべての名前と形が苦しみの原因だからだ。「私はこれである」という観念を放棄しなさい。真我を実現するために必要なのは、静かに在ることだけである。それ以上簡単なことがあるだろうか? それゆえ、アートマ・ヴィディヤー(真我の知識)の達成は最も容易なことなのである。

唯一、自己の真の本性だけが、調べられ、知られる価値のあるものである。それを注意の的として射止め、ハートのなかで強烈にそれを知るべきである。この自己の本性の知識は、苛立ち苦しむ心の活動から解放された、明晰で平静な意識にのみ明らかにされるだろう。ハートのなかで絶えず輝き続ける意識こそが無形の真我であり、存在や非存在である何か、などと考えることなく、ただ静かに在ることによって知られるもの、ただそれだけが完全な実在であると知りなさい。

 

 

「あるがままに   ラマナ・マハルシの教え」 第5章 真我探究ー実践より

 

 

世界そのものもないという真理

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お誕生日でした。

人生初、抱きかかえるほど大きな30本のピンクの薔薇の花束をいただきました  ♪♪♪

オトメ心、ヒメ気分、オトナの少女趣味、充ち満ち〜♡

… 30歳になったワケではありませんけどね。

 

誕生日の『誕』という漢字には、

なんと、「いつわる うそ でたらめ」などなどの意味があります。

ビックリでしょ?

 

…… おめでたい誕生日とかけて、

生まれた、ということが イツハリ  と解きます。

そのココロは!?

 

「ただひとつの真理だけが存在する。

誕生も死もなく、世界を投影することも、世界から退くこともない。

真理の探究者も、束縛も、解脱もない。

ただ至高の一者だけが存在する」

 

ぽんっ

 

 

質問者:

シュリー・チャンカラーチャーリヤのヴェーダーンタ哲学のなかでは、

初心者のために世界の創造の原理が受け入れられていますが、

より熟達した探求者には非創造の原理が説かれています。

この問題におけるあなたの見解はどのようなものでしょうか?

 

 

マハルシ:

「そこには世界の崩壊も創造もなく、束縛された人も霊的修練を積む人もいない。

解脱を求める人も解脱した人もいない。これが絶対的な真理である。」

このシュローカ(聖典の一節)は『ガウダバーダ・カーリカー』の第二章に見られ

る。

真我の中に確立された人は、自らの真理の知識によってこれを知るのである

 

 

質問者:

私たちが見ているこの世界は、真我によって創造されたのではないでしょ

うか?

 

 

マハルシ:

真我自身が多様な名称と形態の世界として現れたのであって、

真我が世界の創造、維持、破壊という行為(ニミッタ・カーラナ)をするのでは

ない。

 

「どうして真我が真実を知らずに混乱して、それ自身を世界として現したのか?」

 

と尋ねるよりも、

 

「この混乱は誰にとって起こったのか?」

 

と探究していきなさい

そうすれば、このような混乱が真我に起こったことはないと知るだろう。

 

 

 

 

『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』より抜粋

 

 

 

真我のなかで無心の美しさを生きる

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質問者: 真我を実現すると、人は何を見るのでしょうか?

 

マハルシ: そこに見るということはない。見るということは、ただ在るということだ。

われわれが真我の実現と呼ぶ状態は、新たな何かを達成することではなく、どこか遠い目的地に到達することでもない。

それはつねにあなたであるもの、そして今までずっとあなたであったものとして、

ただ在ることである。

あなたに必要なのは、ただ偽りを真実と見なすのをやめることだけだ。

われわれは皆、実在ではないものを実在だと見なしている。

ただこの習慣を放棄するだけでいい。そうすれば、われわれは真我を真我として実現するだろう。

言い換えれば、「真我として在りなさい」ということである。

あまりにも明白な真我を発見しようとしているあなた自身を笑うときが、いつかやってくるだろう。

だから、この質問に対していったい何が言えるといえるのだろう?

 その境地は見る者も見られるものも超越する。そこには何かを見ている見る者がいない。

これらすべてを今見ている見る者が存在を消し、そしてただ真我だけが残るのである。

 

 

質問者: あなたはときおり、真我は沈黙であると語っています。なぜでしょうか?

 

マハルシ: 真我のなかで無心の美しさを生きる者にとって、考えるべきことは何ひとつない。

なぜなら、その至高の状態のなかでは、真我以外に達成されるようなものは何も存在しないからだ。

 

 

 

「 BE AS YOU ARE      The Teaching of  Sri Ramana Maharshi 」

 デーヴィッド・ゴッドマン編 より抜粋

 

 

自我とは何でしょうか?

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マハルシ:疑いや恐れが自我なのです。自我が消え去れば、それらもともに消え去るでしょう。

自我そのものは実在ではありません。

自我とは何でしょうか? 探究しなさい。

身体は生命意識を持たず、「私」ということはできません。

真我は非二元的な純粋意識です。それも「私」と言うことはできません。眠りの中では誰も「私」とは言いません。

 

それでは自我とは何でしょうか? 

それは生命意識を持たない身体と真我との間に介在するものです。

それは認識できるような実体を持っていません。そして探し出そうとすると、幽霊のように消え去るのです。

 

 

人は暗闇にいると、そばに何かがいると想像してしまいます。それは何か黒い物体かもしれません。

近寄って見ると幽霊は見えず、ただ木やポストのような物体を見間違えただけだということがわかるのです。

近づいてみなければ、幽霊は彼を脅かしたでしょう。

必要なのは、ただよく見ることだけです。

そうすれば幽霊は消え去ります。幽霊は初めからそこにいなかったのです。

自我においても同じことです。それは身体と純粋意識の間に介在する実体のない結び目です。

それは実在しません。

よく見てみないかぎり、それは問題を与え続けるでしょう。

しかし、探し出そうとすれば、存在していなかったことがわかるのです。

 

 

ラマナ・マハルシとの対話より

月〜 ふたつでひとつ

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宋海君先生の奥様から、立派な月餅をいただきました。

 

今週の火曜日は満月。

明日は旧暦の8月15日で十五夜のお月様。

1年でもっとも美しい月が見られる日とされているそうですが、私にはお月様いつでも美しく、優しく見守ってくれているよう。

夜の高速道路でビルの間から突然目の前に現れたお月さま、

疲れた帰り道、ふと見上げた空に輝く月を見付けた時、

夜空の一角、雲の奥にうっすらとお月様の存在を感じた時、昼の水色の空に見た白い月 …

思い浮かぶ月の姿は尽きることがありません。

太陽と月。

どちらも太古の昔から人間が想いを寄せてきたものですね。

 

陰陽で言うと月は陰。そして女性性を表します。

先日ヨガで、「 あなたの身体は神殿である 」 という言葉をあらためて感じてみました。

これは、

 

The body is your temple,
Keep it pure and clean,for the soul to reside in.

あなたの身体は、寺院である。
その中に“魂”を宿すために、純粋に清澄に保ちなさい

 

という故アイアンガー師の有名なことばです。

 

 

本質を求めるここまでの道は、それまで良いことだと信じていたことを疑ったり、否定したり、失望したりすることでもありました。

身体にとらわれないこと、心にとらわれないこと、言葉にとらわれないこと … あまりの寄る辺なさに、戸惑い反発することが何度もありました。

しかし、あれもこれも全てが現れる源だけがあるのだと知り、今はひとつひとつがあらためて輝くように新鮮で素晴らしく感じられます。

私には女性という身体の神殿があり、男性には男性という身体の神殿があってこの生命を輝かせている。

二極のものは、もともと切っても切れないコインの表裏で実はひとつ。

だから正反対はどちらも同じように尊くて、本来、大の仲良しなのでしょうね。

 

 

月は太陽の光の反射で輝く。

太陽が沈んでしまうと、月が対象物を照らし出すのに役立つ。

太陽が昇ってしまうと、まだ空には月がかかっていても、誰も月を必要としない。

 

心とハートの関係はそのようである。

心は、その反射された光によって役立つようになる。

それは対象物を見るために使われる。

 

心が内面に向けられると、

光明の源が自ずと光り輝き、

心は昼間の月のように役に立たなくなる。

 

ラマナ・マハルシの言葉より

 

 

 

 

 

 

 

 

誰が輝くのか

check your heart

ラマナ・マハルシ。

たどり着くのは、究極、ですね。

 

 

朝日が昇るまえの月を見て、シュリー・バガヴァーンは語った。

「月を、そして空の雲を見てごらんなさい。

その輝きはどちらも同じように淡く、月でさえ一片の雲のように見えます。

ジニャーニ(*真我を実現した者)の心も、

朝日の前のこの月のようなもので、それはそこにあってもそれ自身では輝かないのです」

 

ラマナ・マハルシとの対話 より