彼方へと超えていきなさい。

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質問者

私が若かったとき、短いけれども忘れがたい奇妙な体験をしました。それは無としての存在、ただの無でありながら、しかも完全に意識して在るというものです。しかし危険なのは、すでに過ぎ去った瞬間の記憶からそれを再生しようとする欲望を持つことです。

 

マハラジ

それはすべて想像だ。意識の光のなかで、ありとあらゆることが起きる。人はそのどれにも特別な重要性を与える必要はない。花の眺めは神のヴィジョンを見ることと同じように奇跡的なものだ。それはそれとして放っておきなさい。なぜ思い出し、その記憶を問題なやしなければならないのか?それを片寄りなく見ることだ。高い低い、内側と外側、永遠と一過性を区別してはならない。彼方へと超えていきなさい。源に戻りなさい。何が起ころうと変わらない自己へと向いなさい。あなたの弱点は、世界のなかに生まれたと確信していることだ。実際には、世界はあなたによって、あなたのなかで、常に再創造されているのだ。すべてをあなたの存在の源である光から出現したものとしてみなさい。その光のなかに、あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。

 

I AM THAT  Talks with Sri Nisargadatta Maharaj
ニサルガダッタ・マハラジとの対話     

『無知は認識できるが、ジニャーナは認識できない 』 P215より抜粋

 

*ジニャーナ 真理の知識

しかしジニャーナは原因と結果に縛られるようなものではない。それは因果律を完全に超えたものなのだ。それは真我のなかにとどまることだ。

 

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*自己の本質を知り、意識の軸を変容する〜

伊東充隆主宰   

和サンガ   東京3期(6ヶ月コース)1月7日(土)スタートしました。

引き続き、募集中(応募締切りは1月末日)

詳細・お申し込みはこちらから→

 

それが何を得るというのだろう?

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質問者

もし私が永遠に完全であるなら、いったいどうして私は生まれてきたのでしょうか?この人生の目的は何なのでしょうか?

 

マハラジ

それは金をひとつの装飾品につくり変えることに、いかなる利益があるのかと尋ねるようなものだ。装飾品は色彩と金の美しさを得るのだ。金が豊かになったわけではない。同じように、実在が行為のなかで表現されたとき、その行為は意味をもち、美しくなるのだ。

 

質問者

その表現を通して、実在は何を得るのでしょうか?

 

マハラジ

それが何を得るというのだろう? まったく何も得はしない。だが、それ自身を表現し、それ自身を肯定し、困難を克服するのは愛の本性なのだ。ひとたび世界は行為のなかの愛なのだと理解するならば、あなたはそれをまったく違ったように見ることだろう。しかし、まずはあなたの苦しみに対する態度を変えなければならない。苦しみは根本的に、注意を求める呼びかけだ。それ自体が愛の動きなのだ。幸福よりも、愛は意識と存在の広がりと深まりにおける成長を求める。何であれ、成長を妨げるものは苦痛の原因となる。そして愛は苦痛を避けたりしないのだ。正義と秩序のために働くエネルギー、サットヴァは妨害されてはならない。進行を妨害されると、それはそれ自身に対して破壊的になるのだ。いつであれ愛を与えることが控えられたとき、争いは不可避となる。隣人の苦しみへの無関心が、私たちのもとへ苦しみをもたらすのだ。

 

 

『アイ・アム・ザット   私は在る』ニサルガダッタ・マハラジとの対話 
絶対的な完成は今ここにある   P438より抜粋

平和と調和、友情と愛に生きる技

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すっかり秋になりましたね。

 

 

先週のプロトマニアは、とっこさんのピラティスに、

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青空禅フォーラムや

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よよヨガクラスや

 

中尾流絵画鑑賞入門講座でした。

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写真も撮ったし、みなさんに見て聞いていただきたいことたくさん。

プロトマニアの  Facebook にもアルバムを作りましょ〜っと。

 

プロトマニアの先生たちってホントに素敵。

参加して下さる方達もホントに素敵。

一期一会、と思いながらいつもお迎えしています。

 

嬉しいことも、戸惑うことも、だいじなこと。

体験に遭遇させて、しみ込ませてくれる、このすべてに感謝いっぱい。

 

 

マハラジせんせいのこの言葉を携えていこう。

 

質問者
誰もがあなたに出会う機会があるわけではありません。

マハラジ
あなた自身に出会いなさい。あなた自身の自己とともに在りなさい。それに耳を傾けなさい。それにしたがいなさい。それを育み、絶えず記憶のなかにとどめておきなさい。あなたにほかの指導は必要ない。あなたの真理への衝動が日々の生活に影響を及ぼしているかぎり、すべてはうまくいくだろう。あなたの生を、誰も傷つけることなく生きなさい。無害であることは、ヨーガのもっとも強力な修行形式なのだ。そして、それがあなたをすばやくゴールへと導くだろう。これが、私がニサルガ・ヨーガ、自然のヨーガと呼ぶものだ。それは平和と調和、友情と愛に生きる技だ。その結実が、永遠で原因のない幸福なのだ。

 

*ニサルガ … 自然な状態 生来の性質

 

 

 

 

助けとなるのは沈黙だ。

ニサルガダッタ・マハラジ

マハラジ

まったくそのとおりだ。真の探究はつねに何かのなかへであって、何かから外へではない。私がいかにして何かを得るか、あるいは避けるかを探究するときは、本当に探究しているとは言えない。何かを知るためには、完全にそれを受け入れなければならないのだ。

 

質問者

そうです。神を知るには神を受け入れなければなりません。何と恐ろしいことでしょう!

 

マハラジ

神を受け入れる前に、あなたはあなた自身を受け入れなければならない。それはもっと恐ろしいことでさえある。自己受容の第一段階はまったく喜ばしいものとは言えない。なぜなら、人は楽しい光景を見るわけではないからだ。先へ進んでいくには、すべての勇気が必要とされる。助けとなるのは沈黙だ。完全な沈黙のなかで、あなた自身を見守りなさい。あなた自身を描写してはならない。あなただと思いこんでいるあなたを見てみなさい。そして、あなたはあなたが見ているものではないことを覚えておきなさい。「これは私ではない。私は誰か?」が自己探究の動きなのだ。解放へのほかの手段というものはない。すべての手段は延期を意味するのだ。あなたでないものを断固として拒絶しなさい。真の自己が荘厳なる無のなかに現れるまで。それは、「何ものでもないもの」なのだ。

 

『私は在る』ニサルガダッタ・マハラジ 「理解は解放へと導く」P545   より

 

 

*抑制や抑圧ではない、理解するマインドへのサポートはこちら

→ 伊東充隆 主宰 青空禅フォーラム+東京和サンガ

i Medic & Art 伊東充隆先生と青空禅と和サンガ

伊東充隆 青空禅フォーラム 和サンガ

伊東先生のもとで学ぶ東京の和サンガ2期は、後半に入りました。

ずっと伊東先生の会に参加している人もいるし、

あちこちで探究してここに辿り着いた人もいます。

各々が、それぞれのペースで一つのことに真摯に向かっています。

 

去年の秋からスタートした東京での和サンガ

まだ一年も経っていませんが、

和サンガという継続クラス、場の意味深さ、影響、パワー、希有さ…。

それを実感しています。

地方の先輩たちがその素晴らしさについて言ってたことが、わかってきた。

 

 

 

9月の和サンガで、伊東先生はきっぱり、こう言いました。

 

 

あるのは純粋な意識のみ。

 

 

あまりにキッパリしていて、その言葉のエネルギーはどんとおなかに響きました。

「土台はただ純粋な意識のみ、それが基底。」

この言葉はよく目にするし、聴くこともあります。

じゃあどうすればそれが基底だってわかるの? 実感できるの?

…そうですよね。

その時は、青空禅フォーラムや来年初頭スタートの和サンガ3期へ。

伊東先生は一人一人の疑問、言葉に誠実に耳を傾け、

ポイントやコツを丁寧に話して応えてくださいます。

そして求める私たちは、

先生がから聴いたことをうのみにしな〜い(♪)で、

聴きながらその場で検証してみる。後回しにしない。コツは実践する。

たとえば和サンガでは、その日々の実践を継続できるように、

具体的な宿題をもらったり、参加者同士のコミュニケーションがあったりします。

だからたった一人で頑張るよりも、一緒にやっている友人たちがいることで、

早々と挫折しないで(笑)、落ち込まないで、ヤサグレないで、継続可能。

継続と習慣は、最大の力なり。

 

東京で和サンガが開催されて、それに参加できて、

とにかく嬉しい。しみじみ嬉しい。しつこいけど、本当に本当に良かった〜♡

 

 

 

あなた自身のためには、何も必要ない。
あなたは純粋な明け渡しだ。
無始無窮(むきゅう)であり、
無尽蔵なのだ。
あなたが悲しみや苦しみを見るときは、
それとともに在りなさい。
性急に行動に走ってはならない。
学ぶことも行動も、
本当の意味での助けにはならないのだ。
悲しみとともに在りなさい。
そして、
その根底にあるものを露(あら)わにしなさい。
理解することを助けることが
本当の助けとなるのだ。
 
『私は在る』ニサルガダッタ・マハラジ より

 

 

*伊東充隆 主宰* 青空禅フォーラム 9月22日(木祝) 14時〜16時 

お申し込みは、9月青空禅参加と書いてね〜、こちらからどうぞ→

 

 

真理はいかなる利点もあなたに与えない。

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質問者

では、何が私を成熟させるのでしょう? 体験が必要なのでしょうか?

 

マハラジ

あなたはすでに必要な体験をすべて得ている。そうでなければここには来なかっただろう。これ以上体験を積む必要はない。むしろ体験を超えていかなければならないのだ。あなたがいかなる努力をし、いかなる修練(サーダナ)にしたがおうとも、それは単により多くの体験を重ねるだけで、それを超えてはいかない。本を読むこともまた、あなたを助けはしないだろう。それらはあなたのマインドを豊かにするだろう。だが、個人であるあなたは影響を受けないままだ。もし探究から物質的、精神的、霊的な何らかの恩恵を期待するなら、あなたは要点をはずしているのだ。真理はいかなる利点もあなたに与えない。それはあなたにより高い地位も、他者に対するいかなる権力も与えはしない。あなたが得るのは真理、そして偽りからの自由だけなのだ。

 

質問者

真理は他者を助ける力をあなたに授けるに違いありません。

 

マハラジ

たとえどんなに高尚であろうとも、それは単なる想像にすぎない! 真理においては、あなたは他者を助けたりしない。なぜなら他者というものは存在しないからだ。あなたが人びとを高尚な人と程度の低い人に区別し、高尚な人に程度の低い人を助けるように頼むのだ。あなたが分割し、判断し、評価し、非難するのだ。真理の名のもとに、あなたは真理を破壊してしまう。真理を公式化しようとするあなたの欲望そのものが、真理を否定するのだ。なぜなら、それは言葉のなかに包括できないものだからだ。真理は行為のなかで偽りを否定していくことによってだけ表現できる。このために、あなたは偽りを偽り(ヴィヴェーカ)として見なければならない。そしてそれを拒絶する(ヴァイラーギャ)のだ。偽りを放棄することが、解放と活力を与える。それは完成への道を切り開いていく。

 

質問者

真理を発見したことを、いつ知るのでしょうか?

 

マハラジ

「これが真理だ」、「あれが真理だ」といった考えが起こらないときだ。真理が自らそれ自身を主張することはない。それは偽りを偽りとして見ることのなかにあるのだ。マインドが偽りによって盲目になっているとき、真理の探求は無駄になってしまう。真理があなたに現れる前に、偽りは完全に浄化されなければならないのだ。

 

 

 

『  I AM THAT   私は在る  ニサルガダッタ・マハラジとの対話  』

幸福へのすべての探求が不幸だ より抜粋

 

純粋な存在は描写できない

マハラジ

質問者

日々の生活のなかで、あなたはつねに実在の状態を意識しているのでしょうか。

 

マハラジ

意識もしなければ、無意識でもない。私には信念は必要ない。私は勇気を生きる。生命の愛である勇気が私の本質だ。私には記憶や不安がない。私が何であるか、あるいは何でないかということには無関心だ。自己描写にふけったりもしない。「ソーハム」(我は彼なり)、や「アハム ブラフマースミ」(我は至高なるものなり)といった偉大なマントラも無用のものだ。私には無として在る勇気がある。そして世界をあるがままに、無として見るのだ。シンプルに聞こえるだろう?試してみなさい!

 

質問者

しかし、何があなたに勇気を与えたのでしょうか?

 

マハラジ

あなたの見方は何と倒錯しているのだろう。勇気は与えられる必要のあるものだろうか?あなたの質問は不安が正常で、勇気は異常だということを暗示している。それは反対なのだ。不安と期待は想像から生まれる。私はその両方から自由だ。私はシンプルな存在だ。何に依りかかる必要もないのだ。

あなたがあなた自身を知らないかぎり、存在があなたにとって何になるというのだろう? あなたのままで幸福であるには、あなた自身を知らなければならないのだ。

在ることは、知ることとして輝く。愛のなかの暖かさ、それを知ることだ。それはみなひとつだ。あなたは分離を想像しておいて、疑問に頭を悩ませている。公式に関わり過ぎてはならない。純粋な存在は描写できないものなのだ。

 

 

『  I AM THAT   私は在る  ニサルガダッタ・マハラジとの対話  』

はじまりなきものは永遠にはじまる より抜粋