ゆっくりする。

 

力を抜く、余計な力みを解く。

身も心も。

それは本質に向かう時に、とても助けになります。

 

意識的にくつろぐ時間を作ることは、大切。

 

 

意図的にゆっくり話す。ゆっくり歩く。ゆっくり動く。ゆっくり食べる。ゆっくり呼吸する。

 

 

試しにやってみてくださいね。

こんな簡単なことで、気づくと身体も心も理由なくホッとしているからね。

 

 

 

伊東充隆主宰 青空禅塾*9月2日(土)募集中。

伊東充隆 青空禅

 

青空禅塾の第2回、9月の募集をしております。

 

9月2日(土) 13時〜17時まで 4時間

 

 

この不立文字の「自己の本質」は、結局、学習するものではないのだと思います。

 

その辺りのニュアンスは、伊東先生の「 青・空・禅・塾 」 では、無理なく、心地よさと楽しい雰囲気と共に、漂っているかもしれません。

 

 

ところで、毎回、伊東先生がどんな感じの先生か、どこが素敵なのか、どれくらいスバラシ〜〜〜イ♡のか、とかとかとか。私は一所懸命、茶坊主のようにせっせと書いてお伝えして来たのですが、ふとここへ来て思ったのです。

 

どんなに、先生のお話の内容は明晰で分かりやすくて希有な場です、伝え方はこんなところが秀逸です、誠実です、情熱イッパイですと、先生の素晴らしさを私が書き続けても、・・・・それだけ。

それは、それだけ。

 

 

 

だから今日は書きますよ、いいですか〜

 

 

来てっ。

 

 

 

・・・♪

 

以上です。

 

伊東充隆 青空禅

 

* 言葉ではない。不立文字の「自己の本質」とは・・・

伊東充隆主宰 第2回青空禅塾

 

9月2日(土) 13時から17時まで

 

お申し込みは青空禅塾参加と書いて、こちらからどうぞ→

 

 

 

 

立秋も過ぎましたので、とっこさんの講座〜

 

立秋は昨日だったのですが、今日の暑さと言ったらね〜

立秋だからって、さっさと秋になるわけじゃないのですが、その辺りのお話はプロトマニアでも講座をして下さった 景山えりか さんのウェブサイトを読んでみてくださいね〜

 

それにしても私たちは自然なので、からだがそれと共にあるのを感じます。都会での便利な生活に慣れているのでエラそうなことは言えませんが、私はヨガを通して身体の声を聴くのが日常に根付いている方だと思うので、ちょっとした皮膚の乾燥やむくみでもシグナルかな〜と受け止めています。

 

9月にはプロトマニアで小西美智子さん、とっこさんの秋の講座があります。

 

とっこさんの『季節ごとの心身調和のための学び』長月の身体と心を学ぶ

 

一年を通して、季節ごとに開催するこのとっこさん講座。

秋は 9月17日(日) 夜 の開催です。

 

*とっこさんからのメッセージ〜

暦の上では秋となる長月、とはいえ残暑の続く初秋です。夏という季節のままの生活を送っていると、身体は整えられず、冬への準備もできず、身心の不調へとつながります。皆さんと一緒に、長月という季節の身体と心を学びながら、身心を秋モードに切り替えていこうと思います。今回は夏に引き続き、「秋の養生法」をご紹介する予定です。秋は夏に成長した植物が実を結ぶ季節。すべてが成熟し、収穫を迎えます。秋は夏の疲れを癒し、冬に備えて身心を整える季節ですから、しっかりと季節の変わり目の養生を学んでください。秋、自然界も陽から陰へと変わる時。春・夏と陽気に満ち、外へ向けていた気持ちを内へと向けるための、「満たされる感覚を養う呼吸法」も楽しんでいただく予定です。

 

忙しい時も、元気な時も、自分の身体をよく触って眺めて、仲良くして行きたいですね〜

楽しいトークと的確なアドバイスや知識を伝えてくれるとっこさん。

お申し込みは「とっこさん講座」と書き添えて、こちらからどうぞ→

 

 

 

 

 

伊東先生の第1回青空禅塾、〜寺子屋。

伊東充隆 青空禅

 

青空禅塾がスタートしました。

 

青空禅フォーラムや和サンガ 東京を継続して開催してきましたので、きっと、新たなこの青空禅塾ってどんな感じなのかな〜と思っていらっしゃる方も多いのではないかと思うのです。

 

内容は、青空禅塾のページでご覧いただくとして、私が感じたことを参加者としてお伝えしようと思います。

 

 

青空禅塾第1回のイメージは、

 

寺子屋!

 

でした。

 

伊東充隆 青空禅

 

伊東先生は、言葉では伝えられない「自己の本質」について、言葉を使って方向を示してくれるのですが、そこには様々な分野、例えば科学や禅や医学などの幅広い知識の中から「それ」をイメージしやすいようにエッセンスが使われます。

 

学問の情報ではなくあくまでもエッセンス。知識や言葉そのものをひとつひとつ正確に理解するためではなく、そこへ向かうツールとしてエッセンスを使うんです。その元の知識がとても幅広い。

 

伊東充隆 青空禅

 

参加者はそれぞれにピンと来るツール、ポイントが違うから、伊東先生の守備範囲の広い講義の内容は参加者にとって可能性に満ちているのです。どれか、いつか、誰かに、ある時、なるほど! とピッタリ来る。

 

そして、先生がある人の質問に対して応える時、その人が何かをうっすらとでもつかめるように、これでピンと来なかったら、こういうのはどうですか? と、手応えがあるかどうかを確かめながら丁寧に対話してくださるのです。その対話は、ひたすら親切で、真我への情熱と求める人への愛情が感じられる光景です。

 

第1回ではそれが、 とっても 寺子屋的 だったのです。

 

それまでヒーリングや心理学などを勉強したり、非二元の本を沢山読んだり、いろいろな先生の講座やワークショップに参加して来た人も、伊東先生の元でずっと学んで来た人も、ここ青空禅塾では受け身で教わるのではなく、そこまでの自分の知識や理解を携えて、それを投げかけて先生と密に、ある意味では対等に対話をしながら自ずから盲点を発見したり、その対話を聴いているうちに新たに気づくきっかけがあったりすると思います。

 

伊東充隆 青空禅

 

さて、ちょっと自分のこと。

前半で先生から「・・・さてなぜ私はこの探求を続けているのか? 話し合ってみてください」と言われた時、答えはわかり切っているはずのこの質問に、私はすごーく単純だけど、ものすごーくホッとした言葉が口から出てきました。ぽかん、とするような言葉でした。

 

なぜ、真理の探求をしてきたの?

 

 

さびしかったから。

 

 

・・・

 

こんなシンプルなことだったんだぁ。
なぁんだそんなこと?って思われるかもしれないけどね、素直そのものでこれ以上もこれ以下もないこの言葉が出てきたのです、勝手に。そうか、真理の探究とかって難しそうなこと言ってたけど、さびしさか・・・。へぇ〜って愛おしくなりました。ようやく芯に届いた気がしました。それも、何もせず、ふいに。

 

だからね、青空禅塾は先生から教わるばかりの場ではないのだと思うのですよ。

こんな風に、それぞれに自ずから何かが沸き上がって来たり、ポロリと落ちたり・・・創造の場、無のゆらぎ。

意図しないのに、気づいたら、っていうところ。

 

伊東先生は先生なんだけど同時に先生ではなく、確かにいるけど同時に、いないでいてくれる。

 

次回はぜひご一緒に。

来月9月は、2日(土)開催です。

 

 

 

 

* ” 私  ” は何処に在るのか、決して変わらないものへの入口

 

伊東充隆主宰 第2回青空禅塾

9月2日(土) 13時から17時まで

 

お申し込みは青空禅塾参加と書いて、こちらからどうぞ→

 

 

 

 

永遠の師は道そのものなのだ。

 

 

マハラジ

 

・・・一方、サットグル、永遠の師は道そのものなのだ。

ひとたび道が目的地であり、あなたはつねに道の上に在り、目的地に到達することではなく、その美しさと智慧を楽しむことを悟れば、人生は仕事ではなくなり、それは自然でシンプルに、それ自体で歓喜となるのだ。

 

 

 

Ω  I AM THAT    Talks with Sri Nisargadatta Maharaj
『アイ・アム・ザット 私は在る』ニサルガダッタ・マハラジとの対話     

「真のグル 」 P444より抜粋

 

 

 

* ” 私  ” は何処に在るのか、決して変わらないものへの入口

 

伊東充隆主宰 第1回青空禅塾

8月6日(日) 13時から17時まで

 

お申し込みは青空禅塾参加と書いて、こちらからどうぞ→

 

私はそれを普通と呼ぶ。

 

 

マハラジ

ここでは、「どのように」ということはない。ただマインドのなかに、「私は在る」という感覚を保ち、あなたのマインドとその感覚がひとつになるまで、そのなかに没入しなさい。繰り返し試みることによって、あなたはそれへの愛情と留意の正しいバランスをつかむだろう。そして、マインドは「私は在る」という思考ー感覚のなかに、揺らぐことなく確立するようになるだろう。何であれ、あなたが考え、話し、行うにも、この不変で愛情深い存在の感覚は、つねにマインドの背景として消えることなく残るだろう。

 

質問者

そして、それが解脱なのでしょうか。

 

マハラジ

私はそれを普通と呼ぶ。努力なく、幸せに、行動し、知り、在ることのどこが間違っているだろうか? なぜ身体の即座の崩壊を期待するような、そんな特別なことと考えるのだろう? 身体に死が訪れることの何が間違っているのだろうか? 身体に対する態度を正し、忘れてしまいなさい。甘やかさず、苦しめず、ほとんどの時間、意識的留意の境界下においておけばいいのだ。

 

 

 

Ω   I AM THAT   Talks with Sri Nisargadatta Maharaj
『アイ・アム・ザット 私は在る』ニサルガダッタ・マハラジとの対話    

「無欲、最大の至福 」 P68 より抜粋

 

 

 

 

 

* ” 私  ” は何処に在るのか、決して変わらないものへの入口

 

伊東充隆主宰 第1回青空禅塾

8月6日(日) 13時から17時まで

 

お申し込みは青空禅塾参加と書いて、こちらからどうぞ→

 

 

8月の中尾先生アートレクチャーは、ルソー。

 

8月のプロトマニアのアート・レクチャーは、素朴派の巨匠アンリ・ルソー。なんと中尾流白熱教室は、8月で40回目!!! パチパチパチ〜♪

 

・・・・・・

 

う〜ん、主催者、感慨ひとしおでございます。

中尾さんと出会ったのは、プロトマニアでもフラワーレメディの講座をして下さった、アートと植物のキュレイター遠藤浩子さんがキューピッド。あの頃、いつかこのお二人と何か一緒にやってみたいなぁ〜と。お得意の妄想力で、こんな風に実現しましたよ、ウフフ。

 

この「これまで誰も教えてくれなかった」アートの不思議なチカラが身に付く(♪)中尾さんの講座は、始めたばかりの頃は参加者が4人とか5人の時もあったのです。主催者は先生に申し訳ないな〜と小さくなりながら、それでも先生の熱意と魅力と太っ腹に支えられ、毎回毎回先生と皆さんと一緒に、とにかくまずは楽しんで来ました。

 

今や、プロトマニアのなくてはならないこの講座。いろいろな出会いが繋がって、毎回たくさんのエネルギーと笑顔で賑わう中尾流です。これまで参加して下さった皆さん、いつも参加して下さる皆さん、そして中尾先生、ありがとうございます。

 

 

「アートと暮らそう!なんて、あったり前さ〜♡、な人生を、これからも。

 

 

さてさて、本題です。先生からのご案内をどうぞ。

 

 

第40回《〜これまで誰も教えてくれなかった〜『絵画鑑賞入門講座』》

へたなの?うまいの?   素朴派の巨匠 アンリ・ルソー

 

前回の《ターナーとイギリス風景画(その2)、コンスタブル》の講座内容が、プロトマニアのジャーナルで、ライブ感たっぷりに楽しく紹介されています。よろしければご覧下さい。
https://protomania3.wordpress.com/2017/07/27/7月第39回中尾さんの絵画鑑賞からは、言葉が溢れ/

 

次回の『絵画鑑賞入門講座』はとうとう40回目を迎えますね!(拍手パチパチ)

この記念すべき40回目ではアンリ・ルソーをとりあげます。

 

なぜ、アンリ・ルソー?

 

熱帯の情景を多く描いたルソーは真夏にピッタリ!という発想からの単純なセレクションでしたが、実は私たちの絵画鑑賞力をテストするには絶好の教材です。夏期講習のつもりでお気軽にご参加ください。

 

ルソーはしばしば日曜画家の代表のように言われます。パリ市の税関にずっと努めていて余暇に絵を描いていた素人画家として『税官吏(ドワニエ)ルソー』とも呼ばれています。また、素朴派の巨匠とも言われます。この場合の《素朴派》というのは正規の絵画教育を受けていなくて、技術的に下手くそな画家のイメージです。たしかに彼の絵は一見人体のデッサンが狂っていたり、遠近法がギクシャクしていたり、へんてこりんな印象のものが多いですね。そんなへたくそなイメージですが、でも巨匠と言われます。へたなのに巨匠・・・?なんか変ですね!

 

ルソーはまたピカソやブラックからも高く評価されていました。そして現代絵画への影響も大きいものがあるとも言われます。1844年生まれのルソーは印象派のモネやルノワールとほとんど同世代です。それが近代を通り越して現代絵画への影響というのもなかなかすごいですね!

 

次回は皆さんといっしょに、ルソーの絵はへたなのか?うまいのか?すごいのかすごくないのか?すごいとしたらどこがすごいのか?また日曜画家であるにもかかわらず 同世代の印象派の革新を大幅に追い抜いて現代絵画にも影響を与えているというのは本当なのか?などなどいろいろな観点から話し合いたいと思います。

 

人形を持つ子供(子供の肖像) 1908 年 67x52cm

 

眠れるジプシー女  1897 年 129x200cm

 

 

私は、ルソーの熱帯的な空気感と音のない世界がとても好き。夢と現実は混在どころか共存している。夢も現実も区別のない、ただそのものの子ども時代の感覚がもどります。

中尾先生のクマさん的おおらかさ、常連参加者の皆さんのさりげない優しさ・・・初めて参加してもドキドキせずに楽しめる温かいホスピタリティと、感じたことをドンドン言う爽快感が溢れる中尾流白熱教室です。ぜひ一度、体験してみてくださいね! お申し込みは「中尾流参加」と書き添えて、こちらからどうぞ→

 

 

ただ直接の洞察だけが自己を露わにする。

 

 

マハラジ

・・・あなたはとても多くの言葉を学び、とても多くの言葉を話してきた。あなたはすべてを知っている。だが、あなた自身を知らないのだ。なぜなら、自己が言葉を通して知られることはないからだ。ただ直接の洞察だけが自己を露わにする。内側を見なさい。内側を探求するのだ。

 

質問者

言葉を放棄するのは難しいことです。私たちの精神的人生は、ひとつの絶え間ない言葉の流れなのです。

 

マハラジ

それはやさしいとか難しいという問題ではない。あなたに選択肢はない。試みるか、試みないか。それはあなたにかかっているのだ。

 

質問者

私は何度も試み、そして失敗してきたのです。

 

マハラジ

もう一度、試みなさい。あなたが試みつづけるなら、何かが起こるだろう。試みなければ、あなたは立ち往生するだけだ。あなたはすべての正しい言葉を知り、聖典を引用し、討論において優秀であるかもしれない。しかしそれでも、ただの薄っぺらな人間のままだ。あるいはあなたは目立たない、謙虚な、取るに足らない人かもしれない。それでも、愛に満ちた優しさと、深い智慧に輝いているかもしれないのだ。

 

 

 

Ω  I AM THAT  Talks with Sri Nisargadatta Maharaj
『アイ・アム・ザット 私は在る』ニサルガダッタ・マハラジとの対話     

『自己同一化からの自由 』 P533より抜粋

 

 

 

 

* ” 私  ” は何処に在るのか、決して変わらないものへの入口

伊東充隆主宰 第1回青空禅塾

8月6日(日) 13時から17時まで

お申し込みは青空禅塾参加と書いて、こちらからどうぞ→

 

伊東充隆主宰 第1回 青空禅塾。

 

テレビでシロナガスクジラの番組をやっているのを、チラチラ見ていたんですが、海の生き物たちの生態は、すべてが繋がって留まることなく円環のように循環していました。あるのは生命の動きだけ。

 

 

生きることに意味をつけようとしたり、探したりするのは、人間だけ。

 

 

こっちの方が上等な考えだとか生き方だとか言って比較したり、他の動物や人種より進化しているぞ、文明人だぞと価値を付けるのも、人間だけ。

 

 

何かになろうとするのも、人間だけ。

 

 

 

 

 

もうすぐ、『伊東充隆主宰 青空禅塾』

私とは何か? を、伊東先生の道案内で、自ら気づいていくための塾。

 

それは自ずと起きていくことなので、無理しなくてもよいのです。真剣であることは大切にしながら、焦る必要がないのです。安心です。伊東先生は、教えや見方や在り方を押し付けません。催眠にかけるような魔法の呪文も言いません(笑)あなた次第です。わたし次第です。それをどう受け取るかはあなたの手の中にあるのです。

 

 

伊東先生は、いるのにいないような、この上なく誠実で親切で愛ある先生です。

 

 

 

 

*伊東充隆主宰 第1回青空禅塾

8月6日(日) 13時から17時まで

お申し込みは青空禅塾参加と書いて、こちらからどうぞ→

 

8月のプロトマニア。

 

8月になりました。東京は梅雨明けして、さぁ夏だ!と思った途端、不安定なお天気続きです。来週の月曜日は暦ではすでに立秋。なんだか目が廻りそうですね。いつもの散歩道にある栗の樹には、もう立派な緑のイガグリが沢山ついています。

 

さて、8月のプロトマニア、まずは  伊東充隆主宰  第1回「青空禅塾」がスタートします。

 

この青空禅塾は、伊東先生が主宰する継続コース『和サンガ東京』の、オープン塾と言って良いのではないかと思います。

 

真我、悟り、自己の本質、非二元を求めたり、探究したり、興味を持って自分なりに学んで来た方、どなたでもぜひ、いらしてくださいね。

この青空禅塾は、知識や情報を超えた手応えのある対話の場になると思います。

 

なんといっても、伊東先生のライブはとにかくサイコ〜(♪)真我に熱く純粋で誠実、丁寧にいつでも変わらずサポートしてくれる伊東先生。一期一会のダイナミックな感触を得られることを請け合います。

 

8月6日(日) 13時から17時まで開催です。

 

 

 

そして、8月27日(日)の午後は、中尾陽主宰『これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座』  

 

8月は、19世紀フランス素朴派の画家・アンリ・ルソーです。その不思議な雰囲気の絵は、皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。ルソーは、日曜画家と称されたようにパリの税関で仕事をしながら余暇に絵を描いていました。ジャングルの中の一場面のような作品やモダンな都市の風景など、どれも空想夢想的。彼は一度もフランスから出たことはなく、エキゾティックで熱帯風の植物や動物は、パリの植物園や動物園を訪れた時にインスパイアされて描いたといいます。ルソーが植物園の見慣れぬ植物たちに囲まれた時「まるで夢の中に入って行くようだ」と述べています。ルソーの絵は、夢と現実が同時にそこにあり、時空を超えて自由です。

・・・と嬉しそうに書く私は、ルソーの作品が醸し出すムードが大好きです。中尾先生、どんな風に中尾流白熱へとリードして下さるかは夏のお楽しみ〜!中尾先生の講義の後は、その画家と仲良しになった気分になります。皆さん、ぜひ一緒にルソーとお近づきになりましょう〜♪

 

夢 1910年 MOMA 所蔵

 

 

さてそして、8月20日(日)の午後は、『空のお茶会〜バーソロミューと共に』

バーソロミューの言葉を本から音読して耳で聴きながら、「私とは何か」を考えたり考えなかったりしているお茶会です。バーソロミューは、スピリチュアル真っ盛りの1990年代に出版されていますが、柔らかなスピリチュアルを「廓然無聖」の非二元へと優しく繋げています。

 

知ることのできる真理はひとつしかありません。それは自分は誰なのかという真理です。苦痛を見たり感じているのは誰なのか。大きく拡がって生きる喜びを感じようと決めるのは誰なのか。車を運転するのは誰なのか。食べたり眠ったり愛したりするのは誰なのか。自分とは誰なのか。自分とは何なのか。これが唯一の問いです。あらゆることのなかで、これが最も確実に知ることのできることです。なぜならそれはすでに起きていることだからです。自分が何をしているとしても、何を感じているとしても、何を考えているとしても、それらが起きているのは ” 大いなる自己 ” が存在するからなのだ、そしてそれらは、 ” 大いなる自己 ” のなかで起きているのだ、ということを忘れないで下さい。

まちがったことは何もありません。正しいこともな何もありません。学ぶべきことも何もありません。見つけるべきことも何もありません。捨てるべきものも何もありません。あなたは ” 大いなるいのち ” であり、” 大いなるいのち ” は神であり、神はすべてです。神の外には何もありません       何もないのです。ですからこのことをいつも念頭において、自由に羽ばたいて下さい。(バーソロミュー3   *P107より)

 

伊東先生やマハラジせんせいからコツコツと学んで来たので、バーソロミューが優しくユーモアを持って私たちを励ましてくれる言葉の中に「私」「自分」「神」「愛」が出て来ても、既知の意味やまとわりついたイメージをひとつずつ解き放ちながら真っ新なことばを受け取ります。

 

廓 然 無 聖

 

不変なる青空へと、ゆっくりのびのび寛ぐ。それが、空のお茶会!