日曜日は6月の中尾流!〜英国よりターナー登場

 

明後日、日曜日のプロトマニアは、

中尾さんの「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」

 

ターナー

 

ターナーは、18世紀後半から19世紀にかけて活躍した英国ロマン主義の画家。ターナーはロンドンの理髪師の子どもとして生まれたそうです。そのターナーの人生と作品を中尾先生のガイドで見て行きます。

 

 

中尾陽一絵画鑑賞入門講座

 

こんな絵。 落ち着いていますね。

その場の空気とか、湿度とか、光の印象が伝わって来ます。風景画だから具象的だけれど、この絵は何を言っているのか?よりも、まず五感に響いて来るような気がします。

 

中尾陽一絵画鑑賞入門講座

 

何ごとも、万人にフィットすることってなかなかありませんが、この中尾さんの講座の魅力は、お勉強的ではなく、参加していくうちに自然と見る目が、つまり絵を見る時のポイントがそれぞれにできていくこと。そして、知らず知らず美術と仲良しになっていて、しまいには、好きになってしまうこと、だと思います♪

そんな中尾さん白熱教室がフィットした参加者、だんだん増えて来ました。

 

私は美術の世界のはしっこで、つくる人と買う人の間を繋いできましたが、美術館の展覧会で見る作品との関係より、美術と一緒に暮らすような関係を作れたらいいなぁと思って仕事をして来ました。私は今も昔も、作る人でもなければ教える人でもないけれど、どんなきっかけでも、何かのご縁で美術と仲良しになる人が増えていくといいなと思います。

 

 

 

*美術のことを知っていても知らなくても、ただ楽しもう!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

 

第38回 ターナーとイギリス風景画

6月25日(日)13時から15時30分

 

お申し込みは、中尾流と書き添えて こちらからどうぞ→

 

 

 

6月のプロトマニア

 

6月のプロトマニアのご案内です。

 

まずは、3日(土)伊東充隆主宰「和サンガ  東京3期6ヶ月コース」、いよいよ最終回です。
和サンガは同じメンバーで6ヶ月継続して「自己の本質」に真剣に向かう集中コース。月1回4時間の和サンガでは、青空禅フォーラムより更に深く、具体的に、丁寧に伊東先生からそれについてのお話やワークがあり、日々の暮らしに戻って実践するちょっとした宿題をもらいます。

 

「それ」に向かっている友人たちが集まると、多様なエネルギーの波がお互いに干渉し合いながら一つのダイナミックなうねりみたいなものが生まれます。パワフル。だから、ひとりぼっちでは味わえなかった安心感や「おっ!?」という気づきや、背中を押してもらうような一歩が生まれたりもします。「私」とはどこにあるか?を知って、真の「私」、在処に深く落ち着いていく入口。

 

伊東充隆

 

それを知ったところで生活や人生は目を見張るほど良くなったり、がっくり悪くなったりもしないのですが、知らず知らず「構え」が変わっているかもしれませんね〜(実際、構えなんてないんだけど)。そして、大の大人が真剣に考えたり感じたりするので、何しろ建前を言ってたって無駄なのです。だから気づくと、素直で正直な、幼友達のような友人関係ができていたりします。スペシャルオマケギフト。

 

 

さて、今後のことですが、伊東先生の東京での和サンガと青空禅フォーラムは、これからスタイルを変えて行く予定です。

 

大空のような伊東先生からふわりと生まれる新鮮なスタイルで、あらためて皆さまをお誘い致します。今後しばらくは、伊東先生の青空禅ワークショップを定期的に開催いたします。和サンガのこれまでの受講者、そして初めての方もぜひこちらにご参加ください。そして、このジャーナルには伊東先生の言葉をところどころちりばめていくので、それも日々気づきの糧として味わっていただきたいと思います。

 

 

 

 

そして、空のお茶会は17日(土)14時ころからです。

空のお茶会は「バーソロミュー」という本を読みながら、世界、本当の私、本質についておしゃべりし、自らが確かめたり、感じたりするためのお茶会です。

幸せとは何か、苦しみとは何か、私は何のために生きるのか、どうしたら自分らしくいられるのか・・・途中、そんな問いやつぶやきに出会うかもしれません。

ただ、ここには教えてくれる1人の先生はいません。そしてやっていることは、1つの教義について勉強したり、正解を獲得するといったことでもありません。

 

その場で生まれた会話の中から、わかることやわからないことを体験します。おいしいお茶とおやつを食べながら、ひとりひとりが内面の風景に寛ぐ時間です

ぜひご一緒に。

 

 

 

身体も忘れてはなりません、季節ごとの楽しくて実際に役に立つワークショップは、6月18日(日)午後。

とっこさんの「季節ごとの心身調和のための学び〜水無月のからだと心を学ぶ」

 

こちらは、心身のプロフェッショナル、とっこさんこと小西美智子さんが皆さんお一人おひとりのからだを見ながら、夏に向けてのカラダ構え、ココロ構えを、テンポよく実のあるお話と実際の動きで教えて下さいます。

 

 

 

 

身体も心も自分でケアできれば安全安心。とっこさんはからだのことを哲学しながらユーモアたっぷりに伝えてくれるので、プロトマニアによくぞ来て下さいました!と私も一緒に参加します。各地でご活躍のとっこさん講座です。お申し込みはぜひお早めに。

 

 

 

プロトマニアの「大人の男の子、大人の女の子になって:学ぶ編」は、なくてはならないアートレクチャー。
中尾陽一さんの「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」は、25日(日)午後です。

 

 

 

6月は「ターナーとイギリス風景画」。

 

ターナーの風景画は好きな方が多いようですが、そこは中尾先生、ただ見てホッとする絵画ではおさまりませんよね。これまでも中尾流の切り口で、嫌いだと思っていたけど好きになったり、知らなかったけどすごいんだ〜と発見したり、絵画ってこういものでしょ?と思っている既成概念をゆさゆさと揺さぶる中尾先生です。

 

きっとターナーも、

 

ツッコミどころ満載〜♪

 

乞うご期待、です。

 

 

 

 

6月もますます、プロトマニアで身も心もゆるりとゆるめながら、日々を大いに楽しみ味わっていきましょう〜

 

バルテュス、中尾流ではこうなる!第37回絵画鑑賞入門講座〜

 

5月最後の日曜日は、

中尾陽一先生の「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」

でした。5月のテーマは、「バルテュス」です。

 

バルテュスは1908年パリ生まれ。ドイツ国籍でポーランド系貴族の家系。両親、兄は画家や小説家という芸術一家に生まれ育ちました。日本では何度か大きな展覧会が開催されています。50代で親子ほど年下の日本人女性と結婚し、その節子夫人は後に画家との生活やライフスタイルなどが注目され、女性誌でかなり記事になっているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 

画家バルテュスは、2014年東京と京都で開催された展覧会のコピーにあるように「賞賛と誤解だらけの」20世紀最後の巨匠と言われています。(バルテュスを巨匠と言ったのは、ピカソだそうです)

 

 

まずはいつものように、スライドでさささ〜〜〜っと作品を流し見ます。

その後で先生から

 

 

「どうですか? どんな印象ですか?」

 

と一人一人に質問。

 

 

 

 

エロティックだけど品がある。人物像は生々しくない描き方だからか下品な印象がない。風景画は光がさらっとして爽やか・・・などなど。

 

 

 

 

バルテュスは少女を描きました。パッサージュ(仏語)、つまり過渡期、移行。少女から成人女性へ変わる危うい妖しい女性美を描きました。パリの画廊でデビューする個展の時には、意図的に少女を描き注目を集めるというセルフプロモーションも。

 

 

 

 

バルテュスの作品は、何が言いたいのか描きたいのかが明確には伝わりません。

例えばこの絵、画面の少女のポーズは造形的な説明ができる、鏡は何を象徴するか? 後ろの暖炉の燃え盛る炎は何を表すか? そしてそこに薪をくべる男は? その不自然なまでの姿勢にはどんな意味があるか?・・・などなど、様々な解釈が生まれ得るのです。

 

 

参加者から、かなり深い意見が飛び出す!

 

 

先生から浅田彰氏が書いた文章が紹介されました。要約すると、バルテュスの絵は

 

倒錯的なポンチ絵   (!!!)

 

であるということ。浅田氏によれば『美術史の流れとして行き着いた抽象表現、その先、抽象から戻った具象絵画は人体表現に帰す。20世紀その中心にいる巨匠は、バルテュス(ロリコン)、F.ベーコン(ゲイ)、L.フロイド(デブ専)・・・』とのことらしいですが、ご興味のある方はこちらから→

 

 

 

というように、バルテュスが描く不思議感に満ちた人物像は、十人十色の受け止め方と感想がありました。でも、先生としてはそこも狙い目だった模様。そして、みなさんから拒絶反応がもっとあるのではないかと予測していらしたそうですが、予想以上にみなさんの絵の見方が広がっている、と。
これも中尾流での知性感性フル稼働の賜!誰もが巨匠と認める画家だけを取り上げないところが、さすが中尾先生です。

 

 

「バルテュスはシャガールやルオーを全く評価しませんでした。なぜならば、作品にテーマを持たせて訴え、語らせる彼らとは違って、バルテュスにとって絵画は、その時その時、描きたい課題を描くことが重要でした。」

 

バルテュス自画像

 

自らを

 

「職人であり修道士である」

 

と言っていたバルテュス。

芸術に対して誠実な人生を送りました。作品について語ることは殆どありませんでしたが、90歳を超えた最晩年に、自身の芸術や思想、自然、人生について語った回想録が出版されました。

 

 

この日は、バルテュスの回想録『バルテュス〜自身を語る』の翻訳者、鳥取絹子さんも参加して下さり、翻訳をしながら実際の作品を見にニューヨークへ行った時のことや、鳥取さんから見たバルテュスの哲学と作品についてお話を聞くことができました。

 

鳥取さんは、フランス語の本の翻訳をはじめ、エッセイなど数々の著作をお持ちです。プロトマニアがイメージする「大人の男の子、女の子」、オリジナルは、この絹子さんの言葉。まさに絹子さんは大人の女の子。知性的で、いたずらっぽくてお転婆、でも周りへの配慮をさりげなく自然にしていらっしゃる大人の女の子です。

 

今回の「バルテュス」は、多様性に満ち満ちた中尾流でした。みなさま、お疲れさまでした!

 

 

 

さてさて、この日のおやつは、オヤツ番長セレクトに加えて、スペシャルプレゼントが届きました。

前回のボナールとナビ派の時に出て来たフランスはブルターニュ地方の町「ポン・タヴァン」。参加者のおひとりが「ここのクッキーおいしいの〜」とおっしゃっていたのですが、なんと!今回その方のお誕生日にフランス人のお友だちからウワサのお菓子が届いたとのこと。(中尾流の話、聴いてたのかしら?)

 

そして、なんたる愛♡、そのお裾分けをこの日持ってきてくださいました!お裾分けというにはゴージャス太っ腹な、ひと缶まるごと!!!

 

 

 

ばば〜ん

 

缶がきれいなので、これは中尾流で確保。

ごちそうさまでした。

 

中尾流は、とってもリラックスした雰囲気で、初めて来ても前からいるように自然にそこに座って、聴いて,見て、発言しちゃうし、みなさんがふつ〜に仲良くなっていて、とにかく素晴らしく緩やかです。

そんな中尾流、次回は6月25日(日)

 

ターナーとイギリス風景画

 

あのゆったりとした絵のターナー。けっこう変人だったというウワサですよ

 

(笑)

 

詳細は近日、中尾流のコーナーでご紹介しますね!
絵が好きでもそうでもなくても楽しいこの寺子屋白熱中尾さん、ぜひ一度遊びにきてください。

 

ね、先生が楽しそうでしょ。

 

 

 

 

先生もあなたもわたしも、素晴らしい!

 

明後日は、5月の「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」。

中尾さんと一緒に、バルテュスの作品と人について、見て感じて考えていきます。

 

 

学校嫌いの私がイメージした寺子屋のプロトマニアは、お勉強する場所ではありません。もちろん知らないことを先に知っている専門家から教わる時には、リスペクトは最大限に真摯に学びます。ただ、知識を得ることが目的の場ではなく、自らの欲求に従って学び、感じ、変化するきっかけの場がいいなと思っていました。勉強するのではなく、伝えられる知識の間の目に見えないニュアンスを自ら耕すような感じ。

 

中尾さんの講座は、毎回来て下さる方たちの中に変化が見えるのがとても楽しいし、嬉しいし、ステキだなぁと感じます。

 

 

中尾先生、素晴らしい先生ですね。

 

 

と言っていただくと、我が事のように嬉しく、エッヘン、でしょ〜?!と鼻高々です。

でも同時に、

 

 

そういうあなたも、素晴らしいです!

 

 

と思います。

 

 

 

先生の素晴らしさを実感しているあなたは、素晴らしい!

 

 

 

プロトマニアは「真理の探究を思いっきりするぞ〜〜〜」と心の中で叫んで始めたのですが、最近、プロトマニアをずっと見ていてくれる友だちに「真理の探究だっけ?  なんでそんなこと考えるのか、不思議だったわ〜」と言われました。そういうことを言ってくれる友だちが、私は大好きです。

 

青空禅や和サンガで伊東先生から学んだことが基盤になって、最近は、他のティーチャーが言っていることもよくわかり、鮮明に伝わって来たり、これまで聴いてきたことが繋がって、先生が伝えていたことはこのことだったかと合点するようになって来ました。

 

それは、真理、真我について、絵画や中尾先生の話、参加者のみなさんの発言を聴きながらアレとソレが繋がったり、伊東先生の話を何度も聴いたり、バーソロミューやマハラジや同じ本を繰り返し読んだりしながら、同時に、そんなことなんで考えるの?という友人たちや、やれやれと思いつつ、相手を否定してつぶし合うのではなく、ただ率直に今の位置から話し合えるチャンスがあったから。

 

 

私は、ちっがーーーーう!

 

 

私は、こーーーーーいう人なんですっ!

 

 

という強固なヨロイのひもが知らず知らずのうちに弛み、新しい感覚やまなざしに変化していくことは、

 

 

素晴らしい!

 

 

素晴らしくきもちいい!

 

 

 

ふと気づいたら、ぜったいイヤと思っていたことまで、溶けて流れて無くなってしまっていたりしてね♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月のプロトマニア

ちょっと出遅れましたが、5月のプロトマニアのご案内です。

 

まずは、5月最初の、伊東充隆主宰  和サンガ 東京6ヶ月コース。

今回は冒頭に先生から「基本に立ち返って・・・」ということで講義がスタートしましたが、この「基本に立ち返る」というのは折にふれ先生の口から登場します。基本に始まり、基本に終わる! そうなんです。とてもシンプルで何気ないことをコツコツとやり続けることが、安全で確実でどんな人にもできることだよ、と先生はいつも伝えています。

たくさんのイメージや情報で覆われた「それ」。まとわりついた、一見ステキな♪ベールを、一枚ずつはがす。あれ?ホントにそれ?というほどの無垢に辿り着く。

和サンガは、7月から沖縄でも開催されます。東京の次のスタート予定はあらためてお知らせしますが、東京の和サンガは、さらさら〜っとしていて、大袈裟じゃなくてシュッとして江戸っ子な感じで(笑)なかなかに粋でござんすよ。

 

 

 

そして、プロトマニアのアートの柱は、中尾陽一先生の「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」

5月28日(日)は「バルテュス」です。バルテュスは、奥様が日本人でお美しい方ですが、そんなこともあってか、これまで何度か美術界だけでなく話題になっている画家です。描かれているもの、テーマが少女のエロティシズムだったりするところで、その絵の好き嫌いがハッキリしてしまうこともあります。とにかくどこか怪しい雰囲気をたたえた作品とご本人。不思議感、満載です。そんなバルテュスを、中尾先生がどんなアングルから見つめていくか、参加者の皆さんへのガイドがとても楽しみです。中尾流は、美術に詳しくても知らなくても、その場で美術を楽しむことができる!と実感していただける講座。ぜひご一緒しましょ〜。お申し込みお待ちしております。

 

 

 

ふふふ、5月21日(日)は、空のお茶会です。

先生がいない空のお茶会では、バーソロミューのメッセージを中心にして、真の私に纏わるあれこれを参加者が自由に話します。私がこの会の部長なので、こうしようか〜あれしようか〜と言い出しっぺにはなりますが、セラピストでもないし、専門家ではないので、みんなが一緒に考えてくれます。バーソロミューを読むことにしたのは、真理、愛を伝えるバーソロミューが話すことが、私たちの日常の具体的なワンシーンをたとえ話にしていたり、そうそう、ついそうなってる〜っていうようなありがちな場面をたくさん引き合いに出して、分かりやすく伝えているからです。目に見えないことを見えることの中にユーモアを交えて繋げて行きます。私は便宜上、真理ということばを使いますが、行為としての愛ではなく、それそのものである愛が私であることを、優しく伝えています。

ここでそれを話したり確認することは、私たちが長い間、誰かから教わることに慣れてしまっていることから少しだけ離れて、同化や願望や催眠によってそうなのではなく、本当に本当にそうなのか? を正直に自らに問う、という静かな作業になるのではないかと思います。いろいろ楽しくやっているのでよかったら、いつからでも遊びにきてくださいね。

 

 

5月ものびのび、爽やかなプロトマニア、です♪

 

5月の中尾先生絵画鑑賞入門講座は、バルテュス!

プロトマニアのアートの柱、中尾陽一先生の「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」は、柱が太〜くなって来た気がします。

 

私はアートを通して、私ってなんだろう? 絶対に変わらないものって何だろう?(自己の本質)を考えたり、聴いたり、探ってきたのですが、つくる人ではないアートの仕事は飽きない商いであるがゆえ、この世の欲望が渦巻く世界。『売れない画商』っていう素敵なあだ名(笑)をもらうくらいの私には、仕事としてはまったく向いていなかったとも言えます。でも、様々な出会いはこのアートを通して起こって来ました。

 

プロトマニアで中尾先生の講座を毎月聴いて来て、芸術というのはまさに真理を求める人々が命がけでそれを表現しようとしているものだということ、あらためてよくわかりました。芸術作品は、自分と向き合うツールです。

 

中尾先生から、自己の本質とは?とか、悟りやら真我やら非二元、なんて言葉は聞いた事がありません。私がそれについておしゃべりすると、「あぁ〜・・・はい」くらい頷いてくれるけど、中尾先生は取りたててそんなことを話題にはしません。でも、この「誰も教えてくれなかった絵画」の見方は、固定した見方を揺さぶり、気づかない信念や思考に「あれ?」と気づかせてくれる。そんなことをに興味がある人には新たなアングルを与え、興味が全くない人たちには、知らないうちに視野が広がって、頭も心も余分な緊張が弛んでゆったりしている、そんな講座です。

 

 

 

さて、中尾先生からのご案内です。

 

5月28日(日)のプロトマニア・アート・レクチャーのご案内です。

20世紀最後の巨匠 バルテュス

前回の《ボナールとナビ派》の講座内容が、プロトマニアのHPに、ライブ感たっぷりに楽しく紹介されています。よろしければご覧下さい。

 

ボナールとナビ派!〜中尾陽一先生の絵画鑑賞入門講座

 

 

さて、次回はバルテュスをとりあげます。

バルテュス、変わった名前ですね!ただし、これ通称です。

本名はバルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ。

こちらは、なんともエキゾチックで高貴な出自を彷彿とさせる名前ですが、それもそのはずポーランド貴族の血を引く家系だそうです。東欧系の貴族と聞いてわたしは勝手にドラキュラ伯爵を連想したりします。この名前の響き、ゾクゾクっとしませんか?

名前からして不思議感満載な匂いがするバルテュスですが、作風もこれまた異色中の異色。まず思い浮かぶのが室内で扇情的なポーズをとる少女像ですが、その脇には我関せずと独特な雰囲気を醸し出す猫がいたりします。猫はパリのシーフード・レストランの壁を飾った絵ではユーモラスな主人公になっています。そうかと思うとまったく別人が描いたような光に満ちた静謐な雰囲気の風景画があったりもします。

バルテュスは1908年にパリで生まれ2001年にスイスで亡くなっています。まさしく20世紀を生きた画家でしたが、20世紀美術のどの流派にも属することなく、独自の具象表現を追求しました。その創作態度や秘密めいた私生活から「孤高の天才画家」とも称されます。ピカソはバルテュスの芸術を高く評価して「20世紀最後の巨匠」と呼びました。

その一方で、バルテュスは少女のエロティシズムというセンセーショナルな画題から道徳的な批判や誤解に曝されてもきました。2014年に東京都美術館ほかで開催された没後初の大回顧展のサブタイトルは『称賛と誤解だらけの20世紀最後の巨匠』でした。バルテュスは好き嫌いがはっきる分かれる画家です。

次回のアート・レクチャーでは好き嫌いを越えて、はたしてバルテュスはピカソの言うように『20世紀最後の巨匠』なのかを、みなさんとごいっしょに感じ考えてみたいと思います。

 

 

美しい日々

 

猫と裸婦

 

地中海の猫

 

*美術のことを知っていても知らなくても、ただ楽しもう!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

第37回 バルテュス

5月28日(日)13時から15時30分

お申し込みは、中尾流と書き添えて こちらからどうぞ→

 

ボナールとナビ派!〜中尾陽一先生の絵画鑑賞入門講座

ナビ派

*「オルセーのナビ派展」三菱一号館美術館  入口

 

気持ちよい4月第四日曜日は、中尾陽一先生の、

 

『これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座』

ボナールとナビ派

 

ナビ派というと、流れとしておよそ「ゴーギャンとナビ派」という組み合わせになるらしいのですが、ここは中尾流のアングルから、ボナールを中心にナビ派の作品をたっぷり検証、味わってみました。

 

まずは、前回の講座中で参加者の感想の中に名前が出た日本の画家について、先生からプチインフォメーションがありました。こんな風に中尾先生は、その回のテーマ以外でも講義の中で話題になったことを、宿題のように(笑)持ち帰っては、みなさんの世界の枠を拡げるようにフォローして下さいます。

 

さて、そして本題。

ナビ派のナ「ナビ」は、ヘブライ語で「予言者」の意味。新しい絵画、未来の絵を描こうという若手画家たちの意気込みが感じられます。

例によって、ナビ派の画家の作品を大まかにスライドで流し見て行きます。

 

ボナール、ヴュイヤール、ドニ・・・

 

「どうですか? まずは見た感じでナビ派の絵、どんな印象ですか?」

 

 

竹久夢二に似ている、平面的、服の模様が日本的、装飾的・・・

 

など、皆さんからひと言ずつ。上の作品は「日本かぶれのナビ」とあだ名されたボナールの作品。確かに細長い画面や洋服の模様など、日本的。そして女性のなよっとした曲線や顔立ちが竹久夢二の女性像を思い起こさせますね。

 

ナビ派は、自然を再現しようとした印象派の後のゴーギャンの教えを汲んで、絵の中の意味や物語性を超えた色彩表現を特色とし、題材には日常の風景や、フランス語のアンティーム(親密な、私的な…)に表される室内、そしてその裏側の神秘を描いている作品があります。

「このヴュイヤールの「ベッドにて」は、深い安らぎも感じれば死も感じますね」

 

*記念すべき3年目の36回から、ビデオ撮影記録開始(気づくのが遅かったかも)

 

参加者から

 

「どうもこのナビ派はどこに価値があるのか、皆目わかりません。みなさんの感想を聴いてみたいと思っています」

 

という意見も。ナビ派の絵はカラフルで華やか、ごくフツウの日常風景が描かれていて、絵として確かにきれいです。でも「で、それで?」と言いたくなる。その絵はいったい何が言いたいのかがハッキリ伝わってくるタイプではないのですね。西洋画には定義がある、という定義にあてはまらないというご感想。

 

いぃ〜んです! そういう正直なご意見、ご感想はそのままブラボーです。

 

それに対して中尾先生、

 

「わからないところが、傑作、なんです〜」

 

ニヤリとつぶやく・・・。

 

ナビ派の絵は、人物も模様もすべて同じ価値、並列なのです。実際、絵の印象は平面的です。ゴーギャンからは、印象派のように絵の具を混ぜて表現するのではなく、「黄色に見えるなら黄色を塗りなさい、影が青く見えるなら青で」と生のままの絵の具を使うように教えられたナビ派の画家たち。説明よりも前に、色でその絵が成立しています。どちらかというと、具象画でありながら抽象画のよう。

説明的に絵を描くよりも、本質を描こうと試みたのが、ナビ派の人々でした。

 

ナビ派について、気づいた特色を参加者ひとりずつ、あげていく。

 

先生とのやりとり。

 

いろいろ出ました。

 

ナビ派ってある意味おおざっぱ? ちょっとホッとするよね〜、好きかも!

 

なんてお声も。

 

日常的に見えて非日常。どこかに違和感、不安感、神秘性があるのもナビ派。

 

先生からとっても面白いことを教わりました。

絵を描いている時に、その絵を上下ひっくり返して見てみるんですって。

「描く時には無意識に、これは山でこれは空で・・と当り前に思い込んで描いてしまっている。それを、ひっくり返して見るんです。ひっくり返して見ると、色の秩序のバランスがとれているかどうかが分かる。良い絵は、意味を取り払っても、抽象的絵画として成立しているんですよ」

 

首をひねってひっくり返ってみたら、・・・なるほどね。

 

私たちの脳は、目に見えるものに意味を探し、ストーリーを持たせるのが癖ですが、モーリス・ドニの言葉のように「絵画が軍馬や裸婦や何らかの逸話である前に、本質的に、一定の秩序のもとに集められた色彩で覆われた平坦な表面である」として見ることは、当り前を疑って見直してみる、面白い遊び、ゲームになるかもしれません。

これこそ、プロトマニアの中尾流的!!

 

*オヤツとお茶と先生のプリント

 

記念すべき3年目の第36回も、皆さまの活発で自由な意見や感想、中尾先生の名ガイドで無事終了。今日も白熱。みなさま、おつかれさまでした。

 

さて、寺子屋世話人は、ちょうど開催中の「オルセーのナビ派展」に行きました。会場では、中尾流で聴いたこと、皆さんの感想や印象とは違うことが解説ボードに書かれていたりします。でもね、それがおもしろいところ。美術館の学芸員の方が解説することは、ひとつの解説、見方。唯一正しいわけではありません。ふぅん、そうなんだ〜と横目で見たり、なるほどと納得したりしながら、あらためて作品を味わって来ました。実際の絵を見る事が出来るのは、幸運ですね。

 

 

こんなワイワイガヤガヤの中尾流は、5月から4年目に突入します。5月の画家は「バルテュス」です。ご案内の準備ができましたら、またジャーナルと中尾さんのコーナーでご紹介します。ぜひ一度遊びにいらして下さいね!

 

帰りは夕焼け。

 

 

*美術のことを知っていても知らなくても、ただ楽しもう!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

第37回 バルテュス

5月28日(日)13時から15時30分