そのすべてが 瞑想にふくまれます〜 J.クリシュナムルティ

 

瞑想は

日常生活とはべつの何かではありません

部屋の隅にいって

10分間 瞑想をし

そこからでてきて肉屋にもどる

というようなものではありません

比喩として言っているだけでなく

実際にそうなのです

 

瞑想は

もっとも重大なことのひとつです

あなたは それを一日中できます

仕事場にいるときでも

家族と一緒にいるときでも

誰かに「愛してるよ」と言っているときでも

子どもたちのことを考えているときでも・・・・・

しかし その一方で

あなたは ひとびとに

兵士になり ひとを殺し

愛国者になり 国旗に敬礼するようにと

おしえています

現代社会の このような罠にはまるように

ひとびとを教育しています

 

それらを ことごとく見まもり

あなたが そのなかで果たしている役割を理解すること

そのすべてが 瞑想にふくまれます

このように瞑想しているとき

あなたは そのなかに

たとえようもない美しさを見いだすでしょう

そして あなたは

どんな瞬間にも ただしく行動するようになるはずです

たとえ いっとき

ただしく行動しないことがあったとしても

問題ではありません

ふたたび それをとりもどせばよいのです

くやんで 時間をむだにすることはありません

瞑想は 生活の一部です

生活とはべつのなにかではありません

 

 

『  MEDITATIONS 瞑想  』J. クリシュナムルティ    中川吉晴  訳  より抜粋

 

 

 

*ふだんの言葉で伝える  ” 自己の本質  ” 、決して変わらないもの、とは〜

伊東充隆主宰  青空禅フォーラム  Tokyo

4月29日(土祝) 14時から16時

お申し込みはこちらから→

 

 

クリシュナムルティの言葉

瞑想 クリシュナムルティ

 

瞑想は

生のなかで もっとも偉大な芸術のひとつです

おそらく最高に偉大なものでしょう

それは ほかの誰かから学べるものではありません

それが 瞑想の美しさです

瞑想には どんな技法もありません

それゆえ 瞑想には権威者などいないのです

あなたが自分自身について知るとき

つまり あなた自身を見つめ

どのように歩き どのように食べ

なにを話しているかを見まもり

おしゃべりや 憎しみや 嫉妬を見つめ

あなた自身のなかで

これらすべてのことに

思考をさしはさむことなく気づいているとき

それはすでに 瞑想になっています

 

だから

バスにのっていても

木漏れ日のさす森のなかを歩いていても

鳥のさえずりを聴いていても

妻や子どもの顔をながめていても

瞑想はおこります

 

 

『  MEDITATIONS 瞑想  』J. クリシュナムルティ    中川吉晴  訳  より抜粋

 

 

*ふだんの言葉で伝える  ” 自己の本質  ” 、決して変わらないもの、とは〜

伊東充隆主宰  青空禅フォーラム  Tokyo

4月29日(土祝) 14時から16時

お申し込みはこちらから→

 

 

 

どっちでもいい〜。

 

私ね〜お洋服が好きなんです。色がきれいな服や布が好きで、持ってるくせについ巻物(スカーフとか)を買っちゃう。この季節は陽射しは春だけど、ちょっと冷えたりするからまきもの必携です。

 

昨日、銀座に展覧会を観に行ったのですが、銀座の街はオシャレなひとが沢山いますね。最近は40代、50代、60代以上まで、年齢不詳なお洒落っぷりです。

銀座に出かけると、やっぱり郊外とは違って少しテンション高めです。スタイリッシュな大人のマダムたちは、私が30代の頃よりずっと増えていると感じます。

 

スタイリッシュなお洋服の着方は、雑誌に載っているような流行を上手に取り入れているから間違いなく、おしゃれに見えます。私の趣味ではそういう洋服の着方より、ちょっとちょっとぉ〜コレとコレ合わせるか?? みたいな感じがしても、その人が心地よさそうに楽しそうに着ていると、堂々としていてカッコよく見えます。そして、しっくりいってていい感じ!と思います。

 

でもまぁ、隙なくカッコ良くスタイリッシュに流行の洋服を着こなすのはちょっとした努力と気合いがいることだし、それってその人が好きでそうしていることだから、どちらでもいいんですよね〜

 

 

真理の探究、それ、についてのことばも然り。「至福」とか「さとり」とか「仏性」なんて言われちゃうと、自分でも知らないうちに、神聖なるもの、高尚なもの、神秘的なもの、になっちゃっているんです。言葉で表すことができないそれなら、例えばもうちょっとフツウの言葉で、「言葉じゃ言えないけど、スッカラカン」とか「黙るか、笑うか、しかない圧倒」とか、身近なことばで伝えてもらうと、もう少し楽に受け止められたのになぁと思ったりします。

でも、しょーがないかっ。自分がインドの覚者が語ったことを伝える本を熱心に読んじゃったんだし、哲学もインテリっぽくてカッコ良く見えたし。

 

ヒト目を引くように言葉を並べたブログの書き出しや、「今だけ特別に・・・」とか「これを読んだあなたの先行予約、受け付けます!」とか、ダサいけどわかりやすいキャッチーな表現や、人々が欲するストーリーを展開するパフォーマンスの仕方も、これまたセンスっていうだけですね。

目立つのがキライなら、キライなんだなぁでいいし、怖いなら、怖いのよ〜と思っていればいいし、どっちでもいいんですね。

 

子どもの頃は、「どっちでもいい」って答えると「ちゃんと自分の意見を言いなさい!」って言われたものだけど、それも経た上で、どっちでもいいって、やっぱり楽で自由だわ〜「それ」の入口、ヒトヨンデ、バカボンのパパポイント

 

ともかく、どんな時も何ごとにも、

 

ちょっとしたゆとりとユーモアのセンス

 

をパラリ。

 

 

 

 

*先生のいない、読書会〜

空のお茶会〜バーソロミューと共に。

4月22日(土) 14時頃から16時頃まで

参加費は2000円(お茶とおやつ付き)

 

 

*ふだんの言葉で伝える  ” 自己の本質  ” 、決して変わらないもの、とは〜

伊東充隆主宰  青空禅フォーラム  Tokyo

4月29日(土祝) 14時から16時

お申し込みはこちらから→

 

 

*美術のことを知っていても知らなくても楽しい!〜

中尾陽一主宰 これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

第36回 ボナールとナビ派

4月23日(日)13時から15時30分

お申し込みはこちらから→

 

解いていく。

 

非二元、という言葉が、いまだに私にはピンとこないのですが、

そういえばずっと以前は、真我という言葉もピンとこなかったなぁ。

 

その人の話は聴くたびに新鮮で、たった今出会ったように新しい視界がいっきに開けたり、その本は読むごとに意味が深くなり、これまでいったい何を読んでいたんだろうと苦笑したり。

 

行為はあれど、行為者はいない、と言われる「行為者はいない」について、タクさんが書いていたブログ、

 

いやね。
ホントおらんのですよ。行為者なんて。
単にそう見なしているだけでね。

なので、見なしている間だけあるように見えてるわけなんですけどね。

 

を読んで、ふと、 ん??・・・見なしている間だけあるように見えている・・・あれま・・たしかに。

 

 

言葉のおかげで概念が生まれて、概念で一人前になって、概念のなかにとっぷり浸って、その概念を探究して、ある時くるんとターンして、そこから今度はぽりぽりと概念の枠を外し、解いて、見ていく。

 

友だちは「ぜ〜んぶ違っているかもしれないしねっ、ふふふ・・・」と、目を細くしてニッコリ笑ったし、また別の友だちは「私は自然からそれを確かめて行けばいいと思う」と言っていた。

 

 

言葉を重ねて、言葉の催眠にかからないこと。

その気にならないこと。

 

 

 

何もしないこと。

 

” 問題は私たちが向ける注意からできているのです。”

 

スクリーンが全ての映像に浸透するように、私たちの自己はすべての体験に浸透します。ですが実際のところ、スクリーンは映像に浸透しません。スクリーンがなければ、そこには映像もないのです。

 

「映像」は、スクリーンがそれ以外の何かに見えたとき、それに与えられる名前です。これと同じで、「部分」、「分離」、「個人」、「対象物」、「他者」は、体験が、私たちの自己、気づいている現存(プレザンス)、純粋な親密さ以外の何かであるように見えたとき、それに与えられる名前です。

 

私たちの真の自己にはそのような分離は見えませんから、分離の感覚を取り除きたいとも思いません。問題を見て、それを取り除きたいと考えるのは誰でしょう?それは架空の自己です。

 

中庸の状態を解決されるべき問題へと変えるのは、架空の自己という見せかけの現存(プレザンス)です。

 

存在しない問題に対応することなど不可能です。対応することで、私たちはそれを現実として受け止めます。問題は、私たちが注意を向けることによって育ちます。実際、問題は私たちが向ける注意からできているのです。

 

存在するものに抵抗し、存在しないものを求めることがなくなると、つまり分離した自己という活動がなくなると、つなぎ目のない要素として現状はシンプルに存在し、体や心(マインド)に必要とされることは何であれ、全体のための全体によって調整されるようになります。

 

緊急事態があれば、体や心(マインド)はエネルギーを使って対応しなければならないでしょう。しかし、そこに架空の自己はいないので、結果、これまで体験がそれを通して見られていた分離という歪んだレンズを用いて対応することはなくなります。

 

こうした状況では、体と心(マインド)はその状況で果たすべき役割を果たし、必要とされることは何であれ、効率よく、正確に行います。緊急事態が過ぎ去れば、体と心(マインド)はいかなる余韻や痕跡も残さずに、開かれた、透明で、リラックスした自然の状態に戻ります。

 

こうして体と心(マインド)は、分離という感覚の逃げ場にならず、その自然な繊細さは無傷のままに保たれます。

 

同じように、世界もまた、遠く離れ、分離した、不活性の対象物であることをやめます。世界は振動し、活力に満ち、親密で、私たちの活動は常にそれと軌を一にします。なぜなら、私たちの活動は世界の内部で発生し、架空の外部から押しつけられてはいないからです。

 

ルパート・スパイラ著「プレザンス 安らぎと幸福の技術」第1巻
Part 6 体験 問題はない P279 より抜粋

 

 

 

*自己の本質を知り、意識の軸を変容する〜

伊東充隆主宰  青空禅フォーラム  Tokyo

4月29日(土祝) 14時から16時

お申し込みはこちらから→

 

 

嘘のように美しい本当

なんだか正体はよくわからない、約束したことを信じていてよいものか、こっそり安全ネットを用意すべきかもわからない。でも、その人が作ったものを見るだけで、その色に、絵に、カタチに、心の奥の奥の奥が共振する。ワケもなく嬉しくなって、元気が出て、気づいたらクスクスとひとりで笑っている。

 

 

作ったものにも、話す声にも、文章にも、人は現れる。

 

 

そうとしかいられない、そうでしかあり得ない在り方でいる。

 

不器用なような、デリカシーのカタマリのような、パンクのように、たったひとりで立つ強さのような・・・

透明でキラキラ光る石を抱いている。

嘘のように美しい本当を抱いている。

そんな人たちは憧れであり、同時に私でもある。

 

大人は、巧い嘘がつけるより、大ボラを吹けるのが愉快でいいな。

 

 

 

【ヒエロニムス・ボスとブリューゲルが大好きだ!】

 

しばらくマエのはなし。
「ニルスの不思議な旅」実写版を観た。
チグハグな実写と人形。
ヘタクソな合成。

 

とても、2016年公開とは思えなかった。それを食い入るように繰り返し観てる子供達。最先端のCG満載の(古代エジプトもの)には、興味を示さずに。晩酌をしながら観ていて、馬鹿にしていた自分が恥ずかしく成った。

 

空想はそもそも嘘です。
CGは嘘を本当に魅せようと一生懸命。

 

子供がつく嘘はバレバレ。
愉快な空想だ。
でも時々、嘘の様に美しい本当がある。

 

CGは大人のつく嘘だと思った。

 

大人に成るにつれ、ついた嘘の数も増えた。

 

そんな自分にとって、子供と仕事は、最後の砦だと思った。

 

本当に魅せようとする嘘は実にくだらない。

 

空想の中の嘘は愉快だ。

 

 
 (下和弘さんのFacebook から)

彼方へと超えていきなさい。

img_1653

 

質問者

私が若かったとき、短いけれども忘れがたい奇妙な体験をしました。それは無としての存在、ただの無でありながら、しかも完全に意識して在るというものです。しかし危険なのは、すでに過ぎ去った瞬間の記憶からそれを再生しようとする欲望を持つことです。

 

マハラジ

それはすべて想像だ。意識の光のなかで、ありとあらゆることが起きる。人はそのどれにも特別な重要性を与える必要はない。花の眺めは神のヴィジョンを見ることと同じように奇跡的なものだ。それはそれとして放っておきなさい。なぜ思い出し、その記憶を問題なやしなければならないのか?それを片寄りなく見ることだ。高い低い、内側と外側、永遠と一過性を区別してはならない。彼方へと超えていきなさい。源に戻りなさい。何が起ころうと変わらない自己へと向いなさい。あなたの弱点は、世界のなかに生まれたと確信していることだ。実際には、世界はあなたによって、あなたのなかで、常に再創造されているのだ。すべてをあなたの存在の源である光から出現したものとしてみなさい。その光のなかに、あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。

 

I AM THAT  Talks with Sri Nisargadatta Maharaj
ニサルガダッタ・マハラジとの対話     

『無知は認識できるが、ジニャーナは認識できない 』 P215より抜粋

 

*ジニャーナ 真理の知識

しかしジニャーナは原因と結果に縛られるようなものではない。それは因果律を完全に超えたものなのだ。それは真我のなかにとどまることだ。

 

img_1640

 

 

*自己の本質を知り、意識の軸を変容する〜

伊東充隆主宰   

和サンガ   東京3期(6ヶ月コース)1月7日(土)スタートしました。

引き続き、募集中(応募締切りは1月末日)

詳細・お申し込みはこちらから→