目を覚ませ!

伊東先生主宰の会は、これからしばらく『青空禅塾』という先生らしい洒落た名称で、今まで以上に明晰、内容濃い場になりそうです。毎月開催はこれまで通り、の予定。

(和サンガや青空禅がお休みになりそうだったから)ー伊東先生のことばをジャーナルにアチコチちりばめまーすと書きましたが、それはひとまず無かったことにして(アハハ)、伊東先生とのライブ対話の場をぜひご一緒しましょう〜♪

 

さて、言葉が差し示しているのは広大無辺!のバーソロミューのメッセージをお届けします。

 

バーソロミューの旅日記〜インド編』より カルパの4日目(p182)より抜粋

 

「みなさん、永遠に幸せに暮らすというのはおとぎ話の世界であって、”大いなるいのち”の最終目的ではありません」と明るく言って微笑んだ。
「昨日の謁見の際、法王が言ったことの中でもっとも大切な言葉は、『わたしだって悩みがあるんですよ』でした。『わたしだって悩みがあるんですよ』と覚醒したダライ・ラマが瞳を輝かせ微笑みを浮かべて言いましたが、そこには自己憐憫もなければ、悩みがあってはいけないという態度もありませんでした。あなた方も法王も、人間は浮き沈みのサイクルから逃れることはできないし、それから逃れる必要もありません。法王はそのことを知っています。

 

昨日の儀式の中で、弟子僧が法王に何か差し出した時、法王がふざけて弟子の頭をポンとたたきましたが、あの素晴らしい瞬間の行為に気づきましたか。人々があんまり深刻なので、法王はにこにこしながら頭をポンとたたいたわけです。 目を覚ませ! あのポンはすばらしい贈り物でした。あの若い僧は手に持っていた物をよく落としませんでしたね。ユーモアの精神と遊び心が発露した見事な瞬間でした。世界中の人たちがビデオであれを見るでしょうが、聖人の概念が変わっていくかもしれませんね。あの自然な行為を通して、ダライ・ラマは賢人がどういう振る舞いをするかという偏見を正しました。法王の中には、自分らしく行動するすこぶる人間らいしい意識とともに、驚くべきパワーに躍動する意識とがあります」。バーソロミューは手を降ろして、水を飲んだ。

 

 

 

*先生はいません、ハートを頼みに自分で確かめよう〜

 

空のお茶会〜バーソロミューと共に。

 

6月17日(土) 14時頃から16時頃まで

参加費は2000円(お茶とおやつ付き)

 

 

★8月スタート

* ” 私  ” は何処に在るのか、決して変わらないものへの入口

 

伊東充隆主宰  青空禅塾

 

8月5日(土) 13時から17時

お申し込みはこちらから→

 

 

退屈に退屈しない方法。

 

昨夜はだる〜くて早めにベッドに入って、バーソロミューを読んでいました。

 

永遠に幸せであることを信じているのですか??? そんなことはおとぎ話の世界の話であって、あり得ないし、そうである必要もない。

 

というようなことが書いてありました。

(笑)(笑)(笑)

バーソロミューのこういう、バッサリ切り捨て御免!みたいなところが好きです。

 

退屈もね、退屈していることに退屈しなくてもいいんだって。

退屈していることを見ていたら、確かに退屈しませんよね。

 

バーソロミューもラマナもマハラジも伊東先生も(♪)

 

読むたび聴くたび新しい♡

 

 

 

 

ひとつのエゴというものは存在しません。

 

バーソロミューの旅日記(下) 〜インド編〜より カルバの四日目より抜粋P193

 

「・・・エゴも僕の一部なんですか。それとも僕とは別のものですか」と彼は尋ねた。

バーソロミューは後ろに寄りかかって楽な姿勢を取ると、「とっても良い質問ですね。それにはいくつもの答えが考えられます」と言った。「ここではわたしたちの定義を述べるだけにします。エゴとは想念の集合体で、過去の記憶を現在に持ち込む時に生じるものです。過去からとぎれなくつづくひとつのエゴというものは存在しません。けれどもあなた方はまるでそうしたものが存在するかのような生き方をしています。エゴは生まれたり消えたり、たえまなく変化しています。あなた方はこのたえず変化するエゴが自分の人生を支配していると思っていますね。まったくナンセンスですよ。人は休むことなく〈自分〉というアイデンティティを創造しつづけていますが、それは、何か考える対象となるもの、いじくることができるもの〈本当の自分〉とよべるものがほしいからです。ひとは今この瞬間にありのままにいることよりもその方を好みます。・・・

 

 

*先生はいません、ハートを頼みに自分で確かめよう〜

空のお茶会〜バーソロミューと共に。

 

6月17日(土) 14時頃から16時頃まで

 

参加費は2000円(お茶とおやつ付き)

 

 

空に線は書けている?

 

空に線を書いているようなもの

 

分離していると思っているのは、ここからここまで、と空に線を書いているようなもの。

線、書けてます? 書けてませんよねぇ。

分離は、イメージの中にだけ、あるように見なしているだけなんです。

 

と、そんな表現でタクさんは言っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうか過去や未来のことばかり考えるのをやめてください」バーソロミュー。

 

今、本をパッと開いたらそこに書いてあったこと。

 

バーソロミューの旅日記(下)〜インド編〜より

 

あなたもいまの瞬間に意識を置くようにすると、人生にもっと広がりが出てきて、創造的になります。肉体を持てば当然、あなたの人生に継続性が出て来ますから、そのことは心配しないでください。わたしの言葉を信じてください。あなたの言う継続性は単に記憶によって生まれるものにすぎません。あなた方はまだ、人生を生きていくには、頭をがむしゃらに働かせていないといけないと思い込んでいます。でも、それは本当ではありません。くり返しますが、非常にダイナミックで生き生きとした神秘的な目覚めたパワーがあなたの人生のあらゆる瞬間に流れています。そのパワーは、あなたの存在のあらゆる面に気づき、目覚めていることを任務としています。そしてそれはきちんと任務を果たします。想像もできないほど膨大な潜在可能性の観点から見たら、あなた方の小さなエゴなどまったく取るに足らない存在です。わかりますか。どうか過去や未来のことばかり考えるのをやめてください。いまこの瞬間に意識を置いていれば、次の瞬間がかならずやってきて体験できるのだと信じてください。それはリスクをともなうでしょうか。はい、ともないます。それだけの価値がありますか。絶対あります!

 

*カルパの4日目 P197 〜

 

本からの言葉は、時に、とてもタイミングよくその人のもとに届くことがあります。

このジャーナルでご紹介する文は、意図的に本の名前を冒頭に書かずにいたのですが、「このひと、スゴいこと書くなぁと思ったよ〜(笑)」と私が書いたと思って文の途中まで感心した(あはは、ご遠慮なくそのままどうぞ)という方が何人かいらっしゃるので(うそ、ごめんなさ〜い)、これからは出典を先に書きますね。

 

 

*先生はいません、ハートを頼みに自分で確かめよう〜

空のお茶会〜バーソロミューと共に。

5月21日(日) 14時頃から16時頃まで

参加費は2000円(お茶とおやつ付き)

 

 

芸術は気づきを喚起する

 

セザンヌは、形はないけれど常にここにある体験の現実を、ぎりぎりのところで形として救い上げた作品を残しました。それは、パルメニデス、ルーミー、クリシュナメノンなどが言葉で表したものと同じです。

 

芸術家のやり方は知覚を通じてのものであり、哲学者は思考を通じて、帰依者は愛を通じて同じことをします。

 

セザンヌは、「一本のニンジン、新たに観察されたニンジンが革命を起こす、その時がやってきている」と言いました。

 

ありふれたつまらないものであっても、そのものの中心、つまり、その体験の中心に触れることで、これまでに見たことのないものを発見し、この発見が、自己、他者、世界についての見方を変換する、とセザンヌは言ったのです。この真の革命の前では、他のいかなる革命も意味を持ちません。

 

芸術家は、この気づきを表現し、喚起する何か、つまり、観た者を直接この体験的理解に導くような何かをつくり出そうとします。芸術家は、革命の引き金を引こうとするのです。

 

芸術家は、その現実を喚起する体験のビジョンを改めて現出させようと、観る者をその現実に引き込む力を込めた作品をつくり出そうと試みるのです。

 

フランス人画家、ピエール・ボナールがつかもうとしていたこともこれと同じです。ボナールは、思考が世界を、知覚する主体と知覚される客体、そしてこの客体を「数限りない物事」に分割する前の、時間を超えた知覚の瞬間をつかもうとしました。

 

ボナールにはそのビジョンはどのように見えたのでしょう? 彼が見たのは、色彩に溢れ、濃密で、調和した、活力とともに踊る世界でした。彼の世界では、バスタブの縁や古びた床板にも、頬の曲線や手の表情と同じだけの注意が払われました。同じだけの愛が注がれたのです。

 

中略

 

 

芸術家の体と心(マインド)は、自然が、それ自体をそれ自体へと翻訳するための媒体です。自然が、それ自体のアイデンティティを探し、現実化するための媒体なのです。このことをセザンヌは次のように表現しました。「私は景色の主観的意識になり、そして、私の絵はその客観的意識になる」と。

 

 

『プレザンス 安らぎと幸福の技術』 ルパート・スパイラ著 Part 5 自然の鏡 P213〜より抜粋

真の芸術には、突抜け、溶解させる性質があり、それは、視覚、聴覚、味覚、触覚、臭覚、といった知覚の見かけ上の要素を導引して、よくある二元的な見方が純粋体験へと崩壊するのを早めるのです。

 

 

そのすべてが 瞑想にふくまれます〜 J.クリシュナムルティ

 

瞑想は

日常生活とはべつの何かではありません

部屋の隅にいって

10分間 瞑想をし

そこからでてきて肉屋にもどる

というようなものではありません

比喩として言っているだけでなく

実際にそうなのです

 

瞑想は

もっとも重大なことのひとつです

あなたは それを一日中できます

仕事場にいるときでも

家族と一緒にいるときでも

誰かに「愛してるよ」と言っているときでも

子どもたちのことを考えているときでも・・・・・

しかし その一方で

あなたは ひとびとに

兵士になり ひとを殺し

愛国者になり 国旗に敬礼するようにと

おしえています

現代社会の このような罠にはまるように

ひとびとを教育しています

 

それらを ことごとく見まもり

あなたが そのなかで果たしている役割を理解すること

そのすべてが 瞑想にふくまれます

このように瞑想しているとき

あなたは そのなかに

たとえようもない美しさを見いだすでしょう

そして あなたは

どんな瞬間にも ただしく行動するようになるはずです

たとえ いっとき

ただしく行動しないことがあったとしても

問題ではありません

ふたたび それをとりもどせばよいのです

くやんで 時間をむだにすることはありません

瞑想は 生活の一部です

生活とはべつのなにかではありません

 

 

『  MEDITATIONS 瞑想  』J. クリシュナムルティ    中川吉晴  訳  より抜粋

 

 

 

*ふだんの言葉で伝える  ” 自己の本質  ” 、決して変わらないもの、とは〜

伊東充隆主宰  青空禅フォーラム  Tokyo

4月29日(土祝) 14時から16時

お申し込みはこちらから→