11月の中尾陽一先生の『これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座』は、ピカソその3でキュビズムについて。
キュビズムの絵はこんな感じです。
1910 年 カーンワイラーの肖像
とか、
1910 年 ヴォラールの肖像
とか。
何が描いてあるか、うっすらはわかりますか? キュビズムは、現代の抽象画に比べるとまだ写実の匂いを残しています。
でも、こんな絵からあのカクカクした絵へと変化するのですからね〜
さぁ、はじまりはじまり。今回も年代ごとにキュビズムの作品をスライドでざっと見ていきました。
キュビズムには段階があって、初期は形を単純化したり面でとらえる。中期になるとその面が消えて線的表現になり、後期になると、ぐるりと戻って絵として分かりやすい具体的写実的な断片を加えた表現となります。
こんな感じは面的。
面が消えて線。
ぐるりと廻って戻って来ました。これならね。楽士達が見えますね。
対象を面で見る時は、描く人と対象があって視点は1つです。これだと対象の一面しか描けませんよね、対象の存在は一面だけでないのに。そこでピカソは、友人の数学者プランセの助言もあって、物の存在の仕方をどうとらえるか?対象の本質を描く〜ということを探究して、視点をずらしながら多視点から見えているものを一つの画面に複合的に表したのです。
しかし、ここまで来ると面すらも消えて線が重なり、本質は描けているとしても対象の現実感は無くなってしまいますね。そこで絵の中に実際の新聞を貼付けたり、砂を付けて物質感を出したりしたというわけ。
対象物の本質を描くために究極まで行って、また現実に戻って来たという感じでしょうか。
・・・というところまでは、私がノートをとった理解に後から先生に質問して補足を加えたものですが、これだけだとただの美術史講座みたいですよね〜
中尾流で先生は、2時間半では語りきれない内容をにこやかに解きほぐしながら解説して下さり、参加者の皆さんはそれを一つずつ確認しながら理解したり、感じたりして行きます。
質問も発言も、リラックスしたムードながら真剣。
先生もマイペースで(笑)真剣。
「このキュビズムの物の見方は、ピカソが独自にやったのですか?・という質問が出ました。
実は、セザンヌが既に物を単純化して見るということをやっています。しかしセザンヌが描こうとしていたのは、対象である物というより、対象がある空間。その対象を堅固に描きながらそれを支えている空間を描く。先生の言葉を引用すれば「見えない空気の量塊を描く」ということがセザンヌの目指したところでした。
その空気感がセザンヌの作品からは伝わってきます。この空気感に関しては、理解するというよりも感じること。想像力を働かせてその作品の中にある空気感を感じ取ること、です。理論に頼らず、自身の感性を使う。そこが絵画ならではの面白み、楽しさではないかと感じます。
「絵画は、科学や文学で細かく検証されたり、表現されたことを一発芸で表現するようなものなのです」 by 中尾先生
というわけで、ちょっと実況中継より説明的になってしまった本日のジャーナルですが、皆さんの集中力が静かなる白熱教室な一日でした。
さて、来月12月、今年最後の中尾流は、
ダ・ヴィンチ !
そして参加者から提案された3点の絵画について、みんなでワイワイ♪予定です。
楽しく美術に触れて、ご自身とも対話するような中尾流の絵画鑑賞術、ご一緒しましょう〜〜美術はわかりませんとおっしゃる方こそぜひ!
先生からの12月ご案内文が届きましたら、またお知らせしますね〜お楽しみに!