言葉以前の実。

 

明後日は、空のお茶会です。

 

空のお茶会は、まだ始まったばかりだけど、私の妄想の中では広がりをみせております。

 

禅、哲学、仏性、真我、非二元、スピリチュアル・・・

そういう言葉以前の実を。

それがプロトマニアならではの、浮かれポンチなスタイルかもしれないなぁ。

 

瞬間の瞬。

瞬とは、まばたきをするほどの短い間、目で合図を送る、目配せ。

クスっと思わず笑うような、無言の以心伝心。

 

 

*先生はいません、ハートを頼みに自分で確かめよう〜

空のお茶会〜バーソロミューと共に。

5月21日(日) 14時頃から16時頃まで

参加費は2000円(お茶とおやつ付き)

 

 

 

 

全体。

 

なるべくね、歩いたり、からだをほぐしたり、深呼吸したりして、からだと自然を触れさせていくことを大事にしよう、って思います。自然に扉を開けておきます。

自分のカラダを触ったり、撫でたり、ひっぱたり、叩いたり、も大切です。あかちゃんの時みたいな感覚(思い出せなくても空想でも)や、オトナ社会のお約束をちょっとサボって、とらわれない自由さに身を置くこともいいですよね。たまにお行儀悪いのを楽しんだり。

 

おばあちゃんの知恵的な、それはもう知っている〜というようなことや、おとぎ話みたいなお話のなかには、よくよく見てみると、決して変わらないことや幸せにつながる鍵があったりします。

 

 

私たちって、一見簡単なことや子供っぽい馬鹿馬鹿しく見えることより、ちょっと複雑なことや科学的な証明や目新しいことが大好き。刺激的で楽しいものです。

 

 

どれを選んでも、どれがピンと来てもいいんですよね。趣味みたいなものですから。馬には乗ってみよ、人には添うてみよ、ですから。

 

最後の最後、全体には嘘も本当もないんですもの。

 

 

 

 

 

 

 

空の効用。

 

 

空を見るのが好きなので、つい空を眺めています。

 

 

 

風が強くても、

 

 

 

 

曇った空も、

 

 

青空も雲も。

 

 

 

空を見ていると、人間は知らないうちにリラックスしているのだろうと思います。

空を見ながら難しいことを考えても、きっと成功しない♪

ぼんやりすることは、とってもいいことです。

無心です。

メディテーションとか呼吸法とか、

また無駄に本を買ったり(笑)、どこかに習いに行かなくても、

一番、簡単で今すぐにできて、これでいいのか合っているのか?なんて関係ない、

ふっと、思いついた時に空を見上げるのは無心の一呼吸と同じ。

簡単すぎる、これじゃない、なんて思わなくても、それが入口。

 

 

 

 

 

 

 

 

生命の静かな躍動

 

 

 

 

応えはいつでもすべて、

 

 

 

 

 

 

内側にある。

 

 

 

 

*先生はいません、ハートを頼みに自分で確かめよう〜

空のお茶会〜バーソロミューと共に。

5月21日(日) 14時頃から16時頃まで

参加費は2000円(お茶とおやつ付き)

 

実践するということ。

 

ヨガクラスを始めたばかりの頃からずっと来てくれるマダムがいます。

もう70代半ばの方ですが、彼女はその現役時代にはおそらく珍しかったエリートのキャリアウーマンでした。病気で手術をした時も、治療を続けながら病院からタクシーで仕事場に通ったという筋金入り。

今のマダムはそんなことを感じさせないゆったりおおらかな雰囲気ですが、ご自分でも「よく働いた〜」とおっしゃるその密度の濃い時代と経験があっての、今のゆとりであり、もともと持っている性質でもあるのだろうと思います。

 

私とヨガと出会って、もうすぐ10年になる彼女のからだを先日見て、あらためてその変化の素晴らしさを感じました。ものすごい柔軟さとか、ポーズの正確さとか、そういうことではなく、そのひとなりの偏らないしなやかさが素晴らしかったのです。

 

クラスにはほぼ皆勤ですが、ヨガへの取り組み方は自然。とても真面目で熱心、とは違うし、向上することに貪欲、とも違います。よく食べて、よく遊んで、旅行に行く時はヨガクラスはお休みするし、クラスの途中で「疲れた〜〜」と自動的にお休みモードになったりもします。

 

熱狂することも急に冷めることもなく、頑張らず淡々と続ける

 

という感じです。

 

 

マダムは、私がクラスで「これだけはお家でやってくださいね〜」と地味な動きを幾つか伝えたことを本当に実践しています。続けてやった時のささやかな効果を実感して、さらにそれが継続するのだと思います。

 

 

倚りかからず、自分で確かめるから続くこと。

柔らか過ぎず硬すぎない、ちょうどよい塩梅のしなやかさ。

 

 

私がヨガの師匠から伝えられ、そのようにヨガを伝えなさいと教わったことを、そのように受け取ってもらえたように感じることができました。

「アラカワ先生」なんて呼ばれても、実践の先輩には教わることばかり。

 

ただ感謝でいっぱいになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

確信のような何か。

 

ふっと浮かんだ確信みたいなものは、

そこに理由はないし、言葉で説明もできないけれど、

確かにそうだとしか言いようがないもの。

 

 

そういう何かや感覚を、これまでいくつ見逃したかなぁ。

見ても、ちらっと見ただけで関心を向けなかったり、

そのままスルーしたこともあるでしょう。

 

そんなこともあったでしょう。

 

 

でも、どうしてもそうでしかない、という声に抗えない時がありますね。

抗う必要さえなかったということは、あとから感じたりします。

 

 

日々のあれこれ

 

買い物に行って、レジの列に並んでいたら、前の女性が「先にどうぞ」。

 

私の買うものが1つだけだったのを見て、順番を譲ってくれた。

 

 

全然、急いでないからどうぞ

 

急いで生きてないんで

 

 

サバサバした感じでそう言う。

 

 

ありがとうございます、とペコリと頭を下げて、お互いに微笑む。

 

 

急いで生きていないんだって。

 

 

いいねぇ、ふつうの日々って。