ビシッと決まらないけど、自然。

 

 

 

不意打ちを喰らった時、たいてい、一瞬ぼーっとしてしまうのです。

気の利いた返事もできず、映画のような決め台詞でカッコ良く反論もできなくて。

 

 

きぃー、あの時こう言えばよかった!! も〜ばかばかばか!!!

またやられた、もぅ全然ダメじゃないか^^^^

 

 

なんてね。後から来るんですよね。思い出してイライラ〜♪

 

でも。

意外とこのアホみたいな、ぼ〜〜〜〜   は、悪くないぞ。

 

 

この、アホ、のままでいるのは実はとても自然なすがた。

 

ただ動きに抗わないでいる。

 

 

ぼーっ、は、最も効率よい自然な在り方かもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バルテュス、中尾流ではこうなる!第37回絵画鑑賞入門講座〜

 

5月最後の日曜日は、

中尾陽一先生の「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」

でした。5月のテーマは、「バルテュス」です。

 

バルテュスは1908年パリ生まれ。ドイツ国籍でポーランド系貴族の家系。両親、兄は画家や小説家という芸術一家に生まれ育ちました。日本では何度か大きな展覧会が開催されています。50代で親子ほど年下の日本人女性と結婚し、その節子夫人は後に画家との生活やライフスタイルなどが注目され、女性誌でかなり記事になっているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 

画家バルテュスは、2014年東京と京都で開催された展覧会のコピーにあるように「賞賛と誤解だらけの」20世紀最後の巨匠と言われています。(バルテュスを巨匠と言ったのは、ピカソだそうです)

 

 

まずはいつものように、スライドでさささ〜〜〜っと作品を流し見ます。

その後で先生から

 

 

「どうですか? どんな印象ですか?」

 

と一人一人に質問。

 

 

 

 

エロティックだけど品がある。人物像は生々しくない描き方だからか下品な印象がない。風景画は光がさらっとして爽やか・・・などなど。

 

 

 

 

バルテュスは少女を描きました。パッサージュ(仏語)、つまり過渡期、移行。少女から成人女性へ変わる危うい妖しい女性美を描きました。パリの画廊でデビューする個展の時には、意図的に少女を描き注目を集めるというセルフプロモーションも。

 

 

 

 

バルテュスの作品は、何が言いたいのか描きたいのかが明確には伝わりません。

例えばこの絵、画面の少女のポーズは造形的な説明ができる、鏡は何を象徴するか? 後ろの暖炉の燃え盛る炎は何を表すか? そしてそこに薪をくべる男は? その不自然なまでの姿勢にはどんな意味があるか?・・・などなど、様々な解釈が生まれ得るのです。

 

 

参加者から、かなり深い意見が飛び出す!

 

 

先生から浅田彰氏が書いた文章が紹介されました。要約すると、バルテュスの絵は

 

倒錯的なポンチ絵   (!!!)

 

であるということ。浅田氏によれば『美術史の流れとして行き着いた抽象表現、その先、抽象から戻った具象絵画は人体表現に帰す。20世紀その中心にいる巨匠は、バルテュス(ロリコン)、F.ベーコン(ゲイ)、L.フロイド(デブ専)・・・』とのことらしいですが、ご興味のある方はこちらから→

 

 

 

というように、バルテュスが描く不思議感に満ちた人物像は、十人十色の受け止め方と感想がありました。でも、先生としてはそこも狙い目だった模様。そして、みなさんから拒絶反応がもっとあるのではないかと予測していらしたそうですが、予想以上にみなさんの絵の見方が広がっている、と。
これも中尾流での知性感性フル稼働の賜!誰もが巨匠と認める画家だけを取り上げないところが、さすが中尾先生です。

 

 

「バルテュスはシャガールやルオーを全く評価しませんでした。なぜならば、作品にテーマを持たせて訴え、語らせる彼らとは違って、バルテュスにとって絵画は、その時その時、描きたい課題を描くことが重要でした。」

 

バルテュス自画像

 

自らを

 

「職人であり修道士である」

 

と言っていたバルテュス。

芸術に対して誠実な人生を送りました。作品について語ることは殆どありませんでしたが、90歳を超えた最晩年に、自身の芸術や思想、自然、人生について語った回想録が出版されました。

 

 

この日は、バルテュスの回想録『バルテュス〜自身を語る』の翻訳者、鳥取絹子さんも参加して下さり、翻訳をしながら実際の作品を見にニューヨークへ行った時のことや、鳥取さんから見たバルテュスの哲学と作品についてお話を聞くことができました。

 

鳥取さんは、フランス語の本の翻訳をはじめ、エッセイなど数々の著作をお持ちです。プロトマニアがイメージする「大人の男の子、女の子」、オリジナルは、この絹子さんの言葉。まさに絹子さんは大人の女の子。知性的で、いたずらっぽくてお転婆、でも周りへの配慮をさりげなく自然にしていらっしゃる大人の女の子です。

 

今回の「バルテュス」は、多様性に満ち満ちた中尾流でした。みなさま、お疲れさまでした!

 

 

 

さてさて、この日のおやつは、オヤツ番長セレクトに加えて、スペシャルプレゼントが届きました。

前回のボナールとナビ派の時に出て来たフランスはブルターニュ地方の町「ポン・タヴァン」。参加者のおひとりが「ここのクッキーおいしいの〜」とおっしゃっていたのですが、なんと!今回その方のお誕生日にフランス人のお友だちからウワサのお菓子が届いたとのこと。(中尾流の話、聴いてたのかしら?)

 

そして、なんたる愛♡、そのお裾分けをこの日持ってきてくださいました!お裾分けというにはゴージャス太っ腹な、ひと缶まるごと!!!

 

 

 

ばば〜ん

 

缶がきれいなので、これは中尾流で確保。

ごちそうさまでした。

 

中尾流は、とってもリラックスした雰囲気で、初めて来ても前からいるように自然にそこに座って、聴いて,見て、発言しちゃうし、みなさんがふつ〜に仲良くなっていて、とにかく素晴らしく緩やかです。

そんな中尾流、次回は6月25日(日)

 

ターナーとイギリス風景画

 

あのゆったりとした絵のターナー。けっこう変人だったというウワサですよ

 

(笑)

 

詳細は近日、中尾流のコーナーでご紹介しますね!
絵が好きでもそうでもなくても楽しいこの寺子屋白熱中尾さん、ぜひ一度遊びにきてください。

 

ね、先生が楽しそうでしょ。

 

 

 

 

先生もあなたもわたしも、素晴らしい!

 

明後日は、5月の「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」。

中尾さんと一緒に、バルテュスの作品と人について、見て感じて考えていきます。

 

 

学校嫌いの私がイメージした寺子屋のプロトマニアは、お勉強する場所ではありません。もちろん知らないことを先に知っている専門家から教わる時には、リスペクトは最大限に真摯に学びます。ただ、知識を得ることが目的の場ではなく、自らの欲求に従って学び、感じ、変化するきっかけの場がいいなと思っていました。勉強するのではなく、伝えられる知識の間の目に見えないニュアンスを自ら耕すような感じ。

 

中尾さんの講座は、毎回来て下さる方たちの中に変化が見えるのがとても楽しいし、嬉しいし、ステキだなぁと感じます。

 

 

中尾先生、素晴らしい先生ですね。

 

 

と言っていただくと、我が事のように嬉しく、エッヘン、でしょ〜?!と鼻高々です。

でも同時に、

 

 

そういうあなたも、素晴らしいです!

 

 

と思います。

 

 

 

先生の素晴らしさを実感しているあなたは、素晴らしい!

 

 

 

プロトマニアは「真理の探究を思いっきりするぞ〜〜〜」と心の中で叫んで始めたのですが、最近、プロトマニアをずっと見ていてくれる友だちに「真理の探究だっけ?  なんでそんなこと考えるのか、不思議だったわ〜」と言われました。そういうことを言ってくれる友だちが、私は大好きです。

 

青空禅や和サンガで伊東先生から学んだことが基盤になって、最近は、他のティーチャーが言っていることもよくわかり、鮮明に伝わって来たり、これまで聴いてきたことが繋がって、先生が伝えていたことはこのことだったかと合点するようになって来ました。

 

それは、真理、真我について、絵画や中尾先生の話、参加者のみなさんの発言を聴きながらアレとソレが繋がったり、伊東先生の話を何度も聴いたり、バーソロミューやマハラジや同じ本を繰り返し読んだりしながら、同時に、そんなことなんで考えるの?という友人たちや、やれやれと思いつつ、相手を否定してつぶし合うのではなく、ただ率直に今の位置から話し合えるチャンスがあったから。

 

 

私は、ちっがーーーーう!

 

 

私は、こーーーーーいう人なんですっ!

 

 

という強固なヨロイのひもが知らず知らずのうちに弛み、新しい感覚やまなざしに変化していくことは、

 

 

素晴らしい!

 

 

素晴らしくきもちいい!

 

 

 

ふと気づいたら、ぜったいイヤと思っていたことまで、溶けて流れて無くなってしまっていたりしてね♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでそのまま。

 

 

空のお茶会は、多様性を学ぶ場なのかも。

 

と参加者の方がおっしゃっていました。

 

そう、だって、バーソロミューにはたくさんスピリチュアル的な表現が出てくるし、参加者の視点は、非二元もスピリチュアルもその人オリジナルもいろいろあります。長年、私が道案内をしていただいている伊東先生のもとで、今、学んでいる人もいれば、先日のように、非二元という言葉を使わずに「それ」に、くつろいでいるタクさんやナオコさんが来てくれたりします。

 

話を聴いて違和感を感じることがあったり、それって自分の信念と違うけどどうなのぉ?とか、この人はわかっておらん(・・笑)とか、そんなことを頭上にぽっかり浮かんだ吹き出しの中で呟いているかもしれませんし、いないかもしれません。

 

それはそれでいいんです。

 

自分で確かめるチャンスだから。よく見るチャンスだから。

 

非二元、悟り、自己の本質を知りたい、そのものに深く深く落ち着きたい、安心したい。

これは、宗教や観念とは違います。誰も私を試さないし、私は自分をけっして誤摩化せません。

 

 

 

出世魚ってあるでしょ。

おさかなの「シンコ」は「コハダ」になって、最後はコノシロと呼ばれ、

ブリは、「ハマチ」から「メジロ」を経て、ブリ。

どれもそれぞれ、その時々ちゃ〜んとそれで良くて、皆に愛されていますよね。

それでそのまま。

おまけに、究極はもともとずーっと、ただ「魚」!

 

 

 

これでいいのかなぁ・・・という時はそれが自然。

 

こっちがいいなぁ・・・それも自然。

 

無駄なように見えても、苦しくても悲しくても、ショートカットする道を知らなくても、いいと思います。インド人の有名な誰かが言ったことや西欧の誰かの言葉を鵜呑みにしなくてもいいし、天の声や日本のあの人の説明がピンと来なければ、そのこと自体に正直に。あれこれの情報にオドオドしたり、緊張するより、リラックスしていればいいんだと思います。リラックスしながらおのおののペースで。

 

慌てない慌てない、だいじょうぶだいじょうぶ。

 

私は自分にそう言います♡

 

 

私はね、青空禅が好きなんです。(次の青空禅は6月開催予定です)
「青空禅」という名前がとても好き。悟りとかワンネスよりもイメージがのびのびしていて、親しみやすくて。本質はまさに青空で広大無辺なんじゃないかなぁ。

 

 

*ふだんの言葉で伝える  ” 自己の本質  ” 、決して変わらないもの、とは〜

伊東充隆主宰  青空禅フォーラム  Tokyo

 

 

空に線は書けている?

 

空に線を書いているようなもの

 

分離していると思っているのは、ここからここまで、と空に線を書いているようなもの。

線、書けてます? 書けてませんよねぇ。

分離は、イメージの中にだけ、あるように見なしているだけなんです。

 

と、そんな表現でタクさんは言っていました。