11月13日(日)は景山えりかさん@プロトマニア

景山えりか

プロトマニアで「星のティーセラピー」をして下さった景山えりかさんが、

新しい本を出版されました。

 

『  月整活 月のリズムで暮らしと心を整える 30の新習慣  』

主婦の友社より本日発売!

 

もくじはね、

 

第1章 月が教えてくれること

第2章 月のリズムを知る

第3章 月のリズムで整える

第4章 月のミニ事典

そして、月の満ち欠けカレンダー付き!

 

という具合。

届いたばかりでまだ読み切っていないけど、

情報がとても整理されていて、すっと頭に入って来る。

それはえりかさんがレクチャーでお話される時とまったく同じです。

 

知っているようで実はよく知らない月。

えりかさんは、月にまつわる昔からの知恵や風習と、

現代のサイエンスの知識を同じテーブルの上に並べて見せてくれる。

 

現代の生活は情報いっぱいで、スピードも速い。

自分のリズムが気づかないうちに外側に引きずられて崩れていることもあります。

そんな時は、さらに新しい情報に頼るより、自然のリズムを頼みにする。

一番身近な、月の満ち欠けを使って。

 

えりかさんの文章のリズムは、とってもゆったりしていて丁寧なんです。

読んでいると、呼吸が整う感じがしますよ。

ぜひ読んでみてくださいね。

 

景山えりかさんのレクチャーは、11月13日(日)午後開催です。

お申し込み、お待ちしています。

 

 

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好きのその先へ

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プロトマニアは、真理の探究のために生まれたのです。

私は、青空禅フォーラムに出会うまで、芸術を通してそれを考えていました。

このプロトマニアにはアート講座があって、先日、晴れて第30回を迎えました。

中尾陽一さんの『これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座』です。

 

30回も続いたなんて、アリガタヤ! 運営者はパチパチパチ♡なんです。

でも中尾さんはね、「あぁそういえば、そうですね〜」くらいの反応でね(笑)。

さすがのんびりマイペースのクマさん中尾さん(そこが好きなところ♡)。

講座の雰囲気の良さは、こういう中尾さんが先生だからこそ、なんだろうなぁ。

 

『この講座は知識を競うものではなく、絵を見る力を養うための講座、

美術史の流れを知らなくても、今、この場で見ている絵をどう見るか、

どう自分の言葉にするか、を自由にワイワイガヤガヤ、寺子屋式で学ぶ』

というのが、プロトマニアでの中尾さんカラーです。

 

30回の最初に、先生はこうおっしゃいました。

 

絵を感じるだけじゃなく、考えること。

好き嫌いはもちろんそれでよい。

でも、
好きのその先へ。

 

 

良い言葉だったなぁ。

 

知識に偏らず、且つ、好き嫌いだけで片付けない。

 

これは、何ごとにおいても大切なことですよね。

 

 

参加者の方たちの感想が、これまたと〜っても素敵でした。

 

絵を見る視野が広がった。もちろん、元々の好きは好きだし、嫌いなものは嫌い。

でも食わず嫌いじゃなく、一度食べてからやっぱりきらい、すき、というのとは、

大きな違いがある。

 

作品を見ることやこの講座に参加して、思考を深めるチャンスになった。

人が言ったことを鵜呑みにするのではない、

二者択一だけではない吟味の仕方が、わかった。

 

視野が広がって人生楽しくなった。

 

などなど。

 

芸術ってね、私が思うに、誰サンよりワタシは知っている、とか関係ないんです。

そして、社会的地位や身分、肩書きなんて関係なく飛び越えて、

ひとつの芸術作品のまわりで、まったく裸同士で話したり味わったり、

意見を戦わせたたり、誰かが言うことに素直に耳を傾けられる。

そこが素晴らしい〜くて、好き。

 

アートの仕事、プロトマニアの講座を通して私がみんなに提供できることは、

美術でも音楽でも、瞑想でもお料理でも子育てでもいいんです、

まずは日常生活の中で、しばし立ち止まって自分と向き合うツールに出会おう。

世界はそれだけじゃなく広いのだ。

それが正しいかどうかだけに囚われないで、

既成の概念は疑うべし。

 

あのミケランジェロだって、時代の条件の中で生きるのは大変だったけど、

ひたすら求めていたこと、最後に表現したのは、本質なのだ。

 

 

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ミケランジェロの彫刻の大理石が掘り出されたイタリアの山の写真。

 

 

そんなクマさん中尾先生の

第31回「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座*ベラスケス」

こちら→

 

ハートは知っている

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思い返せば、こんな落ち着きのない自分が続けてできたことってこれだけ。

好きなことや興味があることには一所懸命(♡)、

という性質が助けになってはいるのかな。

 

クリシュナムルティ、パパジ、ラマナ,ラメッシ、マハラジ、…

エックハルト・トールもガンガジもあれもこれも、本はいろいろ読む。

井筒俊彦先生や木村敏先生の本までかじって、

奇跡のコースもワークブック365日、ゼイゼイ言いながらとにかく毎日。

… プロトマニアのマニアっぷり。

なんにやってんだい、自分!という感じもするけどいいんです、人生はドラマ。

 

友だちが言ったように、人生は闇鍋みたいなもんです。

うへ〜、コレ食べるの?っていうような体験があります、ありました。

その時は、もうこれ以上生きていてもしょうがないな〜と、冷静に思いました。

でも、うへ〜!っていう反応は、過去の記憶や体験が作ったフィルターです。

食べざるを得なかったけど、後から、深い複雑な味だったのだと気づいたりします。

そしてその、うへ〜は、実は脂肪を代謝する力を高めていてくれたのだ、

ということに、ある日ある時、目が醒めることがあります。

 

そういうことが、やっと腑に落ちました。

いろいろな人がいて、あちこちで体験したり、聞いたり読んだりしている…

と思っているけど、認識できないところでは着々と勝手にヤミナベは味を深める。

微生物くんは目に見えないけど、コツコツ働いているのだ。

だから安心していていいのだ。

どこで誰から何を学んでもいいし、間違いもない。

遠慮はいらない、堂々と生き生きと。

誰かが言ったことや、誰かの感想、評価ではなく、

誤摩化しの効かないハートの声を信頼していこう。

ハートが知っている。

 

 

 

*伊東充隆主宰  青空禅フォーラム10月 のお話は聴く度に新しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きれいでしょ。

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言葉にするとすれば、それは、歓び。

薔薇の花をいつからこんなに好きになったのか。

バラを見ているだけで、ニコニコしてしまいます。

 

aozorazen

お誕生日でもないのに沢山のバラ♪

ほら、バラの花たちが嬉しそう、

…に見えるのは、自分だけ???

 

 

それが何を得るというのだろう?

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質問者

もし私が永遠に完全であるなら、いったいどうして私は生まれてきたのでしょうか?この人生の目的は何なのでしょうか?

 

マハラジ

それは金をひとつの装飾品につくり変えることに、いかなる利益があるのかと尋ねるようなものだ。装飾品は色彩と金の美しさを得るのだ。金が豊かになったわけではない。同じように、実在が行為のなかで表現されたとき、その行為は意味をもち、美しくなるのだ。

 

質問者

その表現を通して、実在は何を得るのでしょうか?

 

マハラジ

それが何を得るというのだろう? まったく何も得はしない。だが、それ自身を表現し、それ自身を肯定し、困難を克服するのは愛の本性なのだ。ひとたび世界は行為のなかの愛なのだと理解するならば、あなたはそれをまったく違ったように見ることだろう。しかし、まずはあなたの苦しみに対する態度を変えなければならない。苦しみは根本的に、注意を求める呼びかけだ。それ自体が愛の動きなのだ。幸福よりも、愛は意識と存在の広がりと深まりにおける成長を求める。何であれ、成長を妨げるものは苦痛の原因となる。そして愛は苦痛を避けたりしないのだ。正義と秩序のために働くエネルギー、サットヴァは妨害されてはならない。進行を妨害されると、それはそれ自身に対して破壊的になるのだ。いつであれ愛を与えることが控えられたとき、争いは不可避となる。隣人の苦しみへの無関心が、私たちのもとへ苦しみをもたらすのだ。

 

 

『アイ・アム・ザット   私は在る』ニサルガダッタ・マハラジとの対話 
絶対的な完成は今ここにある   P438より抜粋

選択の可能性に満ちている

バーソロミュー

傷つくということは、単に傷つくことにすぎない、それだけのことだ、ということを受け入れ、痛みから逃れることに一生を費やすことをやめると、自分の世界が完全に変わってしまうのに気づきます。心が痛むにまかせていてごらんなさい。誰かそれで死にましたか。全ての人々は傷つけられた経験があります。何度も何度も傷つけられた経験があります。それでも、人々はちゃんと生きています。

そのひどい経験の結果、あなたはどうなりましたか。あなたは苦しみを怖れ、避けようとしていますが、その怖れは幻です。悲しみなくして喜びは経験できません。その二つは同じ世界の両面なのです。ですから、人があなたの悪口を言ったり、あなたに対してひどいことを言ったりするなら、そうさせておけばいいのです。どうでもいいことです。

傷つけられるようなことを言われたとき、あなたはそれにどう対処するか、選択の道があります。何の反応もしないこともできますし、あるいはその瞬間のすべてを楽しみながら、大胆にそのドラマを演じきることもできます。どちらでもいいのです。そのことで憂鬱になり、気落ちし、罪悪感を感じたいなら、それもけっこう、どうぞやってください。堂々と情熱をもって、生き生きとエネルギッシュにやってください。真剣にやってください。こういうときに、何も選択の余地がないと思うと、そこで苦しみが生まれます。自分は選ぶことが出来ないと思うことが、あなたを傷つきやすくするのです。

あらゆる瞬間において、自分は選択の可能性に満ちていることがわかると、その人の世界は変わります。あなたを傷つけるのはまわりの出来事ではなく、「それに対するあなたの反応」なのです。このことは、もううんざりするほど聞かされたはずです。けれども、自分の全存在をかけて、一度でも真剣にそのことに耳を傾けると、自分を傷つけるのは出来事ではなく、「それに対する自分の反応」だということが理解できます。

 

バーソロミュー 大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージより 

 

ご縁がありましたら。

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何かを、誰かを繋ぐ役、というのをしばしば耳にします。

私の仕事は、作品と誰か、つくる人と誰かを繋げるのが役目で、

こ〜んな素晴らしいひと、もの、世界があるんですよ〜と伝えて来たから、

ある意味、人生における役割はこれかしらね、と思っていた。

プロトマニア然り。

 

でもふと思う。

繋ぐ役といえば、本来、全員がそうだろう。

 

あれとこれを結びつけたら面白い、役に立つ、という発想力が、

新しいものを生み出すけれど、

人と人、出来事やもの、世界は全体で繋がっていて、

途切れたり、離れて切れているところはない。

 

繋いでいるのは、自分や誰かではなくて、繋がっている。

ただ繋がっている。

その繋がりは、誰によってでもなく勝手に見えたり見えなかったりする。

それを、自分が繋げたと勘違いしたり、繋げようと画策したりする。

でも、

 

役目や意味が消えることは、とても自由。

 

たまたま目に映る風景が美しかったり、素敵だなと感じる人物たちだったり、

距離や関係性が穏やかでシンプルだったりすること、

それはとってもとっても、ギフトなんだ、って感じる。

 

ご縁がありましたら、とよく言うけれど、

きっとご縁は、まるごともれることなくうつくしく繋がっているのだ。

他人ごと、と知らんぷりしても、

残念でした、実はもう繋がっちゃっているのだ!

だからこそゆっくりゆっくり、丁寧に。