明日は、伊東先生の東京和サンガです。

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朝、ふと、なんだかいいこと思いついちゃったんです〜♪

プロトマニアで、みんなと一緒にやりたいこと〜!

妄想空想、広がっております♡

 

やりたいこと、と言えば(ワザとらしい導入…)、

私はずーっと、伊東先生の和サンガを東京でも開催してほしかったのでした。

明日は、その東京の和サンガ6ヶ月コース2期の第5回目です。

来月はもう最終回!

日が経つのは速いけど、焦りません、慌てません。

和サンガがあることで、日常がすごく充実しています。

この和サンガは、プロトマニアで初めて参加して体験しています。

単発の青空禅には何年も通って来たけど、

この継続コースとの違いをハッキリ感じます。

 

継続参加者も初参加の人たちも大ベテランも、

みんな一緒に毎回、たった今、学んでいます。

学ぶ? 「学ぶ」という言葉はあまりピッタリじゃないけど、

みんなそれぞれに知りたかったこと、分かりたかったことに向かって、

思い込みに気づいたり、誤解を解いたり、

ガッカリ途方に暮れたりしながら〜♪、

知らず知らずのうちに、余計なものから自由になっていっている感じ。

知りたい、も、分かりたい、も、

もうどっちでもいいかも、って思いながらね!

 

 

 

 

*伊東充隆主宰 東京和サンガ6ヶ月コースは現在開催中です

*どんなことしてるの?なら、青空禅フォーラム10月を体験してみてはいかが?

*そしてそれらの雰囲気がわかる風景はこちらから→

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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変わらずにあるもの。

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もうすぐ東京国立博物館で「禅 ZEN ー心をかたちにー」という展覧会が、

始まります。

江戸時代の禅師、白隠慧鶴が亡くなって250年だそうです。

 

白隠は、書画をたくさん描いて民衆に真理を伝えようとしたと言われています。

迫力ある達磨の絵は、一度は見たことがあるのではないでしょうか?

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「衆生本来仏なり」

すべてのひとは既に悟っている。

 

と言ったひとです。

 

最近は、瞑想がブームのようですが、

昔からあるものだから、友だちのおじいちゃんは毎朝、座禅していたし、

社長さんもお坊さんも裁判長もバレエの先生も幼稚園生も、

たまたま環境にそれがある人は習慣的にやっている。

 

ブームではあるけれど、「瞑想」という名称からは、

怪しい!と印象を持つ人はまだ多いそうです。

座禅と言ったら抵抗は半減するのかな?

ヨガも、オウム真理教の事件があった頃は、

怪しさいっぱい(笑)変な目で見られたけど、

今はオシャレで、ヨガインストラクターはドンドコ増えているそうです。

 

ZEN も瞑想も座禅も非二元も悟りも、ずっとある。

人の心や考えは移ろい流れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロトマニアの先生たち。

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プロトマニアには、Facebook のページがあるんです。

そこには、レクチャーやワークショップのお知らせページを作って、

いろんな方に見て、知って、参加して頂けるようにしています。

そして、開催されたものの内容や雰囲気が伝えられるようにと、

写真と言葉でアルバムを作ります。

参加して下さった方の感想もたまに載せたりするのですが、

どんな様子で行われたか、行われているのか、

シンプルに、写真と説明からそのまま受け取ってもらえたら嬉しいです。

 

青空禅フォーラム9月と第29回中尾流絵画鑑賞入門の様子はこちらから→

 

 

どちらの講座も、本当に先生が素敵です。

私は120%の主催者の冷静さ(笑)と同時に、120%の信頼と敬愛を抱いています。(そうじゃなきゃ、皆さんをお誘いできませぬ)

そして類は友を呼ぶのです、参加者の方たちも、

また会いたくなるような方ばかり、という自然な成り立ちがミラクル。

 

アートも、私とは何か?を知ることも、難しいようでシンプルですが、

そのシンプルさに気づいて受容するまでは、いろいろな状態が起こります。

そんなシンプルなはずないでしょ、とか、いえいえ、私はまだまだ…とかね。

それでも、素直に愚直にそっちを向いていると、

ふと、それまで無意識に入っていたガンバルゾ〜(と怠けもののセット)とか、

謙遜(と優越感のセット)とか、がとける瞬間があります。

さぁ、そこからが本番、気持ちよく自由にのびのび広々と行ける感じがします。

 

そこまで、根気強く、丁寧に、飄々と、肩を並べて決して手を離さずに、

ちゃ〜んと伴走してくれるのが、先生たち。

 

さて、走っているのは誰か?(笑)

 

 

プロトマニアでお会いできたら、ホントに嬉しいです♡

 

 

 

*伊東充隆主宰 10月青空禅フォーラム 10月30日開催

不変なる何かを探していたら、ここへ→

 

 

*中尾陽一 10月これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座

美術と仲良くなって、ちょっとツウにもなれちゃうのはこちら→

 

 

 

平和と調和、友情と愛に生きる技

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すっかり秋になりましたね。

 

 

先週のプロトマニアは、とっこさんのピラティスに、

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青空禅フォーラムや

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よよヨガクラスや

 

中尾流絵画鑑賞入門講座でした。

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写真も撮ったし、みなさんに見て聞いていただきたいことたくさん。

プロトマニアの  Facebook にもアルバムを作りましょ〜っと。

 

プロトマニアの先生たちってホントに素敵。

参加して下さる方達もホントに素敵。

一期一会、と思いながらいつもお迎えしています。

 

嬉しいことも、戸惑うことも、だいじなこと。

体験に遭遇させて、しみ込ませてくれる、このすべてに感謝いっぱい。

 

 

マハラジせんせいのこの言葉を携えていこう。

 

質問者
誰もがあなたに出会う機会があるわけではありません。

マハラジ
あなた自身に出会いなさい。あなた自身の自己とともに在りなさい。それに耳を傾けなさい。それにしたがいなさい。それを育み、絶えず記憶のなかにとどめておきなさい。あなたにほかの指導は必要ない。あなたの真理への衝動が日々の生活に影響を及ぼしているかぎり、すべてはうまくいくだろう。あなたの生を、誰も傷つけることなく生きなさい。無害であることは、ヨーガのもっとも強力な修行形式なのだ。そして、それがあなたをすばやくゴールへと導くだろう。これが、私がニサルガ・ヨーガ、自然のヨーガと呼ぶものだ。それは平和と調和、友情と愛に生きる技だ。その結実が、永遠で原因のない幸福なのだ。

 

*ニサルガ … 自然な状態 生来の性質

 

 

 

 

明日は青空禅フォーラム〜♪

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明日はプロトマニアで青空禅フォーラムです。

東京の青空禅フォーラムは、相変わらずテーマとかレジュメとか、

さらにはタイトルなしの直球で、

 

「私とは何か?」

 

を毎回やっているのですが、

みなさん、本当によくぞ見つけて来て下さるなぁと感謝です。

伊東先生のお話や活動がいろんな経路で広がって、

ここに青空禅が毎回開催できるのですが、

先生の自己の本質に向かう惜しみない純粋なエネルギーにも、

みなさんの真摯な姿勢や学びへの情熱にも、

ときどき、しみじみと、ほぉ〜すばらしいなぁと感じます。

青空禅で知ったこと整理できたことをベースにして生活したり、仕事したり、

人間関係を結んだりして、人生が進んでいるひとたちが少しずつ増えて、

ずっといつもじゃなくても、ゆっくり繋がっていて、

久しぶり〜!と顔を見られたり声が聞けたりするのは、なんだか嬉しいものです。

 

バッチリ、ピターッと仲間だぜ〜! じゃぁないんだけど、

ほどよいゆるゆる〜な、行ったり来たりをゆらゆらと楽しむ、東京の青空禅です。

よろしかったら、一度遊びにきてみてくださいね。

 

 

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*本当の私はどこにあるのか? へまっすぐ向かう

→ 伊東充隆 主宰 青空禅フォーラム+東京和サンガ

助けとなるのは沈黙だ。

ニサルガダッタ・マハラジ

マハラジ

まったくそのとおりだ。真の探究はつねに何かのなかへであって、何かから外へではない。私がいかにして何かを得るか、あるいは避けるかを探究するときは、本当に探究しているとは言えない。何かを知るためには、完全にそれを受け入れなければならないのだ。

 

質問者

そうです。神を知るには神を受け入れなければなりません。何と恐ろしいことでしょう!

 

マハラジ

神を受け入れる前に、あなたはあなた自身を受け入れなければならない。それはもっと恐ろしいことでさえある。自己受容の第一段階はまったく喜ばしいものとは言えない。なぜなら、人は楽しい光景を見るわけではないからだ。先へ進んでいくには、すべての勇気が必要とされる。助けとなるのは沈黙だ。完全な沈黙のなかで、あなた自身を見守りなさい。あなた自身を描写してはならない。あなただと思いこんでいるあなたを見てみなさい。そして、あなたはあなたが見ているものではないことを覚えておきなさい。「これは私ではない。私は誰か?」が自己探究の動きなのだ。解放へのほかの手段というものはない。すべての手段は延期を意味するのだ。あなたでないものを断固として拒絶しなさい。真の自己が荘厳なる無のなかに現れるまで。それは、「何ものでもないもの」なのだ。

 

『私は在る』ニサルガダッタ・マハラジ 「理解は解放へと導く」P545   より

 

 

*抑制や抑圧ではない、理解するマインドへのサポートはこちら

→ 伊東充隆 主宰 青空禅フォーラム+東京和サンガ

安心したいのだ。

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和サンガでの宿題をやっていて、気がついたら、

自分は正直で素直に見ているという思い込みから、見逃していたことがあった。

わかっていると決めつけて、知っているふりをしていた。

 

真理の探究を続けてきた自分。

記憶の中での自分はずっと変わらないものを求めていたし、知りたかった。

確かにそうだけれど、素直になって無防備に正直になってみたら、しみじみと、

 

ただただ、安心したかったんだなぁ。

 

・・・・・・・

ことあるごとに目の前にそびえ、立ちはだかるように思えたあの障壁も、

繰り返す気に入らないシチュエーションも、

その根底にあった欲望は、ただ、安心したかったんだ。

 

気が抜けるくらいやさしくて単純だ。

なんだか可愛らしすぎるし、微笑ましいくらいに単純だ。

聞いても聞こえていない、見ても見ていない、

気づいていないのは、自分だけ(笑)、

それが聞こえ、それが見え、それに気づけるのは、瞬間性の中だけ。

 

誰もが本当は、それを切望している。

 

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*そんな無意識に信じていることに注意深く向かうためのサポートはこちら

伊東充隆 主宰 青空禅フォーラム+東京和サンガ

 

 

 

重要なのは今しかない

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この瞬間の真っ只中で、脅かされた自分のイメージを慌てて守ろうとせずに、今現れているすべてのものが深く受容されている境地を見つけることができるだろうか? この瞬間を、深い受容への一つの壮大な誘いとしてただ見ることができるだろうか? 愛されていないと感じる気持ち、私のことについて相手に言われた内容が正しいかもしれないという可能性、相手に拒否されるのではないかという恐怖、もう二人の関係は終わりで相手が去って行くのではないかという恐怖でさえ、すべてこの瞬間に、ただここにあっても構わないだろうか? 胸の苦しさ、例えるならみぞおちにパンチを食らったような感じ、喉が締めつけられるような感覚、あなたの全世界が一時的に崩れ落ちるような気持ち、そういった体験のすべてをこの瞬間に深く許すことができるだろうか? 明日許そうと考えるのではなくて、昨日許せたかどうかを考えるのではなくて、今許せるだろうか? 重要なのはしかないのだ。
たとえ、あなたが私とても挑戦的なことを言ったとしても、たとえ私が深く傷ついたり、侮辱された、拒絶された、愛されていないと感じたとしても、私はそういった感情の真っ只中で、最も深い受容に気づくことができるだろうか? あなたのいる前で私が傷ついたと感じ、痛みを感じ、悲しみを感じ、怒りを感じ、愛されていないと感じ、心細さと無力さを感じるのを、ほんの少しの間ただ許し、それをそっとしておくことが私にできるだろうか? ほんの少しの間、その傷ついた心を完全に自分の中に招き入れることを許せるだろうか? 傷ついた心がすでに許されている境地を見つけられるだろうか?
 傷ついた心を招き入れることがどんなに常識に反していて、どんなにエゴによる自尊心を脅かすものであっても、その傷を十分に感じることを許すとき、私たちは傷ついている状態に終わりを告げる。言い換えると、深く受容されている傷ついた心が「傷ついた人」は私であるというストーリーを打ち壊すのだ。

 

 

 

『もっとも深いところで、すでに受け容れられている ー普段の生活の中で根本的に目覚める』   愛、人間関係、そして徹底的な正直さ より P301-303    ジェフ・フォスター著 

 

 

すべてを承諾している。

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病気のストーリーや、人生が計画通りにいっていないというストーリー、こうあるべき、こうあるべきでないという概念を超えて,私は今ここにいる。呼吸をしている。心臓が鼓動をしている。音が聞こえる。あらゆる思考、感覚、感情が舞っている。痛みも多少はあるだろう。恐怖も多少はあるだろう。愛されていない気持ち、捨てられたような気持ち、絶望的な気持ち、弱々しい気持ち、疲れ果てた気持ち、寂しい気持ちもあるだろう。次にどの波が浮かんでくるのかは誰にもわからない。ここにあるこの空間の中ですべてが深く受容されているということが偉大なる発見なのだ。たとえ起こっていることを受容できないと今は感じていても、今起こっている体験はいつでも本当の私という存在によって深く受容されている。本当の私という存在は、すでにすべてをその中で許していて、すべてを承諾している。生命の水門は永久に開かれている。だから、今現在の体験に意識を戻してみたとき、たとえたった今それを耐えられないように感じるとしても、この瞬間が耐えられないということは決してない。それは、まさに海にとって耐えられない波などないのと同じだ。本当の私という存在は、すべてのものを包み込み、許し、認める。痛みや病気のさなかでさえ、そこには人知を超えた平和が存在する。

 

 

『もっとも深いところで、すでに受け容れられている ー普段の生活の中で根本的に目覚める』  痛みと病気より P205    ジェフ・フォスター著 

 

今この瞬間のベストを尽くすこと

伊東充隆 青空禅フォーラム 和サンガ

 

青空禅や和サンガに参加していて、伊東先生が伝えていること、その伝え方、

それがどんなことなのか、

自分の今この瞬間の理解と表現でしかそれを表せないということが、

ときどきふと、もどかしくなります。

 

自分が分かっている(分かるものではないけれど)、

理解しているところまでしかわからないから、そこからしか言えないのです。

それが今の限界でベストで精一杯。

ホントに素晴らしいなぁって、参加する度に感じるのです。

伝えられていることも、先生の在り方も。

 

それはどんな平和運動よりも、博愛主義よりも、

身近で、偏りがなくて、無理がなくて、おおらかで大きく優しい、

ということは感覚で知っている。

あのねと伝えたくなるほど、素敵なことなのだけれど。

 

とにかくありのまま、正直に、

自分が感じていることや、知ったことを、

今できるせいいっぱいで、やっていこう。

 

 

伊東充隆 青空禅フォーラム 和サンガ

 

*伊東充隆主宰* 青空禅フォーラム 9月22日(木祝) 14時〜16時

お申し込みは、9月青空禅フォーラム参加と書いてこちらからどうぞ→