それは今に在る

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質問者

いったい、なぜ私は想像するのでしょうか?

 

マハラジ

意識の光が記憶のフィルムを通してあなたの脳に画像を投影するのだ。脳の欠陥と混乱のためにあなたが自覚することは歪曲し、好き嫌いの好みに色づけされてしまう。あなたの思考を秩序あるものにし、過度の感情的な意味づけから自由になりなさい。そうすれば、あなたは人びとやものごとをあるがままに、明晰性と慈愛をもって見ることだろう。

誕生、人生、死の観照者は同一だ。それは愛と苦痛の観照者なのだ。なぜなら限定と分離の存在が悲しみに満ちたものであるにもかかわらず、私たちはそれを愛しているからだ。私たちはそれを愛し、同時に憎んでいるのだ。私たちは争い、殺し、生命や所有物を破壊する。そしてそれにもかかわらず、私たちは愛情深く、献身的なのだ。私たちは優しく子供の世話をする。そして子供を捨てもするのだ。私たちの人生は矛盾で満ちている。しかし、それでも私たちはそれにしがみつく。この執着がすべての根底にある。その上それは完全に表面的なものだ。私たちは何かに、あるいは誰かに全力でしがみつき、そしてつぎの瞬間それを忘れてしまう。子供が泥だんごをつくり、軽い気持ちで捨て去ってしまうように。それに触れてみなさい。子供は怒りとともに泣き叫ぶことだろう。気をそらしてみなさい。彼はそれを忘れてしまう。なぜなら、私たちの人生はに在るからだ。そして人生への愛はに在るからだ。私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。私たちは対比によって魅せられているのだ。このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要としている。しばらくの間それを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙を切望するのだ。宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。あなたはその観照者であり、そのハートでもあるのだ。

 

『  I AM THAT   私は在る  ニサルガダッタ・マハラジとの対話  』より抜粋

 

ずっと以前、青空禅に来ていた女性から教えてもらったマハラジの本。

クリシュナムルティの時に負けないくらい(笑)、繰り返し繰り返し、

繰り返し読んで来たマハラジのことば。

賢者のことばは、読む度に、たった今初めて読むような驚きや瑞々しさがある。

自分はいったいどこを読んでいたのか、何を理解していたのか、という発見。

マハラジの言葉が、これほど愛に満ちていたとは!

 

 

 

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