ニサルガダッタ・マハラジ せんせい

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本日の、マハラジせんせいのことば。

マハラジせんせいの目を見ると、言葉はない。

 

 

質問者:

あなたは世界を愛していますか?

 

マハラジ:

傷つけられたとき、あなたは泣く。どうしてだろう?なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。あなたの愛を身体に閉じこめてはならない。開いておきなさい。そうすれば、それはすべてへの愛となる。すべての偽りの自己同一化が捨て去られたとき、すべてを抱擁する愛が残る。あなたに関する考えをすべてぬぐい去りなさい。あなたが神だという考えさえも捨て去りなさい。いかなる自己定義も正当ではない。

 

***

 

マハラジ:

他者にかまうよりも、自分自身の面倒を見なさい。あなたはあなたが存在することを知っている。あなた自身の上に名前という重荷を負わせてはならない。ただ在りなさい。いかなるものでも名前や形を自分自身に与えることで、あなたの真の本性は隠されてしまうのだ。

質問者:

なぜ真我の実現の前に探求は終わらなければならないのでしょうか?

マハラジ:

真実への欲望は最高の欲望だ。だが、それがいまだに欲望であることに変わりはない。真実が在るためには、すべての欲望が放棄されなければならないのだ。あなたは在る、ということを覚えていなさい。これがあなたの仕事の資本だ。その資本を回転させなさい。そうすれば多大な利益を生むだろう。

質問者:

そもそもなぜ探求があるのでしょうか?

マハラジ:

人生とは探求なのだ。探求するほかないのだ。すべての探求が終焉したとき、それが至高の状態だ。

 

 

 

***

質問者:

私が若かったとき、短いけれども忘れがたい奇妙な体験をしました。それは無としての存在、ただの無でありながら、しかも完全に意識して在るというものです。しかし危険なのは、すでに過ぎ去った瞬間の記憶からそれを再生しようとする欲望をもつことです。

マハラジ:

それはすべて想像だ。意識の光のなかで、ありとあらゆることが起こる。人はそのどれにも特別な重要性を与える必要はない。花の眺めは神のヴィジョンを見ることと同じように奇跡的なものだ。それはそれとして放っておきなさい。なぜ思い出し、その記憶を問題にしなければならないのか?それを片寄りなく見ることだ。高い低い、内側と外側、永遠と一過性を区別してはならない。彼方へと超えていきなさい。源に戻りなさい。何が起ころうと変わらない自己へと向いなさい。あなたの弱点は、あなたが世界のなかに生まれたと確信していることだ。実際には、世界はあなたによって、あなたのなかで、常に再創造されているのだ。すべてをあなたの存在の源である光から出現したものとして見なさい。その光のなかに、あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。

 

 

 

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