おおらかに

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『100万回生きたねこ』の著者、故佐野洋子さんの本が出ました。

見つかった原稿を本にしたものです。成長する息子さんへの想いを綴っている。

佐野さんの絵の崩し具合のセンスはきっと誰にも真似出来ないし、文章もいい。

観察眼がすごいなぁと思います。

 

しかし、私はただ一度、息子に感動したことがある。
息子が六歳の時、クラスに好きな女の子がいた。
幼い息子は女の子が遊びに来ても、興奮してはしゃぎ回って、
そうぞうしくとび回るだけだった。
女の子は、大人っぽく「いやーね」とまゆをひそめて笑っていた。
彼は、彼女をよろこばせるすべを何も持っていなかった。
興奮のひとときが過ぎて、気抜けたような夕食の時、彼は私に言った。
「ママ知ってる、さっき××ちゃん、ベランダからじっと外を見ていたんだよ、ずっとだよ。
××ちゃん、何を考えていたのかなぁ」
サルのようにおたけびを上げていた彼は、彼女をずっと見守り続けていたのだ。
自分でないものが、何を考えているのかと自分に問うていたことを知って、
私は彼を一人の人間として信頼したいと思った。
もし彼が大人になった時、彼が愛する者を理解しようと努めるだろうと信じたかった。
私の息子は誰が見てもいい子ではない。
学校で一日五回も立たされ、
目をつぶりながら「お前はどーしてそうなんだ」と悲しげにつぶやくと、息子は先生の真似をする。
私はため息をつき、息子をにらみつける。
剣道の先生になぐられて失神したと言う。あくびをしたのだ。
そして家に帰って来て、失神した様子を実演してみせる。
何でもやってくれと思う。子供時代を充分子供として過ごしてくれたらそれでいい。
悲しいこともうれしいことも人をうらむことも、意地の悪いことも充分やってほしい。
そして大人になった時、愛する者に、
君は何を見ているのだと他者の心に寄りそってやって欲しいと思う。

 

「私の息子はサルだった」 佐野洋子 著 より抜粋

 

面白くて鋭くて愛情溢れていて、ちょっとウルッとしそうになる。

息子さんは、お母さんにあることないこと本にされてかなり嫌だったみたい。

もう書かないで、と怒ったそうです。

そしてお母さんが亡くなった後に見つけたこの原稿を読んで、やっぱり本にしたのですって。

その息子さんの「あとがきのかわり」には、こうあります。

 

すべての行にうっすらと大袈裟と嘘が見え隠れする。
ほらな。やっぱりな。こういうのが嫌なんだよな。
だけど何度か読んでいるうちに、
もしかしたら僕から見た大袈裟と嘘が、彼女の中では全て真実なのかも知れないと思い始めた。
同じ時間、同じ場所で僕が見ていたものが彼女には違うものに見えていたのかも知れない。
全く同時に違う体験をしていたのかも知れない。そうか。そうかもな。

 

 

これまた、いいなぁ。

 

こんな文章に触れたり、

プロトマニアで好きなクリムトをあらためて冷静に見てみたり、

いつもと違う場所で違う人たちと過ごしたりしていると、

きれいごとも、赤裸裸も、どちらもいいし、

二元でも非二元でも、やっきにならずどちらでもいい。

どちらかを問うこと自体が、どちらでもよくなってきます。

 

おおらかにいる。

 

ヨガの先生が言っていた、まぁるく生きるということ、

景山えりかさんが言っていた、果てはない、ということ、

伊東先生が教えてくれた円環呼吸、

青空禅で知る無分別。

すべて繋がって、すべて夢の如し。

 

…ってまたワケのわからないブログになりましたが、

普通の私、特別じゃない私が学び、知る「本当の私」、

これ以上分けられない世界の果てについて触れるなら、

8月の青空禅ワークショップがオススメです。

 

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