Let it be, as it is

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先日、常々お礼をしたいなと思っている方達に、お菓子を贈りました。

ひょんなことからお知り合いになったチャーミングな女性がお菓子を作っていて、

その方に手作りお菓子セットをお願いして、送っていただきました。

本当に美味しいお菓子なので、喜ばれるに違いないと思ってお願いしたわけですが、

先方から返ってきたのは、予想以上に溢れるような喜びの反応。

私もふいをつかれたように歓びが倍・倍・倍増!♪ ♪ ♪

お味もプレゼンテーションも含めて素晴らしかったので、

お菓子ってこんなにも人を幸せにするのね〜、とあらためて思いました。

幸せ気分エネルギーのバトンがつぎつぎに手渡された、の図。

そんなお菓子の贈りものを作れるアノヒトは素晴らしい〜♡

 

これで幸せ気分にしてあげよう、あげたい、とか、

これ教えてあげよう、あげたい、とか、

あそこ治してあげよう、あげたい、とか、

一所懸命で真っ直ぐで力を注ぐと、それはちゃんと相手に伝わりますね。

 

でもでも実は、伝わらない時だってあるし、

力いっぱいじゃなくても意図せず伝わっていることもある。

だから本当の本当は、どちらでもいいんじゃないかなぁ。

その時、そうすることがまさに歓びならば、

あとは風に乗って、そのままあるがまま~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12星座のティーサロン、大切な人と。

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喜んでもらえるのが嬉しくて、いろいろやっちゃうのですが、

しごとって本来、喜ばれることが嬉しくてやっているものですね。

 

家族のために食事を用意したり、お風呂をピカピカにしたり、家の中を整えることも、

書類を作ったり、ありがとうございましたと笑顔で見送ったり、

内面や生命のサポートをするのも同じようにしごと。

お金が発生しても、しなくても。

… と言うような「しごと」についての思いが、景山えりかさんと一致していて嬉しかった。

そうそう! 同感〜!

 

えりかさんの『12星座のティーサロン:星のティーセラピー(R)』は、

3月からスタートして12ヶ月@プロトマニア。

ひとつ一つの星座にちなんだお茶やお話、からだのこと、天文のこと、いろいろ。

 

自分の誕生月はもちろんですが、身近な人のために聞いて知っているといいですね。

季節の巡りや星のこと月のこと、それがどんな風に人間の身体と呼応しているか、などなど。

私のイメージでは、えりかさんの知恵は、おばあちゃんの知恵的。

何気なくて、でもやってみたり知っていると何かが違って、

ほわっといい気分になれるのじゃないかなと思います。

ささやかに(真実は細部に宿る!)、Joie de vivre (生きる歓び)、に繋がる。

 

今の日本の暮らしは、頭の方へ(思考や情報)エネルギーが上がってしまいがち。

やりたいこと、やらなきゃならないことを詰め込んで、間を空けないからからだは緊張状態。

疲れていること、限界アラームを心身が送って来ていることにすら気づいていないひとも多いです。

私はヨガをお伝えしているので、まずは自分自身でケアをする大切さをいつもお話します。

寝起きに自分で身体のあちこちそっと撫でてあげましょうね〜と言いますが、

実は、誰かにやってもらう、やってあげる、ことも、だいじだいじ、です。

やってもらう、は、委ねることだし、

やってあげる、は、実は自分を知ることでもあります。

だから身近なひとに活かせる知恵は持っていると、とっても豊かなんです。

 

えりかさんのお茶の入れ方、レシピ、天文と身体のおはなしは、

スペシャルで大袈裟ではない、

穏やかで優しくて豊かなひとときを、

大切な家族や、大切な人と過ごしたくなるんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

深刻にならない

Mme.U

言葉は大切だなあと常々思っております。

どんな気分や感情で(エネルギーに乗せて)その言葉を届けるか、届けられているか、

ということが、もちろん見るべきポイントなのですが、

受け取った時に、相手のエネルギーを感じているつもりで、

実は意図と全然違ったりして(笑)、

つまり、勝手な思い込み、だったりすることが多々あります。

それで何度も失敗しました(とほほ)。

エネルギーマスターはニュートラルじゃないとね〜

 

 

夜書いたメールや手紙って、翌朝起きてから読むと妙に暗くて重たくなっちゃってる!

 

とミュージシャンの aiko が言っていましたが、

確かにそういう傾向はあるのかも。なぜかな?

 

じっと目を覗き込まれて、ぐっと来るような素敵な言葉を聞かされたりすると、

魔法にかかったみたいになってしまうこともあります。

自分がよくわかっていないことに関して言われたりすると特に。

 

真理の探究をしていると、

やけにロマンティックで、ドラマティックで、美しくて、神秘的で、

書いている人、話している人自身が、酔ったような文章や表現に出会います。

美しいことばには注意しなくちゃ。

大好きなパパジはすごく素敵で暖かい表現をするのですが、

ロマンティックなのとはちょっと違うんです。

 

オモシロいブログを書いている方 がいるのですが、

つい深刻になってしまう時には、こういうのを読んでフフフと笑おう。

真理は、廓然無聖。

 

とか言いながら、さっき車で走っていたら、

前を走るトラックの後部とびらに、

 

ドライバー名

幸喜 悟

 

と書いてありました(笑)

ひとはまさに、自分が見たいものを見ているんですね〜

 

driversatoru

 

 

自然は教師

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自然に学べ、とはよく言われることですが、

植物も石も動物もそこにただ在る。

森の中や水の側を歩く。

光、影、水の流れ落ちる音、鳥の声、遠くに聴こえる車の音、風 …

足元に広がる苔の絨毯の柔らかさ、ぬかるみの泥、岩、草、感触 …

空の青さ、流れてはふぅっと消える雲、飛ぶ鳥、動き …

 

 

週末の青空禅フォーラムのようす。

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むかしむかし、尊敬していた彫刻家が、

無可有 というタイトルの作品は、

二極を同時に表そうとしていると言っていたことを思い出しました。

あぁ、あの人が求めていたのはそういうことか。

 

 

伊東先生のことばは、それを求めている人たちにいつだって優しい。

それは特別なのではなく、みんなだいじょうぶだと。

人に頼らず、本人にとって100%のリアルは何?

だいじなのは100%、理屈や信念、人に頼らず不変であると認めることができることは何か?

意識を未来や過去にするのではなく、今、この瞬間にあるものとは何?

時間と共にやってくるものは、ポイポイ捨てて、

残ったものは何かと自分で確かめるのだ。

空白を作る。1秒だってよいのだ。長さではなく深さだ。

できなくても失敗じゃないよ、繰り返してこそある時ふと、そうなっているのです、と。

 

 

 

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ものがたり

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昨日、母に付き添って病院に行きました。

お隣に60代前半とおぼしき女性と夫らしき男性。

女性は、車椅子に座っていて表情がありません。

お話も出来ないようですが、じっと聴いてはいる様子。目もあまり動きません。

からだの中に、その方が閉じ込められてしまっているようでした。

母が付き添っている男性と言葉を交わしたあと、

「がんばってね」

と言うとその方は、

「ううん、もうがんばらないの。このままでいいの。

ほら、歌も流行ったでしょ、ありのままでって。」

とにっこり。

奥様はほっそりしたとてもきれいな手をしていて、

母が「 きれいなお手てね」というと、

男性は、「爪、切ってあげなきゃね」とその手を優しく撫でていました。

その男性は、ヘンテコな質問をする母に対しても優しく、ユーモアたっぷりに応対して下さって、

奥様への接し方も母への接し方も、う〜んすごいなぁと感じました。

 

私の兄は、子どもの頃「この子は16歳まで生きられません」と言われた身体で、

母は「そんなはずはありません、ぜったいに生かす」という気持ちだったらしい。

若い母も父も、あちこち病院巡りで大変だったらしい。

 

母の主治医の先生は、人気の教授先生。

その先生が、

「先日、98歳で初めて受診された方は、ご家族が、最近もの忘れたひどくなって心配で心配で、
とおっしゃるのだけれど、僕としては内心、いやもう98歳ですから…と思う訳ですよ。
でもご本人がというより、これは周りの方たちがそれをいつどう捉えるか、でもあるんですよ。」

と話して下さいました。

 

病院へ行って昨日感じたこと、浮かんだこと、まだことばにならない感想を書いてみました。

感想? ん〜???

 

 

 

智慧

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ヨガ先生を熱くやっていた頃、

レッスンごとに、プリントを作っていました。

その日のポーズの動きを分解して絵を描いて解説したり、

身体のしくみや呼吸やがもたらす効果を文章にしていました。

頭と身体感覚と、両方で理解して習得するのが、自分が学んだ時にわかりやすかったからです。

身体の感覚だけではつかめないところを、

知識という情報で理解しイメージしてから動かすと、できちゃったりする。

なんとか筋を外側に使って、とか、肩甲骨を寄せて、とか言いながら、確認しながら。

すると「論理があるとわかり易い」と言われて、

やはり大人は、こうだからこうなる、と筋が通っていると納得できる、

分かりながらやるのがいいのだろう、と感じました。

 

私の先生は、肚(はら)をさして、

「昔の人間はこれが  ”  腹筋  ”  なんて知らなかったんだから」とおっしゃって、

あまり細部や情報にとらわれないように、

つまり、アタマでばかりやらないように導いて下さいました。

 

分かる、って快感なんですよね~

あ、わかった!と思えると、落ち着くのです。

実際は身体はついて来ていなくても、できました~!と思ってしまいます。

(とはいえ、束の間なので、やっぱり出来ていないことは後からわかるのですが。)

 

真理の探究も似ていて、タバコ屋のおじさんニサルガダッタ・マハラジのように、

ひたすら先生に言われたことだけやっていたら、そうなっちゃった、

というすばらしい覚者もいますが、

あれやったりこれやったり、量子物理だ、禅のことばだと読んだり、聞いたりしても、

分からないよ~~~~

というのが続くと、ちょっと分かる快感の誘惑にかられることあり。

 

何ごとも科学的、論理的に証明されると納得信用できる、という傾向にありますが、

実はは昔からわかっていることを、現代人は技術や知識や研究で、

ほらねって証明して安心しているのかもしれませんね。

すっきり分かりたい、というその一心で。

太古の昔の人がそんな私たちを見たら、笑っちゃったりしてね。

そんな現代人だから、好きなだけたっぷりお勉強したら、

後は、肚に落とさなきゃね。

智慧、にしなきゃね。

は〜い。

ごく自然なこととして

ichigo

今朝の新聞に、ある県では学校の先生が生徒と個人的にメールなどのやり取りをすることを禁止、

という記事が出ていました。

なぜならば、先生が生徒にわいせつメールを送りつけたり(!)、ドライブに誘ったり(!!)、

いろいろと危なっかしいことが巻き起こってしまったから、らしい。

ちょっと考えたら、それが自分や周囲にどんな体験をもたらすか、想像できそうなのにね。

 

世の中が便利になってツールが増え、表だって見えない世界が多層的になった分、

現実感、危機感、予測力、想像力という人間の能力、本能はだいぶ鈍くなってしまったのでしょう。

たった一つと思っても、投げ込まれた石からは結局、波紋が広がります。

私に娘がいたら(息子もか??)心配で仕方ないかもしれないな。

このニュースを母に通訳したところ、

 

先生自身が成熟していないのね。

きっと自分に不満があるからよね。

 

とおばあさんは言うのでした。

なるほど。

 

最近起きる事件は、単純ではありませんね。

ちょっと想像できないような理由や、理由すら無く、

外にぶつけるように他者を傷つけたり、侵害したりするものが多いのです。

 

人間は、この世界ではどこまでいっても満足しない存在なのでしょう。

物を充分以上に持つことができても、社会的地位や人気や知名度があがっても、

パワーを手に入れて特別な自分になっても、幸せな日々すら、もっともっと。

何かで発散することや、ぽっかり空いた穴を埋めることも、

あるところまでは良いのですが、きっとキリがありません。

いつか、本当に全くつくづく、キリがないなぁと感じるでしょう。

 

ひとは自分自身と向き合うのが一番いやなんだよ、と TV でタモリさんが言っていましたが、

肉体が終わる最後の最後には、誰でももれなく、向き合わざるを得ないとも言われます。

 

悟りとか座禅を組むとか、そんな類いのおはなしじゃなく、

まずは日常に少し静かな時間、

音もなく、誰とも繋がらない時間を持つこと、

ひとりで芸術や自然と対話する時間や本を読む時間を持つことは、

だいじなのではないかなと思います、子どももおとなも。

それは、ひとり手元のゲームの世界やネットの中に入ることとは、全く違うと思います。

人間本来の自然として。