沈黙と静止

aozorararara

今週土曜日は青空禅フォーラムです。

先日、私は Facebook にこんな風に書きました。

 

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プロトマニアを作ろうと思ったのは、この青空禅フォーラムがきっかけです。
長い間、いつも考えてしまった『永遠ってあるのかな?』『変わらないことってあるのかな?』
『人間って、わたしって何だろう?』。
それは幼馴なじみの突然の死や思春期の孤独感、不安、同じパターンにはまる恋愛や思考ぐるぐるなどなど…
私の「生きる苦しさ」から生まれた問いだったかもしれません。

きっかけは何で、何時であれ、それからウン十年問いつづけたその問いの先にあるもの、
つまりこの世界をあらしめている「本質」に触れる場、
青空禅フォーラムというものに出会い、学び始めました。

知識だけではなく、すっぽりそれに転換する。
そのためのコツやヒントを、伊東先生はたくさん教えて下さいました。
あとは実践するだけだから、やってみる実践の日々。
難しいことじゃないんだよ、と言われても、とにかく不器用でなかなかうまくいかない。
長年の考え方の癖や感情の波に何度も引き戻されます。
それでも、以前よりずっと慌てず、穏やかな感じ。

 

一瞥体験というスペシャルな体験も不思議な体験もありませんが、
伊東先生はそんなものはあってもなくてもいいんだよ、とただニコニコ。
地道にコツコツでいい、と先生や仲間や自分に(笑)励まされながら、
ただ本当の在り方、生き方でいたくて続けています。
私の説明はへたくそですが、ちょっとでも何かが伝わったら、
ぜひ一度青空禅フォーラムへいらしてみてくださいね。

 

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「あなたみたいに恵まれた人が、どうしてそんなに真面目にそれをやり続けるか、わからない」

と言われことがあります。(私が恵まれているかどうかは別として)

私は、この人生で周りと同じような幸せの条件を満たし、知識を得たり、貢献したり、

善人であろうとすることを放棄していたわけではなく、それも自分なりに努力しています。

でも、いつまでも消えない、言葉にならないもどかしさを抱えていました。

そのもどかしさの正体を、青空禅に通いながら少しずつ手探りでわかっていきました。

それそのものが「わかった」のではありません。

これまで読んで、聴いて来た、たくさんの言葉。

何度も何度も聴いて、聴いた、理解したと思っていたけれど、

それは、ことばを聴いて、ことばを理解していたということ。

 

ここでの言葉は、行く先を示している大切な「道しるべ」です。

そのことがようやく本当に腑に落ちた時、

実践することはただ、沈黙し、静止し、空白。

できてもできなくても、ただ繰り返し繰り返しそこへ向かいます。

 

だってそれは、理解するもなく、わかるもわからないもないし、

やっと落ち着いたもなく、目的地もないのだからね。

なんにもない。

それが源。

 

 

「本当の自分」—。すべての人の深奥にあるこの感覚は、

「静寂な心」と切り離すことができません。

「本当の自分」こそが、名前や形を超えた、あなたの本質です。

 

静止とは、単に音がないこと、空っぽの状態を意味するのではありません。

静止とは叡智そのものです。

それは万物が生まれくる、形態の奥に横たわる意識です。

それがあなたと離ればなれであることなど、あるでしょうか? 

あなたが「わたし」とみなしている形態を生じさせたもの、

あなたの生命を支えているものが、「意識」です。

 

では、叡智とは、いったいどんなもので、どこを探せば見つかるでしょう?

叡智は静止することによって、身につけることができます。

なにはともあれ、見つめてください。

耳を澄ませてください。

それ以上、なにも要りません。

 

『 Stillness Speaks  』エックハルト・トール著より 抜粋

 

 

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