Thank you I Love You

rome

 

今年最後だから、気の利いたことを書きたいところですが、

クリスマスの後、言葉があまり出てきません。

 

プロトマニアのおかげで、今年、様々な方たちとの出会いがありました。

初めて会ったひと、前から会いたかったひと、あらためて会ったひと、

いつも会っているのにちっとも知らなかったあのひとやこのひと。

 

プロトマニアが生まれて本当によかったな、と思えました。

言葉に表せない感謝、みなさんにとてもとてもとても感謝しています。

 

 

昨日の夕陽は、燃えるように空が開いていて、ドキドキしながら見ました。

今日の夕空は柔らかく静か。

光子と陽子(ようし)の出会いに感謝。

 

 

みなさま、どうぞ佳いお年をお迎えください。

また新春、お目にかかれるのを楽しみにしています。

 

 

 

lastdayof2014

Love is always Loving you.

Without this Love you cannot breathe,

as without air you cannot live.

 

Love is Meditation, Meditation is Love.

Heart  has no frontiers;

Meditate on This.

 

You are this Love,  You are That.

Simply be Quiet and stay as such. 

 

       Thank you

                    I Love You

 

SRI H. W. L. POONJA

 

 

 

 

 

 

 

 

みんな夢の中

dream

週末の中尾さんの「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」は、

なんとも素敵でした。

どちらかといえば頭脳派の方たちが、中尾流に触れるに従って感覚を起動させたから。

アタマの中のたくさんの知識がちょっとスペースを空けてくれて、

目や理論では測れない芸術の本質が現れたのをキャッチした、そんな感じでした。

年齢も性別も関係なく開かれてあるのが芸術。

 

レクチャーの中で、アーサー王伝説のシャロット姫のお話が出て来ました。

鏡を通してしか外界を見てはいけない、直接見たらそれは死を意味すると呪いをかけられ、鏡に映る外界を織物にして織り続けて来た乙女シャロット。ところがある夜、彼女は月明かりの下に寄り添う男女の姿を目にしてしまう。それは、彼女がそれまで目にしたものの中で、最も美しく、完璧な調和を表していました。そして彼女は「もうこんな影のような生活はたくさん」とつぶやきます。そんな時、そこを通りかかった円卓の騎士ランスロットを鏡の中に見たシャロットは、彼に魅せられて思わず外を直接見てしまう。とその瞬間に呪いが始まり、彼女が長年織って来た鏡に映る風景の織り糸は千々に乱れ彼女の体を縛ろうとし、鏡は真横にひび割れます。

そしてシャロットは死へと向かう。

the_lady_of_shallot

このお話の場面をラファエル前派の画家達は好んで作品にしています。

 

… というところで、私はこの鏡のお話がとても気になってしまいました。

乙女が鏡を通して見ていた外界は本当の姿ではない。確かに。

直接見た途端に始まるのは呪いではなく、実はそれこそが真理?!

幾重にも織り綴られた物語り、言い換えると因果の法則、の糸は千々に切れ切れに乱れ飛んで、

シャロットというエゴは死を迎え永遠の平安へと向かわせる…

 

 

ちょっとマニアック??!

 

lastartrose

みんな夢の中、だもの。

 

 

 

 

 

 

夜空の星に

redleaf

 

今日も寒い一日ですが、空は快晴。

このところの夜空は星がすばらしく美しく見えます。

 

夜空の星のまたたきは、遠い遠い彼方から光が届いている、

と思って見ていると不思議な感じがしませんか。

自分が思ったり信じていることを、本当はどうなのかな?と時々疑ってみることって、

自由さのために、風通しをよくしておくためにいいことですね。

思いや信念は、「絶対!」なんて思っていても、

瞬間でころりと変わったり、風のように吹いては消えていく。

 

今日も夜空を眺めよう、ぐっと寒さをこらえて。

 

 

今週土曜日は、中尾陽一さんの「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」。

中尾流も、今年最後です。

飛び入り参加も大歓迎。

今回の作品はひたすらに、美しい。

美(とおいしいもの)は、全てを救う!

 

 

 

愛情ではなく愛

body

たといわたしが、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしはやかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。たといまた、わたしに預言する力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、わたしたちが知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなになった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかし、その時には、顔と顔を合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

コリント人への第一の手紙 第13章

 

先週土曜日の青空禅フォーラムの伊東先生のお話は「幼な子のごとく見る」から始まりました。

時空の中にポツンいるワタシ、という世界観のままでは、私たちの本質を知ることはむずかしい。

本当のワタシ、は、三次元宇宙空間にいたことは一度もないのだ…

ビックリするでしょう?

当たり前と思い込んだ信念を揺るがし、混乱させる(苦笑)先生のお話。

いずれ思考ではついていけないところへと向かうのですが、

何度も聴いて、少しずつ世界観が入れ替わって行きます。

 

自己の本質、真我、は見ることも知ることも触ることも感じることもできないけれど、

そこへもどることは神秘。

 

コリント人への手紙を久しぶりに読みました。

この中の「愛」を「真我」と読んだら、まったく違う光景が広がりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

一者のみ、の想い

goenenene

むかしむかし、私の夢は家庭的なお母さんになることでした。

「大草原のちいさな家」というアメリカのドラマをNHKのテレビで見て、

主人公ローラのお母さん、キャロラインみたいになりたいなって。

しかし、現実とは皮肉なもので真逆にいっちゃいましたね(笑い)。

 

ある時、私の古い友人から電話があって近況を聞くと、

「 失踪しているところ 」 と言います。

彼は、仕事も奥さんも後にして、ひとりで失踪、疾走。

後先のことを考えず、自由を求めてすべてを捨てて。

その時私は、「 このひとはまったく相変わらずだなぁ。いったいどうするつもり??? 」

と心の中で彼を批判的にジャッジしていました。と同時にその大胆さが少しうらやましかった。

そして、ふと思ったのです。

「 私の代わりに、私がやりたいことをやってくれているんだから、まぁいいか 」って。

 

2人の子どもの温かいお母さんだったり、

人のために尽くすゴッドハンドのお医者や研究者だったり、

ひとを柔らかに癒すセラピストだったり、

真理を伝えるお坊さんだったり、

世界を駆け巡り、困難にチャレンジする働く女性だったり、

恋する乙女だったり、天上の音楽を奏でる音楽家だったり …

 

みんながワタシ?

 

ほんの少しの金額ですが、子どもたちのためのプランにずっと寄付をしています。

大きな行動力はないので、できることをしようというささやかな想いで。

今は、バングラデシュの女の子が私のチャイルドです。

大きな瞳がこれからどんな世界を見るのでしょうか。

tanjina

私の友人は、ペルーの子供たちの支援をして10年たったそうです。

10年間続けるということは、簡単ではありません。

彼女は、「 支援してくる人たちがいるから続いただけ 」と言っていました。

そうですね、誰がえらいのでもなく、誰か一人がスーパーマンなのでもありませんね。

でも続けた友人のことを、素敵な人だなと思います。

 

 

伊東先生の青空禅フォーラムも、すでに十数年続いています。

真我・自己の本質を伝えることへの純粋さと情熱は、すばらしい。

その「 場 」のエネルギーをライブで共有する青空禅の魅力は、

やっぱりプロトマニア的に、

とにかく体験してみてね! というしかありません。

今年最後の青空禅は、明日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

my pleasure

lovepinkorange

 

何かいろいろとやっていると、

うまくいく時といかない時が当然あり、

こんなにやっているのになぁとつい思ってしまったりします。

 

そんな詰まった時に、ふと口をついて出たのは、

 

 

it’s my pleasure

 

my pleasure

 

avec plaisir

 

 

独り言を言っておいて、なんて素敵な表現だろう!と思いました。

 

本来は、喜んで、とか、どういたしまして、くらいのニュアンスでしょうが、

 

 

それは私の歓びです

 

 

そんな気持ちですることができる、

それを分かち合える、これもまたファンタスティック。

 

 

マザーテレサのことをしばらく思っていました。

写真家の百瀬恒彦さんが撮ったマザーテレサは、

子ども達といる笑顔の優しいマザーではなく、

厳しく鋭い目のマザー、

深く皺が刻まれた横顔、

労働し続けた人の皺だらけのゴツゴツした合掌の手…

 

きれいごとではない愛の径を歩んだひと。

いつかプロトマニアで写真展をやりたいなぁと思いました。