ふだんの生き方

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11月10日に亡くなった俳優の高倉健さんのドキュメンタリーをテレビでやっていました。

 

生き方が芝居に出る

 

と言っていました。

普段の生き方が芝居に出るのだ、と。

これは歳を重ねると実感しますが、ふだんの生き方が確かに、出ます(笑)。

佇まい、選ぶ言葉、ふとした時の配慮、そして外見にも! …

何もむずかしい話ではなく、

健さんが言うように

「良いトレーナーについてトレーニングしていたら、そのように身体はなる」

というような、とてもシンプルなことです。

 

明日までの命ですと言われた時に何をするか、とか、お金を介した時に、

その人の物事へのスタンスがハッキリ見える、

とラジオで映画プロデューサーが言っていました。

ふだんは自分と思っている思考が、巧みな言葉や言い回し、論理や摺り替えなどで、

本当のことを見えなくしたり、うやむやにしてしまうことがあります。

でも、何かのきっかけで表れて見えるのはふだんの態度。

実にシンプル。

そのシンプルさゆえに、なかなかそれがわかりません。

 

もうだいぶ前の11月10日、私は生まれて初めてダライラマの講話を国技館で聴きました。

ダライラマやチベットに興味があったのではなく、たまたま友達に誘われたのでした。

その日の日記には、

 

 

ダライラマが言うことは、実はむずかしく厳しいことだけれどとてもシンプルだった。

世界の平和のためには、ひとりひとりの心が平和であるように、

Love and Compassion が必要なのだと。

そしてそれが身の周りの人へ、社会へ国へ世界へと広がると。

そのためには、「愛」を実践するためには、

知識で学ぶこと

やると決意すること

努力すること

とダライラマは力強く言った。

そう言う人間になるには途方もない時間がかかるけれど、やると決めたら絶対にやることだと。

思いやりを持ってって。 他者を害することのないようにって。

講話の後のダライラマへの質疑応答で、さっき言ったばかりのことを質問したり、

的外れにも、マジックパワーを送ってください(苦笑)みたいなことを言う人たちに対しても、

イラつくことなくさらりと流しているダライラマ。

この人は世界中を廻って一所懸命人間の幸せを説いているのに、

こうしてがっかりさせられることが山ほどあるのだ。

それでも諦めずに淡々と世界平和と人の幸せのために生きているのだ、

これだけ関心を持つ人がいてもその真意をそのまま受け取るひとは少ないのに。

 

 

と、その頃のワタシは書きました。

同じ言葉の中に、今は違うものを見ることができますが、

きっとその時見たことも真実だったと感じます。

 

11月10日はワタシの誕生日です。

ふだんの生き方は、うそがつけません。

こんな風に、

身を捨てても悔いは無い、という生き方をしている人間に出会えたことは、

得難いことなのですね。

 

 

 

 

 

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