キンモクセイとプロトマニア

kamiyacho

キンモクセイの香りと爽やかな空気。

とても気持ちよい季節ですね。

 

週末の中尾さんの「これまで誰も教えてくれなかった〜絵画鑑賞入門講座」は、世紀末に突入してアーティストはロートレック。

ロートレックというと、ポスターをすぐに思い浮かべますが、油彩作品もすばらしい。

描写力がすごくて、例えばふわっとした髪の毛の質感を描き切る技量もさることながら、

対象のすがたかたちに留まらない存在をそのまま絵に映し出していることにあらためて驚きました。

私たちが見ていると思っている物は、実はそのものではないことが殆どですけどね〜

 

プロトマニアで定期的にやっているレクチャーやワークショップについて、

もっと具体的に内容をわかっていただきたいなと思って、先生方の声を直接お届けできるコーナーを作り始めました。

キンモクセイが香る朝、ふと思いついたのだ。

即、行動。

即、連絡。

即、作成。

 

青空禅の伊東先生には、以前書いていらしたブログをプロトマニアで読めるようにこちらでご紹介させていただいています。

絵画鑑賞入門の中尾先生にも、これからコラムを連載していただくようにお願いしています。

 

みなさんにプロトマニアでどんなことをしているのかを知っていただいて、

行ってみた〜い、やってみた〜い、

さらに、

あれを止めてこっちに行ってみよ〜、くらいに思っていただけるように(笑)、

ここでしか聞けない、体験できないことを、とにかく一度味わっていただきたいなあと思っています。

 

世には星の数ほどの学ぶ場、気持ちよいこと、ためになる講座や教室がある中で、

プロトマニアとご縁がどうぞつながりますように!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アートのじかん

TOKYOYO

今週の土曜日は、中尾さんの「これまで誰も教えてくれなかった~絵画鑑賞入門講座」です。

中尾さんのレクチャーは、知識の伝達だけではなく意見交換や感想を素直に言える時間があって、

ノートを取る授業ではないので、勉強嫌いの私も気楽に参加しています。

 

回を重ねて来て感じるのは、

 

畑が耕されてきた 

または

巣が出来てきた

 

という感覚です。

これは自分でも意外なんですが、続けて聴いていたらバラバラの知識や情報が繋がったし、

なかなか質のよい、居心地のよい豊かな絨毯の上みたいなところが自分の中にできた感じ。

そこは美しいものや真摯なものや激しいものや慰めがあって、

時間なんてかからずに、いつでもどこでもふっと思うだけで行けちゃう帰れちゃう。

 

これはきっと中尾さんと参加者の皆さんと作って来た場なんだろうな。

真剣に聴いたり、疑問を持ったり、笑ったり、お茶やおやつで和んだりしながら!

自分の内にあるけれど、共有した時間や会話や人との交わりで出来ているもの。

 

どんなことをやっているのかな、なかなか参加できないな、という方たちのために、

わたし、今、中尾さんにあることをお願いしています。

OKが出たら、お知らせしますね!

 

プロトマニアだからできることや、ここだからあり!のことをどんどんやっちゃいますよ。

土曜日の午後、一緒にアートの時間、過ごしましょうよ~

お待ちしていますね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋分の日

mipasta

本日は秋分の日。

あっという間に秋ですね。

朝からとっても気持ちよい。

午前中はちょっとだけお仕事の打ち合わせをして、ランチはパスタにしました。

最近は高齢の母に合わせたメニューが身に染み付いて和食中心でしたが、

私はもともと西洋カブレの祖母、父の血をついでいるので、

今日は久しぶりに一番好きなメーカーのパスタを茹でただけで、ご機嫌急上昇♡

 

子どもを育てた女性は、

子育て中は自分の時間なんてないから、珈琲をたった一杯ゆっくり飲めただけでシアワセを感じたわ!

と言っていました。

待ったなしの子ども達ですものね、おかあさんは大変。一杯の珈琲を飲む時間もないくらいに。

おかあさんであり妻であり仕事をしている友人たちを見ていると、手際がよいし、決断は早いし、どこか懐が深い。

もちろんおっちょこちょいで、怒りん坊だったりもするけれど、おかあさん独特の匂いがして、独特の魅力があります。

私は子どもがいないので、母の苦労や歓びがわからないのですが、匂いはわかるんだなぁ、うふふ。

 

身体が老いて行くことって、とても大変なんだと思います。

痛かったり、重かったりすると気持ちも影響を受けますし、思うようにならない苛立ちもあります。

でも皆に平等にそういう時と経験はやって来るし、全員が死を経験するでしょう。

前にも書きましたが、老いる母から見せてもらっていることがいろいろあります。

私たちは時間を信じていて、その決まり事のおかげで世界が出来ているけれど、

母はだんだんと瞬間、瞬間になってきていて、ほんの数分前のことをみごとに忘れていたりします。

忘れる、というより、全くない。

そして時々私は、これが真実かも、と思います。

私が思う、ちょっと前のこと、は真っ白けで何もないんです。

 

朝の空がきれいだなぁと言うわたし。

空を見て、「空だ」と思うのはそれが「ソラ」という名前と教えられ、言葉を覚えたから。

過去に教わった考え方を覚えていてそう言っている。

でも、本当の意味でそのものを見ていない。空だと思って見ているだけ。

記憶と概念でできている時間の世界。

なんだか不思議な気がします。

 

 

変人であれ

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今朝はとても気持ちよい爽やかな空気でした。

空を眺めていたら、雲の上にレインボウを発見。

上の画像で見えるでしょうか?

 

こういう小さな発見や空の変化を見ているだけで楽しいというのは、シアワセなことだと思うんです。

子どもの頃と同じですね。

声をかけられたことにうっかり気づかず写真を撮っていたら、

平和だね

と言われました。

・・・・・

 

軽く『 変人 』な時、目の前の世界は驚くことで充ち満ちている。

 

 

 

 

 

あなた自身の投影以外の何ものでもないこの世界

redot

 

 

この世界はあなたが与えたものだけをあなたに与えることができます。

というのは、あなた自身の投影以外の何ものでもないこの世界は、あなたがその中に発見したものと、

あなたが信頼したもの以外には何の意味もないからです。

暗闇に忠誠を尽くせば何も見ることはできません。なぜなら、あなたの信頼はあなたが信頼を与えたのと同じ形で応えられるからです。

あなたはあなたの宝物を受け容れるでしょう。そして、あなたの信頼を過去に置けば、未来は過去と同じものになるでしょう。

あなたが大切だと思うものは何であれ、すべてあなたのものです。あなたの尊重する力にによってそうなるのです。

 

 

A Course in Miracles より

 

 

相応にやってくるもの

yoru

 

 

先日、友人たちとおしゃべりしていた時に聞いたおはなし。

 

ちょっとした高級ホテルや高級店では、まずお客様の腕時計をチラッと見て、その人を値踏みする!

 

ホントかな??

私の祖母は、「ホテルや旅館に行く時は、靴と外套だけはきちんとした質の良いものを」と言っていたから、

そういうこともあるのかしらん。

 

30代初めの頃フランスで、あるブランドの時計を買おうとして二つの時計を迷ったことがあります。

ひとつはボーイズサイズで小振りのシンプルなもの。

もう一つは女性用のエレガントなもの。こちらの方がちょっとお高い。

するとお店のムッシューが

「今のあなたはこちらの時計がよいでしょう。あちらはもっと大きくなって成熟した女性になった頃、似つかわしいですよ。」

とボーイズサイズを勧めてくれました。

私は見た目がボーイッシュで実年齢よりも子どもっぽかったせいもありますが、

その物の価値に相応な状態になっていないと、持っていてもチグハグでおかしいよ、と教わりました。

 

最近、ずっと以前に目の端っこでちらっとだけ見たものと、再会しました。

嗚呼、あの時のアレはコレだったのね!! と静かに驚きました。

そうだなぁ、あの時の自分は関心もなかったし、あっても理解できなかったし、猫に小判だっただろうなぁと思います。

今、この手元にやって来たことがふさわしい。

これもまた自ずから然り。

ちゃんとそれ相応の絶妙なタイミングで、必要なものはやって来るものなのですねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

私とは何者???

aozorararara

連休のプロトマニアは、ヨガクラス、青空禅フォーラム、気功養生特別講座でした。

 

青空禅は、ボーディーダルマ(菩提達磨)の廓然無聖のお話、ダグラス・ハーディングのお話、

既存の概念から本質へとシフトしていく実践方法、虚数と実数のお話  …

私の本質はどこにあるのか、私はどこにいるのか?ということを、

概念だけでなく、実感するためのいろいろな分野からのアプローチでした。

 

以前も書いたのですが、なぜか私はこの「廓然無聖」という言葉に触れると、

くぅぅぅっとしびれちゃうんです!

(いやいや、そういうチャラチャラした話じゃないんですけれど)

 

廓然無聖とは、カラっとした空っぽ。聖なるものも真なるものもないこと。

 

このとりつくしまのない、容赦ない感じに魅かれるのかも。

 

青空禅フォーラムは、静かに実践を継続していますが、この継続には力があります。

続けてみるとある日わかること、できること、そういう瞬間があります。

あっちがいいような、こっちがいいような…と浮気心も起こるのですが、

地味でシンプルなことをコツコツやっていくことって、実は無理がなくて効果的です。

ヨガでも単純に見えるポーズや動きこそ多層的。

シンプルな行為から新しく何かを掘り出すのは自分次第。

気功講座で宋先生に教わった気功は、毎日続けています。

「 不思議でも何でもない、当たり前ですね。続けたら結果がでるよ。 」と優しく笑う先生の言葉は真実。

人間のからだとこころは繋がっている、とよく言われていますよね。

私もヨガや自分の病気体験を通してそれを実感します。

でも、気功ではもっとシンプルに、人間は自然の一部。

夏は暑いので身体は冷やそうとする、冬は寒いから身体は暖めようとする。自然のリズムと一緒に変化する。

病気の原因を心に結びつけて型にはめてしまう前に、季節のリズムを考えてみると良いかもしれません。

意外とシンプルだったりします。

 

プロトマニアでの青空禅は2年目に入りました。

気功講座は去年9月の第一回目が大嵐でお流れになって(涙)、11月からスタート。

ヨガクラスは四番町の会場から始めて、細々とですが7年続いています。

 

休んだり、また始めてみたりでもいいような気がします。

線路は続くよどこまでも、のように遠い先に続く道、と思うと苦しいけれど、

一枚ずつベールをはがすごとに、そこに新しいことが待っていると思うと、

続けることは楽しみです。

私とは何でしょう? に迫るレクチャーやワークショップはこれからも続きます。乞うご期待!

青空へ~ 青空禅フォーラム

aozorawakami

秋晴れ。

秋は、空がいろいろな表情を見せるので、瞬間写真撮りが忙しい。

外にいるのが気持ち良い季節です。

 

さて、明日は伊東先生の青空禅フォーラムです。

私が初めて青空禅フォーラムへ行った時、座禅の会だと思っていました。みんなで座禅をする会だろうって。

きっと座禅を親しみやすく伝えるために、かわいらしく「青空・禅」なんだろうって思っていました(笑)。

 

静かに目をつむってみると、頭の中にはいろいろな思いが浮かんでは消えて行きます。

今日は何を食べようかな? あの人は今頃何をしているかな? あんなこと言わなければよかったな… とかとか。

気分、記憶、感情、おしゃべり(思考)…

でも考えているのと次の考えがやってくる間には、よく見るとほんの少しのインターバルがあります。

その何もない「間」は、私たちの内面の空間、「 意識空間 」です。

そして次々に浮かぶ記憶やおしゃべりは、いわゆる「 心 」。

内の世界は、この意識空間と心で構成されています。

 

青空禅フォーラムでは、

この内なる世界に広がる 意識空間 を「青空」とよび、思考・感情・記憶を総じた 心 を「雲」と言います。

 

☆ だって私が考えて感じているし、私の記憶の中の体験や感情が浮かんでくるのだから、

当然、考えて感じているのが「私」でしょ ☆

 

と思っていますが、本当にそうかな? …

と、私が本当はどこに在るのかを丁寧に見ていくのが青空禅フォーラムです。

 

明日はどんな展開になるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静寂を知る ~ 青空へ

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今朝の静寂。

 

目を閉じて頭の中のおしゃべり(思考)が止んだら、そこにあったのはただ、窓の外の蝉の鳴き声。

目を開けると、あとは目の前に広がる部屋の光景があるだけ。

 

思考がなければ、何もない。

あるのは、ただそこにあるものだけ。

その時、私はどこにいるのでしょうか?

 

 

いつも私の頭の中で続くおしゃべりや、感情の大波小波を見ていたら、

 

私は一番になりたいのだ!

 

と叫んでダダをこねていました。

へ ~!そうだったの? 全然知らなかった。それ、自覚していませんでしたよ、ごめんね。

意外で目が丸くなり、ぷっと吹き出しちゃいました。

 

静寂のおくりもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見ている と 見えていない

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今朝、ガレージからふと庭の方を見ると、

見覚えのあるきれいな青いガラス瓶が朝の光にキラキラ光っていました。

 

あれ? あんなところに。いつからあったんだろう!?

 

ずいぶん前に行方不明になって、大方、家人に捨てられちゃったんだと忘れていた青いガラスのボトルです。

ガラス瓶がちょんと立っているそこは、車の出入りでよく私の視界に入るはずなのに、ボトルにちっとも気付かなかった。

 

あるとき突然、目の前にガラス瓶が現れるわけはないし(あるかもしれないけれど!)、

見ていたのに、見えていなかった、ということなのでしょう。

 

あぁビックリ。

突如(私にとっては) 現れたから ビックリ で、

それほどまでにボンヤリとしか見ていなかった自分の目にも ビックリ 。

 

見ている けど 見えていない。

 

 

もうこれで大丈夫、とか、オーケーわかった!、とか、

~のつもり、なことがかなりあるなぁと痛感した矢先でした。

 

今朝のガラス瓶との再会は、

 

いやいや、そんなもんじゃありませんよ~

 

と笑われちゃったのかも。