旅立ち

bouteilleblue

 

 

 

— あらっ あんなに急かしたくせにいざとなったらグズつくのね。

 

— 違うよ、旅立ちはもっと慎重に厳かに行うべきだと思うんだよ。

 

— そして、ひと月のばしてステキなボーイフレンドが現れたらどうするの? それこそ出発できやしないわ。

 

— どうなることやら心配だね。決めたらすぐの人だから。

 

— あら、そう。 わたしは贈り物のフタを開けるときみたいにワクワクしてるわ。

 

 

魔女の宅急便より

 

夢見たものは

harry's

夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りををどつてゐる

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

 

立原道造 「優しき歌 II 」より

言葉は呪文?

chocoflor

 

自分がやりたいことをしているつもりなのに、

何とかまじめに一所懸命やろうとしていたらいつの間にか、

やらねばならぬ!

になってしまっていて、

自分で自分にプレッシャーをかけていた、なんてこと、よくありますよね。

やりたいことがいつもいつも楽しいというわけではないので、

ちょっとサボりたくても、やらねばならぬ!と自分を鼓舞する時はありますけれど、

それでいつの間にか楽しいことが義務になってしまってはもったいない。

 

あれれ?と気がついて、

やらなくちゃ、ではなくて、やりたいんじゃなかったっけ?

と自分に問うてみたら、ただやりたかっただけ。

 

言葉って、実は呪文をかけているようなものかもしれませんね。

気分はやりたいエネルギーなのに、

言葉で枠を作ったらいつの間にかカチコチになってしまう。

 

私は言葉が好きだけれど、言葉に頼り過ぎたり、漫然と使っていると、

思わぬところで、自分で自分を不自由にしてしまったりするのかも。

ちょっと窮屈なことに気づいたら、

本当はどんな感じがしているかなと、頭ではなく気分を感じてみるのがいいですね。

 

 

是も非もなく

gradation

九段の靖国神社のまわりの桜は、もう咲き始めています。

桜の咲く頃は、なぜかサワサワと胸のあたりがうずきます。

嬉しいような哀しいような、陽気なようなしっとりするような。

季節の変化とリズムを合わせて、肉体も感情もゆらゆらと動いている。

 

やって来ては去っていく場面を、

是も非もなく、ただ見ている。

 

 

 

くりかえしくりかえし

gomennnesensei

私の母はもう立派なおばあさんでありまして、

何度も何度も同じことを尋ねてみたり、話したりするんですね。

慣れているとはいえ10回に1回は、イラっとしたりします、ワタクシ。

 

何度も同じことを言われると、もう耳にタコができました!と言いたくなるし、

それ、前も聞いた~、とちょっとダレて聞いていたり、

ハイ、何度でも、と真面目に聴いているつもりなのに、いざという時にすっかり忘れていたりします(苦笑)。

 

せっかく聞いたり勉強したことを、肝心な時に自分の力に出来なかったり、後から思い出した瞬間、

あぁ、もったいないことをしたなぁと思います。

大失敗をしたり痛い思いをして自分で本当に納得しないと、なかなかそれを「わかる」ことができません。

いくら人から注意されても本人が気が付かないとね~、なんてことはよく聞くし自分も言うけれど、

わが身を振り返ると、まさにそれは、じ ぶ ん のこと!

ガンコなワタシは、「なるほどよくわかりました」が芯まで到達するまでは、わかっちゃいない。

それを反射的にアウトプットできないのです。

 

同じことを聴いても、本当の意味ではその時その時まったく同じではないのだ。

繰り返すことは地味ながら大切で、繰り返す機会があることも実はとてもありがたいことです。

 

最近、身近なまわりをよくよく見ていると、全部が、 ” 他人ごと ”  ではないのだなと思います。

繰り返し言ってくれる人にイラっとされないように、気をつけましょっと ♪

 

 

今これで充分

loveit

 

先週一週間、毎日が普段より仕事も人との時間も彩り豊かでした。

年度末にふさわしい総まとめみたいな(笑)、多忙で賑やかな印象でした。

 

そんな日々の後で、母を車に乗せて父のお墓参りに出かけ、

杖をついてゆっくりゆっくり歩く母とお天気のよい墓地の中を歩きました。

ふと見ると、ピンク色の椿が咲いていました。

この椿は、昨春、ちょうどこのブログを始める頃に写真に撮った種類。

あぁ、一年だなぁとあの頃を思い出します。

 

すべては過去の記憶なので、今ここには何もありません。

私には夫も子どももいないので、母には孫との関係も時間もあげられませんし、

どう見えているかわかりませんが、

持っているもの、して来たことは実にささやかです。

それでも、母と共に陽を浴びて花を美しいと思った時、

これで充分とふと感じ、何より穏やかでほっとしていました。

美しさはストレートに強く働きかけてきます。

 

ひとと比べず、その人はその人なりでよし、

信じるな、疑うな、確かめよ、とヨガの師に習いました。

望むものが手に入るまでは周りと比べて不足感や飢餓感に焦り、不安になり、

手に入ったら入ったで失うことを怖れるという終わりのない回路は、人間ならば誰にでもあります。

わかっていながら自らそこへ突入してしまうこともあります。

うまく行っているのに、「こんなにうまく行くはずはない」と慎重になって、

次の落ち込みを予想し引き寄せてしまうこともあります。

 

先ほど言った「今これで充分」とふとわき上がった気持ちを思うと、

実は、唯足るを知る、は、日常でしばしば無意識に「なっている状態」のことなのだろうと思います。

ただ、それをそれとしていちいち認識していないだけで、

さて見つけてみたら、私たちは既に「足るを知る瞬間」を重ねているのですね。

幸福というのは、本に書いてあったり誰かが言った光り輝く高揚感や至福感のような神秘的でドラマティックなものではなく、

日々を丁寧にただそのまま見てみると、誰もがもう充分を味わっている。

今ではないどこかを探すのではなく、今、ここに。

今更ながら、私はそんな風に思いました。

あなたは、どんな風に思われますか?

 

 

 

 

 

 

 

さらさらふんわり

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自分では頑固になっていないつもりでも、

いやいや意外となっているものですね。

 

ガンコ、とは、かたくなに信じている、でもあり。

自分は素直になっている、と頑なに思っていると、それはやっぱりガンコちゃんなんですね。

身体も柔らかい方が転んだり怪我をしないけれど、ただ柔らかければよいというわけでもなくて、

硬いところはそれなりに何かを守っていることがあるから、

しなやか、ならばいいんだな。

 

そんなこと分析しても仕方ないんですが、

日々、毎瞬、そういうコリコリを見つけたらほぐして、

風通し良く、サラサラフンワリ、行きたい気分の今日であります。

 

 

春一番

sharan

 

今日は春一番が吹きましたね。

春っていいような悪いような。

暖かくなって光もきれいだし花も咲いて賑やかですが、

からだは緩んで不安定になっているので、心身共にバランスを取るのがけっこう大変な季節でもあります。

 

プロトマニアの春の企画はこんな季節に効きそうなあれこれ。

4月27日に遠藤浩子さんのフラワーレメディ講座第二回目を予定しています。

新しい環境や新しい人間関係にコツンとおでこをぶつけた時のサポートになるような、

ナチュラルで穏やかなレメディの効用を教えて頂けると思います。

詳細が決まりましたら、新しいワークショップのコーナーでお知らせしますので、どうぞお楽しみに。

 

そして既に募集中ですが、4月29日には人気のレクチャー、宋海君先生の気功養生特別講座。

こちらも季節にあった食べ物のお話や気功の実技を教えていただきます。

 

自分でやっていて言うのはなんですが、

プロトマニアは少人数でのんびりした雰囲気の中で、かなり密度の濃いお話や内容をお届けしているので、

とっても、お得、だと思います!

う〜ん、この良さをどうやって伝えようかといろいろ思いますが、

とにかく、馬には乗ってみよ、ひとには添うてみよ、なのです。

中尾陽一さんの絵画鑑賞入門講座も、伊東充隆先生の青空禅フォーラムも、竹内裕美さんのホリスティックビューティーWorkshopも、

とにかく、先生方みんな、人物の心根がいい! 情熱がある!

 

自画自賛気味ですが、自画自賛できないようなものをみなさんにおすすめできませんもの!

ワタクシ自身も、世間の風にあっちへこっちへ吹き飛ばされながら、このプロトマニアについては情熱を持って取り組んでおります。

いつかプロトマニアで、きっとお会いできますように!

 

 

 

 

 

 

 

 

死神と天使

sakurairo

『優しい死神の飼い方』(知念 実希人  著) という本を読み終えました。

ゴールデンレトリバー犬の姿となって地上に派遣された「死神」のおはなし。

死を前にした丘の上のホスピスの入院患者たちの「未練」を解消して「地縛霊」とならないよう魂を浄化し、

「我が主様」のところへ道案内するはずが、殺人事件を解決し、人間を理解し、愛を知り、最後には「死神」のまたの名を知る…

自らを高貴な霊的存在とし、「下等な人間のすることはわからない」とクールに任務遂行する死神さんのセリフが

とにかく可笑しくて、電車の中で吹き出しそうになったり、読み進むうちに泣けるセリフにうるうるしてしまったり。

文章のリズムが軽快であっという間に読みました。

この著者は、現役の内科のお医者だそうです。

 

プロトマニアで「死」について考える何かをやりたいなと思っていました。

子どもの頃に、死んだらどうなるんだろう?と考え続けたことや、

20代の頃、幼馴染が海の事故で突然逝ってしまって、人間の命には限りがあるということがリアルになり、

これまで身近な人たちを見送って、今。

体験やこれまでの概念で得た「死」のとらえ方と今の私のそれは少し違うかもしれません。

「死」を考えることは、「生」を考えることだとはよく言われますね。

人間は時間軸に縛られ有限だからこそ、与えられた時間を濃密に生きるのだと。

「死」は特別なことではないし、誰にでも必ずやってくる。

人生の先輩たちが「ある程度の年齢になると宗教や哲学にあらためて関心が向く」と言っていましたが、

寺子屋プロトマニアでの「自分とは何か?」のアプローチ、特に青空禅フォーラムは、

きっとこれまでとは少し違う風景を見せてくれるのではないかと思います。

その風景は私の言葉ではうまく伝えられませんが、

それぞれがそのひとなりの道順で見ていくのではないかと思います。

 

そうそう、この小説はストーリーもさることながら、言葉のセンスが光っていました。

センスってお勉強したただけでもダメだし、かといってしなくてもダメだし。

理屈じゃないところが難しいけど、ハッキリあるのが「センスの良さ」ですね~

ハタと自分を振り返ると、冷汗ですけれども!