ナビゲーション

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車のディーラーと話していた時、

私はカーナビには興味がなくて地図を見る方が好き(というかそもそも着いていないのですけど)、

と言ったら、

 

カーナビで動くと、次にそこへ行く時、道がわからなくなるよ

あれは人間を退化させるね

 

と言っていました。

確かに音声案内に従って走るので、あまり周りの風景に注意を払わなくなる気がします。

地図を見てからカーナビで目的地に行くのは、全体をイメージしてからなので悪くないらしい。

お任せして安心すると感覚はストップしちゃうんですね、おそらく。

 

私たちは自分の意志を持って行動していると思っていますが、

ベンジャミン・リベットという神経科学者が1970年代に行った実験で得られた結果では、

「人がある行動を起こそうと決めた瞬間の約0.5秒前に、脳はすでにその行動に向けての活動を開始している」

ということらしいので、

実は自分でやっていることは意識する前から指令が出ているということで、

私たちはナビゲーション通りに動いているということでしょうか。

それを聞いたら、なんだか可笑しくなっちゃいますね。

深刻にならずに、あはははは、と笑っちゃいましょうね。

 

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思考はエネルギーを奪う の巻、そして青空禅フォーラムへ

green

 

一昨日、あることがきっかけで考え事を始めました。

それはどうでもいい、くだらな〜いことだったのですが、

いろいろ考えているうちに頭の中がそれでいっぱいになって、

ず^^^^^っとそのことを考えていたのでした。

悩み事じゃないから苦しくもないし、ついそのままあれこれ考えを巡らせていたのです。

そして昨夜、ふと鏡を見たら、

 

なななななんて疲れた顔をしているの、ワタシ!!!

 

ひゃ〜、うっかりした! これも立派な思考で想念でした。

思考がエネルギーを奪うってまさにこのことだわ、と実感したのでした。

 

いやいやオソロしい。

美容の大敵は、睡眠不足より、余計な思考です。

くわばらくわばら。

毎月の青空禅フォーラムでは、そんなクワバラな目に遭わない智慧をあれやこれやとお話していただいています。

3月の青空禅フォーラムは3月8日(土) 14時からです。

ご参加お待ちしております。

 

 

青空と悟りと在り方

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昨日の青空禅フォーラムでは、伊東先生から禅のお話を伺いました。

 

私たちは全てそのままで仏性である。

つまりお釈迦様と同じく、悟った状態なのである。

 

悟り、っていうのは、あるがままの本質を知りそれを味わっている状態。

白隠禅師は謡いました。

 

いろいろな修業が用意されているけれど、それをやらないと迷いのない境地に至らない、のではないよ、

あらゆることはただ禅定の中に包含されている。

 

禅定すなわち、座禅とは行為ではなく意識の在り方です、

することではなく、あること在り方なのだと伊東先生は解説してくださいました。

 

悟りっていう言葉以外に何か他にことばはないものかなぁと思うことがしばしばありました。

というのは、悟りって言うとなんだかとても特別な感じ。それを求めているとなると不思議ちゃんな感じもする。

愛とかワンネスとか神とか大いなる一とかとかとか?? 宗教っぽいし、ヒッピー?みたいだし、よくわからない。

言葉にはいろいろイメージがくっついている。

でも本来、特別でも何でもなく、私たちはすでにその悟りそのものらしい。

 

ただし、「そうか、すでに悟っているのだ」と思い出したからといって、

現実の生活が突然大成功したり、夢みたいなことが起こる訳でもないらしい。

中にはそういうドラマの主人公みたいな人もいるかもしれないけれど、悟りはいわゆるこの世の成功法則にはあたらないらしい。

 

では何が起こるのかというと、ただ単に、良くなろうが悪くなろうが、それが気にならなくなるらしい。

問題はそのままあるであろう、生きていれば病気にもなるだろう、そして究極の死もちゃんともれなくやって来る。

それでも区別なく無分別。

 

そう聴くとなんだかそれはとっても楽そうだと思う。自由そうだし、気持ち良さそうだと思う。

矛盾に苦しむこともなく、良いも悪いも、優劣、白黒を判断することもなく、

足りないことも余計もなく全てを包含して味わっている。

 

なんだか素晴らしく雄大広大無辺ではありませんか。

スーパーマンで一番になるよりも、そちらの方がよほどいい感じがしますよ。

 

高速道路を走りながらふと横を見ると、隣車線のトラックのボディーに

 

前後裁断!今を生きる!

 

と書いてありました。

― 余計なことは考えないことですよ~ - ってことですね。

 

食べることは細部につながる!?

koji

私は食いしん坊。

先日、結構な分量の糀が手元に届きました。

塩糀を作ってもまだまだ余る量で、甘酒を作るのは面白そうだったのですが、これは今の私にはなかなか手間がかかりそう。

そんなことを話したら、友人が甘酒を作ってみると言ってくれました。

彼女はなんでも手際良くて器用なひとなので、それではぜひと糀を引き取ってもらったのです。

そしてその糀が甘酒になって帰って来た!

その味のやさしいこと!!

市販の甘酒とは全然違います。柔らかくてふわっと糀の香りがして、生きているみたい。

甘酒は飲む点滴とも言われるらしく、からだには本当に良いんですって。

友人は、電子炊飯器を使って甘酒を作ってくれたのです。

何でも手作りはおいしい。元気になります。

お味噌もお沢庵も梅干しも甘酒も、自家製を作っている方はけっこういらっしゃるでしょう。

 

食べ物が身体を作っている、ということは当たり前のようですがそのものズバリ、本当のこと。

当たり前すぎて意識せずにおろそかにしちゃいますが、食べることに纏わることはいろいろな意味で基本だと思います。

そして、一見、無関係なようなことにも応用できる大切なことを教えてくれる。

 

私はチョコレートは魔法の薬だと信じていて、気分と発想と身体の不調にはいつでもチョコレート。

カカオマス80%のチョコレートのかけらを口に含むと、溶けたカカオマスが口の粘膜から沁み込んで行く感じがします。

胃袋だけじゃなく、あちこちで吸収しているのだ、おそらく … イメージ的には。

細胞は、切っても切っても金太郎!

真実は細部に宿る!

 

でもね、食べることって、こうあるべき、や、こうでなくてはだめ、ということではなく、

揺れ幅をたっぷりとって、楽しまなくちゃ。

生命は悠然としていて、多少の凸凹は全部受け止めてくれますから。

 

 

自由あれこれそれ

aftersnowing

 

賢者は目的を求めて努力しない

愚者は目的を求めるために己を縛る

 

というのを、いつだったかむかしむかし、

夜どこかを散歩しながらソフトクリームをなめながら初めて聞いた。

 

たいてい人というのは誰かのことを見る時には枠にはめて見たがる。

この人はこういう傾向のあるこういうタイプの人だと思って見られていると、

固定化して見られる側は、息苦しくなる。

それは見る人の手中にあることで、こちらにはどうしようもないのだけれど。

 

ある本に書いてあったけれど、

鈴木大拙によれば、「自由」は英語にすると、freedom や  liberty  ではなくて、self-reliance  となるそうだ。

他に依拠せず、外に求めないからこそ「自由」なのである、と。

それはなんだかほっとする。

どこにいてもゆったりとした空気を纏っていられる。

 

意味から自由になる

pakilan

 

良いけど良くない、

好きだけど嫌い、

幸福だけど不幸、

意味があるけどない…

 

この世はそんな裏腹なことに溢れています。

 

私は何のために生きているのか。

生きる意味とは何か?

それは何を意味しているのか?

そんなことをして何の意味があるのか?

 

私たちは何ごとにも意味を見出そうとし、意味をつけたがる。

人間の脳はそんな風にできているのでしょう。

意味のないことなんて意味ないよって思わずに、

意味がないことをただ受け入れるのはちょっと勇気がいるけれど、

そこにこそ自由が広がっている。

 

意味を求めない、とか、あるがまま、とか、どちらでもよい、とか、

シンプルな言葉ほど、それを正しく聞くことは難しい。

わかったつもりで勝手に解釈したり、自分流にしてしまうのは簡単ですが。

ヨガで習った 信じるな 疑うな 確かめよ という意味が少しだけ分かって来た気がします。

 

 

 

冴えさせる

hiya

昨日は宋海君先生の気功養生特別講座でした。

宋先生の講座は、家に帰ってからすぐにできる気功を教えて下さるので、

日々の健康維持にとても役立つのですが、三日坊主にならないで続けることが大切。

継続は力なり!

 

昨日のお話で、なるほどなるほどと思って聴いたいたのが、

何ごともタイミング、ということです。

ショウガがからだを温めるからと言って、それをやみくもに飲んだりしても間違い。

(この場合は、間違い、ということがあるのです。)

ショウガは生なのか? 干したものか? どの季節に飲むのか? いつは飲まない方がよいのか?

いろいろなことが分かった上で摂らなくては、薬も毒になり得る、というおはなし。

 

当たり前と言えば当たり前なのですが。

私たちは情報にずいぶん左右されてしまうので、これがコレコレに良い、効くよ、と報道されたりすると、

早速それをやってみてしまいます。

でも本当は、ちゃんと知識を得て、正しく取り入れることが大切なのですよね。

 

最近はテレビで堂々と報道されていることだって後から嘘!とわかったりしますからね。

けっこう、自分の勘を信じるのもよいかもしれませんね。

あれ? これはなんとなくおかしい、あやしい、違う感じがする、なんていうのは、当たっていることが多い。

その動物的勘を冴えさせておくことも、だいじですね。

私はものの匂いを嗅ぐのがクセで、あまりお行儀が良くありませんが、

何か新しいものを手にすると、つい、クンクンと匂いを嗅いでしまいます。

だからといって何が分かる訳でもないのですが、

そういう本能的なところは、そっと取って置きたい好きなところでもあります。

雪の贈りもの

snowsnow

今日の東京は雪。 朝からずっと降っています。

 

雪が降ると、景色は真っ白。

電車の窓から見るいつもの風景もまるで違う街のように見えます。

音は雪に吸い込まれてあたりがシンとしている。

静かな音がする。

白という色に包まれて、何もかもが違う。

 

そして、思いがけないことが起こったり、届いたりします。

それはおそらくとてもささやかだから、見逃さないで。

雪の贈りもの、です。