ナビゲーション

tokyo0226

車のディーラーと話していた時、

私はカーナビには興味がなくて地図を見る方が好き(というかそもそも着いていないのですけど)、

と言ったら、

 

カーナビで動くと、次にそこへ行く時、道がわからなくなるよ

あれは人間を退化させるね

 

と言っていました。

確かに音声案内に従って走るので、あまり周りの風景に注意を払わなくなる気がします。

地図を見てからカーナビで目的地に行くのは、全体をイメージしてからなので悪くないらしい。

お任せして安心すると感覚はストップしちゃうんですね、おそらく。

 

私たちは自分の意志を持って行動していると思っていますが、

ベンジャミン・リベットという神経科学者が1970年代に行った実験で得られた結果では、

「人がある行動を起こそうと決めた瞬間の約0.5秒前に、脳はすでにその行動に向けての活動を開始している」

ということらしいので、

実は自分でやっていることは意識する前から指令が出ているということで、

私たちはナビゲーション通りに動いているということでしょうか。

それを聞いたら、なんだか可笑しくなっちゃいますね。

深刻にならずに、あはははは、と笑っちゃいましょうね。

 

思考はエネルギーを奪う の巻、そして青空禅フォーラムへ

green

 

一昨日、あることがきっかけで考え事を始めました。

それはどうでもいい、くだらな〜いことだったのですが、

いろいろ考えているうちに頭の中がそれでいっぱいになって、

ず^^^^^っとそのことを考えていたのでした。

悩み事じゃないから苦しくもないし、ついそのままあれこれ考えを巡らせていたのです。

そして昨夜、ふと鏡を見たら、

 

なななななんて疲れた顔をしているの、ワタシ!!!

 

ひゃ〜、うっかりした! これも立派な思考で想念でした。

思考がエネルギーを奪うってまさにこのことだわ、と実感したのでした。

 

いやいやオソロしい。

美容の大敵は、睡眠不足より、余計な思考です。

くわばらくわばら。

毎月の青空禅フォーラムでは、そんなクワバラな目に遭わない智慧をあれやこれやとお話していただいています。

3月の青空禅フォーラムは3月8日(土) 14時からです。

ご参加お待ちしております。

 

 

青空と悟りと在り方

zenao

昨日の青空禅フォーラムでは、伊東先生から禅のお話を伺いました。

 

私たちは全てそのままで仏性である。

つまりお釈迦様と同じく、悟った状態なのである。

 

悟り、っていうのは、あるがままの本質を知りそれを味わっている状態。

白隠禅師は謡いました。

 

いろいろな修業が用意されているけれど、それをやらないと迷いのない境地に至らない、のではないよ、

あらゆることはただ禅定の中に包含されている。

 

禅定すなわち、座禅とは行為ではなく意識の在り方です、

することではなく、あること在り方なのだと伊東先生は解説してくださいました。

 

悟りっていう言葉以外に何か他にことばはないものかなぁと思うことがしばしばありました。

というのは、悟りって言うとなんだかとても特別な感じ。それを求めているとなると不思議ちゃんな感じもする。

愛とかワンネスとか神とか大いなる一とかとかとか?? 宗教っぽいし、ヒッピー?みたいだし、よくわからない。

言葉にはいろいろイメージがくっついている。

でも本来、特別でも何でもなく、私たちはすでにその悟りそのものらしい。

 

ただし、「そうか、すでに悟っているのだ」と思い出したからといって、

現実の生活が突然大成功したり、夢みたいなことが起こる訳でもないらしい。

中にはそういうドラマの主人公みたいな人もいるかもしれないけれど、悟りはいわゆるこの世の成功法則にはあたらないらしい。

 

では何が起こるのかというと、ただ単に、良くなろうが悪くなろうが、それが気にならなくなるらしい。

問題はそのままあるであろう、生きていれば病気にもなるだろう、そして究極の死もちゃんともれなくやって来る。

それでも区別なく無分別。

 

そう聴くとなんだかそれはとっても楽そうだと思う。自由そうだし、気持ち良さそうだと思う。

矛盾に苦しむこともなく、良いも悪いも、優劣、白黒を判断することもなく、

足りないことも余計もなく全てを包含して味わっている。

 

なんだか素晴らしく雄大広大無辺ではありませんか。

スーパーマンで一番になるよりも、そちらの方がよほどいい感じがしますよ。

 

高速道路を走りながらふと横を見ると、隣車線のトラックのボディーに

 

前後裁断!今を生きる!

 

と書いてありました。

― 余計なことは考えないことですよ~ - ってことですね。

 

wakanatumu

 

君がため 春の野に出でて若菜つむ

わが衣手に雪は降りつつ

 

光孝天皇

 

 

 

 

食べることは細部につながる!?

koji

私は食いしん坊。

先日、結構な分量の糀が手元に届きました。

塩糀を作ってもまだまだ余る量で、甘酒を作るのは面白そうだったのですが、これは今の私にはなかなか手間がかかりそう。

そんなことを話したら、友人が甘酒を作ってみると言ってくれました。

彼女はなんでも手際良くて器用なひとなので、それではぜひと糀を引き取ってもらったのです。

そしてその糀が甘酒になって帰って来た!

その味のやさしいこと!!

市販の甘酒とは全然違います。柔らかくてふわっと糀の香りがして、生きているみたい。

甘酒は飲む点滴とも言われるらしく、からだには本当に良いんですって。

友人は、電子炊飯器を使って甘酒を作ってくれたのです。

何でも手作りはおいしい。元気になります。

お味噌もお沢庵も梅干しも甘酒も、自家製を作っている方はけっこういらっしゃるでしょう。

 

食べ物が身体を作っている、ということは当たり前のようですがそのものズバリ、本当のこと。

当たり前すぎて意識せずにおろそかにしちゃいますが、食べることに纏わることはいろいろな意味で基本だと思います。

そして、一見、無関係なようなことにも応用できる大切なことを教えてくれる。

 

私はチョコレートは魔法の薬だと信じていて、気分と発想と身体の不調にはいつでもチョコレート。

カカオマス80%のチョコレートのかけらを口に含むと、溶けたカカオマスが口の粘膜から沁み込んで行く感じがします。

胃袋だけじゃなく、あちこちで吸収しているのだ、おそらく … イメージ的には。

細胞は、切っても切っても金太郎!

真実は細部に宿る!

 

でもね、食べることって、こうあるべき、や、こうでなくてはだめ、ということではなく、

揺れ幅をたっぷりとって、楽しまなくちゃ。

生命は悠然としていて、多少の凸凹は全部受け止めてくれますから。

 

 

自由あれこれそれ

aftersnowing

 

賢者は目的を求めて努力しない

愚者は目的を求めるために己を縛る

 

というのを、いつだったかむかしむかし、

夜どこかを散歩しながらソフトクリームをなめながら初めて聞いた。

 

たいてい人というのは誰かのことを見る時には枠にはめて見たがる。

この人はこういう傾向のあるこういうタイプの人だと思って見られていると、

固定化して見られる側は、息苦しくなる。

それは見る人の手中にあることで、こちらにはどうしようもないのだけれど。

 

ある本に書いてあったけれど、

鈴木大拙によれば、「自由」は英語にすると、freedom や  liberty  ではなくて、self-reliance  となるそうだ。

他に依拠せず、外に求めないからこそ「自由」なのである、と。

それはなんだかほっとする。

どこにいてもゆったりとした空気を纏っていられる。