恋のよろこび 沈香のゆくえ

chai

陽叛兒

君は歌う陽叛兒

妾は勧む新豊の酒

何許か最も人を関えしむ

烏は啼く白門の柳

烏は啼いて楊の花に隠れ

君は酔うて妾の家に留まる

博山炉の中なる沈香の火

双煙 一気 紫霞を凌がん

 

李白

 

大寺の香のけむりはほそくとも空にのぼりてあまぐもとなる

 

 

 

思考者も行為者もいないのだ

winter

 

思考を生み出しているのはいったい誰なのでしょうか。 頭脳がありますが、何がそれを動かしているのでしょうか。
想念はどこからやってくるのでしょうか。固定観念はどこから生まれるのでしょうか。いったい何がどうなっているのでしょう?
こうした疑問をつきつめていくと、”神意識”を求めるときに、自分は誰か人間を、考える人とか、行動する人を自分のなかに見つけようとしているのだということに気づきます。でもそんな人間が自分のなかにいるのでしょうか。

この混迷の時代にあって、新しい種類の意識を持ちたいと思っている人は、まず、自分のなかには思考者も行為者もいないのだ、という可能性を受け入れてください。自分の観念は秩序をもって動いていると人は 〈 信じて 〉 いますが、じつは人というのは、さまざまな観念がかなり無秩序に集まった集合体なのかもしれない、という可能性を考えてみてください。

 

バーソロミューより抜粋

それは思い込みか?

ballmouse

仏像ならぬ神像。

日本の神様像は素朴で親しみやすいものが多いですね。

平安時代の神像は、ふつうの人間のかたち。

しもぶくれのお多福さんみたいな女性の神像もあれば、その辺にいそうなおじさんの男神像もあります。

それが当時の神様像だったのか…と思うと、

神様とはそういうものでそれを当時の人は知っていたのかも。

 

私たちは放っておくと、たいていの場合は  ”  思い込み  ”  から始めます。

自分が知っている(と思っている)ことを前提に物事をジャッジしたり、スタートするけれど、

そうすると時として大きく方向を間違ってしまったりします。

誰かさんが化学兵器を作っていないわけはない、という前提で大きな国が動き出し、

ふたを開けたら実はそうではなかった、ってなこともあって、

失敗した国の人は、「当時の我々には想像力がなかった」、なんてコメントを堂々と述べていたりします。

 

自分が考えつくことだけで物事を見るよりも、

いやまてよ、と疑ってみたり、前提を変えて見てみるというのは、

いつの間にか思い込んでしまっていることに気づけて、広がりがあります。

 

 

たとえば神様について、そういうものってどういうもの? という方は、

青空禅フォーラムでお話を聴くとそれがわかるかも。

 

ホリスティックBeauty Work Vol.2 いつでもハンドマッサージ!竹内裕美さん

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3月15日(土)の午後、竹内裕美さんのホリスティックBeauty Work の第二回目を行います。

今回はハンドマッサージとネイルアート。

 

ハンドマッサージは、ヨガのクラスでも時々やるのですが、

手は第二の脳と言われているそうで、手をほぐすと脳もリラックスします。

そして肩凝りも、実は滞っている箇所ばかりをごりごりやるよりも、

遠いところからほぐした方が安全に無理なくほぐれるんですね。つまり手のひらから。

 

実際にハンドマッサージをしてもらうと、本当に気持ち良くてウトウトしてしまうくらいです。

服を着替える必要もないし、いつでもどこでもできるから、

ちょっと元気のないお友達やご家族、入院中の方などにも安心してしてあげられる小さな親切にもなります。

 

マッサージではありませんが、北欧ではタクティールケアという触れることによって痛みや不安を軽減する方法が

医療や福祉の現場で活かされていて、日本でもそれは行われています。

竹内さんは、これまで病気の方や術後のケアなどを実際に病院や福祉施設でされているので、

そんなお話もうかがえることと思います。

そして、オマケにかわいいネイルアートも教えて下さるそうです。

ぜひプロトマニアでの気持ち良い時間、ご参加くださいね!

ハンドマッサージは、ちょっと会話が少なくなっているご夫婦にも良いそうですよ~(笑)

詳細は新しいワークショップなどのお知らせ からどうぞ。

 

さらさらと

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ふと、目の前の霧が晴れるような爽快感

いつの間にかこんなところまで来ていたのかと気づいた時の驚き

補助輪なしの自転車に乗れた瞬間のような初めての感覚

こういうことだったのかと腑に落ちた時の満足感

 

体験してしまえば、もうそれで過ぎ去って何もない

 

沈黙

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人は自分が何なのかを知りたいと願います。彼は自分の周りに動物や物を見、それからこう言われます。

「あなたは牛ではない。馬でもない。木でもない。これでもなければあれでもない…」と。

もしその人がまだ「あなたは私が何なのか伝えていない」と言うなら、その答えは、「あなたは人間ではないとは言われていない」となるでしょう。彼は自分が人間だということを自分自身で探し出さなければならなりません。
それゆえ自分が何なのかは、あなたが自分自身で探し出さなければならないのです。

あなたは、「あなたはこの身体ではなく心でもない。知性でもなければ自我でもない。あなたに考えられるものは何であれあなたではない。
真のあなたが何なのかを見いだしなさい」と言われました。

沈黙は、「質問者自身が見いだされるべき真我である」ということを示していたのです。

スワヤンヴァラでは、乙女は一人ひとりの男性に「いいえ」と言い続けますが、ハートが選んだ人の前に来たとき、
彼女はうつむいてただ沈黙するのです。

*スワヤンヴァラ:適齢期になったクシャトリヤの娘あるいは王女が、公の場に集まった求婚者の中から自分の花婿となるにふさわしい男性を選ぶという古代インドの習わし。

 

ラマナ・マハルシとの対話  第五章  1939年  より

「絵画の見方」入門講座:中尾陽一さん登場!

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3月からアートにまつわるレクチャーを始めます。

私の本業はアート関係ですが、なぜ芸術や芸術につながるものに関心があったのかというと、

やはり人間って何だろう? が基本にあったからです。

画廊でしばらく仕事をした後に、成り行きながら(笑)一人で仕事を始め、初めて開いた企画展は、

 

LOVE ART !  —アートを愛して!—

 

という直球のタイトルでした。

大きな美術館の展覧会には行くのに、芸術はわからない、画廊は入りにくい、絵を買うなんてとてもとても…

という一般的なイメージから、もっと身近にアートを感じて置いて生活の中で楽しみましょうよ、という気持ちでした。

そして有名無名に関わらず、自分が付けた価値で自分にとってのアーティストの一点を手に入れ、

お部屋に飾ったら、良いことがあったハッピーな日も、疲れてちょっぴり悲しい日も、いつもその絵があなたを見守っている。

そしてその作品をふと眺める…

つまりは自分自身と向き合う時間をほんの数分、日常に取り入れてください、そんな思いでした。

 

あれから10数年、プロトマニアへとその思いはつながり、

すばらしくピッタリな先生! 中尾陽一さんのお話会を企画できました。

中尾さんは数々の美術展の仕掛け人。

海外の名だたる有名美術館から超巨匠ものの作品を日本の美術館に持って来て、

大きな展覧会をたくさん企画していらした方です。

美術史の先生から聴く美術の解説ではなく、中尾さんご自身の経験角度からの

 

” 芸術とワタシの関係の作り方 ”

 

いろいろ現場の裏話を織り交ぜながらの楽しい内容になるはずです。

飄々として柔軟で、実は絵を描いていた!中尾さんの海外体験、センス、権威的ではない自由な感性が、

きっと皆さんにびっくりマーク!と軽やかさを届けてくれることと思います。

一見シャイ、しかし情熱的でさりげなくお洒落な紳士、中尾陽一さんによる、

 

新しい見方への扉、オープン!

 

ぜひご参加くださいね。

詳しくは「新しいレクチャーのお知らせ」からご覧下さい。

そうそう、余談ですが中尾さんはお料理のすばらしい腕前もお持ちです。

美的センスは料理にも繋がるんですね!

 

本も絵も

giving tree

海外の著者の本は、翻訳者によってニュアンスが変わります。

だいぶ意訳だなと思われる時もあるけれど、それはそれでよかったりもする。

言葉や表現から何を受け取るか、本当には、受け取る側に委ねられているものかもしれませんね。

何かまるでその本が生きているように感じるほど、違った印象を受けることもあります。

 

何度も何度も読み返して、その時の自分が何をそこから受け、感じ取り、汲み上げ、揺さぶられるか。

絵を見るのも同じ。

そして、どれもこれも、何がどうでも、それでそのままよい。

みんなおなじなんだな。

そんな風に本や絵を味わえるのはシアワセだな。

 

 

 

 

 

委ねる

teratera

 

このところ寒い日が続いていますが、

東京の夜空でも、星や月がすばらしく美しいですね。

 

若い頃、夕暮れ時が苦手でした。

あの光の色や空気感がなんとも寂しく、切ないような、苦しいような。

自分の存在があるのかないのか、消えてなくなりそうな不安感。

そんなことを話すと、年上のひとには「若いわねぇ」と笑われました。

今はすっかり大きく(笑)なって、

夕暮れの光の美しさから逃げたりせずに、穏やかな静けさを味わうことができるようになりました。

 

冬の夜空はたくさんの記憶を纏っているらしく、キーンと冷たい空気の中で見上げていると、

とりとめもなく、とんでもない思い出の場面が浮かび上がって、ひとり苦笑。

自分の意志とは無関係に差し込まれるシーンに、

まったくまったくお手上げです。