ゆっくりゆっくり、丁寧に。

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そして、自分が愛したときの思い出を語るうちに、人生の旅路のすべてが美しくて意味があるものだったのだ、

ということにあなたは気づきます。あらゆる障害やうまくいかなかったこと、ああでなければよかったのにと思っていること、

そうしたことはすべて色あせていきます。

そして、自分の人生での愛する行為を通して自分も、” 大いなる全体 ” に貢献したのだ、

ということを理解するようになります。

どんな愛の行為も行わずに死んだというような人はいません。”  愛  ”  はけっして死にません。

肉体の死後も愛はあなたの「存在」のなかに残っていて、あなたはそれを贈り物として差し出すのです。

そして、それは感謝の気持ちを込めて受け取られます。

 

バーソロミュー

Divercity

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昨夜、政治哲学のマイケル・サンデル教授の白熱教室を観ました。

以前、インドで起こった女子学生のレイプ事件をテーマにインドでの議論。

サンデル教授がどこの国でも問いかけるのが「市場原理主義」と「人としての正義」との葛藤。

そしてインドでの議論では、事件の背景にある男尊女卑について意見が交わされました。

レイプは他の犯罪よりも重く罰せられるべきか?

女性は男性よりも体力的に弱いから守らなくてはならない、という女性。

その発想は逆差別で、女性に体するレイプを一般の犯罪と区別したら女性自ら自分が弱い存在と認めることになるという女性。

女性も男性も人間である点で同等というのは理想であって、

現実的にはまず女性を守りながらインド社会における女性に対する意識を変えることが先決という女性。

 

二極の世界にはもれなく葛藤や矛盾があります。

男と女、陰と陽、光と影…

ダイバーシティー、多様性 。

違いを認め合い受け入れて補い合って共に生きる。

人間は実際、平等ではありませんが、違うものを怖れず、無視せず、排除せずになんとかやっていきたいものです。

 

 

では、自分自身で全体的である、とはどういうことでしょうか。

それは、狭量で限界のある考え方に片寄らず、あらゆるものを受け容れ、自分の中に取り入れる気持ちを持っている、ということです。

言いかえれば、ポジティブな面に焦点をあてれば、必ず、同時にネガティブな面を作り出している、ということを知っているということです。

何かが分かった時には、それ以外のことについて自分は無知であるということを認める、ということです。

神聖な使命感を持ったならば、その裏側の罪と共に生き、その責任を受け入れてゆくということなのです。

 

「なまけ者のさとり方」 タデウス・ゴラス著 より

 

Order ?

nonchan

子どもの頃、絵を描くのが大好きだったので、おじいさん絵描きさんに絵を習っていました。

毎日お絵描きをしていました。

絵は大好きなのですが、たまたま仲良しのお父さんが有名な画家で、

その大先生が私の絵を見て、「おもしろくないね〜」とキッパリハッキリ言ったのがトラウマになって(!)、

高校生まで大好きな美術の成績はちっともよくありませんでした。

 

あの一言でハマってしまった、とか、逆に苦手になってしまったとか、

そいうことってありますよね。

 

脈絡なく、因果もなく、唐突にアクシデントのように降って湧くインスピレーション。

この世の order やいかに?

 

やってみた

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私たちの本質は何か?

大昔からそれは語られ、議論され、研究されてきたわけですが、

絶対的な答え、一つの答えを誰がそれ正解だよと言えるでしょうか。

信仰ならば可能性はありますが、

これが本質なのだと悟ったひとの言うのをきいて、これか?それか?あれか?

私のそれはあの人が言ったこれと一緒なのか?

 

愛し合っている二人の頭の中は別々だったりするし

何を考えているのか全く同じようにはわからないし、感じられません。

お母さんが病気の子供の代わりになってあげたいと切望してもなれない。

 

何度も書いているのですが、私がヨガが好きなのは

師匠から、

 

大きい人は大きいなりに、小さい人は小さいひとなりに、その人をもっとも活かす

 

ということを教えていただいたからです。

誰とも比べず、自分のそのままが大切。

 

本質のこと、きっと、自分はそうは思わないよこっち、とそれぞれに思われることでしょう。

私がこれなんだろうなと決めて方向を定めたのは、そこに至るまでにまずは素直に信じたり、いや待てと疑ったり、

七転八倒(苦笑)、くんずほぐれつ、ひとつのことと格闘しながらとにかく実践してみたから。

それは、やるかやらないか、だけでした。

シンプルですね。

ほっとします。

やってみたらわかること、やってみたらそうなっていたこと、でも見ることも触れることもできないこと。

犀の角のごとくただひとり歩め。

これの本当の本当の意味やいかに?

 

年末、いつも理性的な友達がくれた甘ぁいガトーショコラ。

チョコレートの甘い香りと味は、すべてを溶かす魔法の薬です。

 

 

 

 

今日という日

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今日という日は贈りもの。

一瞬も無駄にしてはならない。

雪を掴んで溶けるまで待っている。

空の色に注意する。

風を聴く。

南へ飛ぶ鳥を見る。

風に冬の匂いを嗅ぐ。

苦しみとはより鋭く、より明晰な世界への自己変革だ。

そこでは愛のある親切が始まる。

 

今日という日は贈りもの
ナンシー・ウッド 著 井上篤夫 訳  より

 

 

ささいなことにこそ

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けれども見すごさないでほしいのは、小さな心のざわつきは、自分の心のなかを吟味するようにという合図だ、という点です。
ちょっとした優越感を抱いたり、自分こそが正しいと思ってみたり、人をそっと心のなかで批判したり、
少しムッとしたりしたとき、そうした気持ちにこそ注意を払うべきなのです。
大きな課題は、落ち着くべきところに落ち着くでしょう。これを見分けることが肝要です。

どうか忘れないでください。人生のあらゆる瞬間が神聖なのです。
生き生きとしていてください。あらゆることに注意を払いましょう。
眠り込むのはもうやめてください。
あなたは目覚めた意識を持つだけの価値があります。
ですからどうか、自分の人生を充分に深く味わって生きて下さい。

 

バーソロミューより

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無のゆらぎ

無限なるもの(空)を貫いて、遊び(ダンス)をする陽子(ようし)

ゆらぎ

プロトマニア

 

どうしても苦手なものがあって何度も来るパターン。

どうにかしようと思わずにただ見ている、という智慧を得て、

ただそうしているつもりになっていたけど、またやって来きちゃう。

そしてやはり苦手のままの感覚。

 

どうにかしようとせずに放って置くとは、見ぬふりをする、とは違う。

静かで穏やかに居たいなら、

LOVE & HATE の二極から第三の方向へ。

でもきちんと根を見切らずに避けて逃げていたら、切っても切っても枝葉は伸びてしまう。

いやだなと思いながら、よく見るといやだの反対で、憧れがある。

それを認めたくなかったのだ。

だから素直になって、それを認めてみました。

どちらでもなく、どちらでもかまわない、ところに静寂があって、

そこに戻るには、まず素直になること。

素直になると、ホッとします。

何も求めないほんのわずかな隙間は、静かです。

 

 

ゲーム

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いま、独りゲーム中。

子どもの頃、友達と『〜ごっこ遊び』をした時のあの感じで。

前提を設定して、そのメガネで全部を見るゲーム。

忘れてまともな社会人の目になったら、減点。

でも、競う相手がいないから減点は、なし。

ばかばかしいけどこどもっぽいけど、けっこう楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

何も求めない

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もうすぐ今年も終わりですね。

街のクリスマスイルミネーションがあちこちで華やか。

人間はなんとキラキラの好きなことよ!

 

私の今年はいろいろなことがありました。

節分の日には隣の有名スターの家が火事になり、もらい火をしました。

それから初夏まで工事やらなんやら忙しかったけれど、

真っ黒焦げの隣家の焼け跡にはいつからか鳥たちがたくさん集まるようになって、

まるで鳥のサンクチュアリのようでした。

皆さんにはどんなドラマがあったでしょうか?

人生というドラマの中では、感情的になってたいせつなひとを傷つけてしまったこともあるし、

許せない!と思うことも、許されないだろう…と思うことも抱えています。

そんな時、クリスマスの頃に聴いた話を思い出すのです。

それは本当の赦しとは?というおはなし。

ここでそれを私が書くのはものすごーく難しいので書けませんが、

あれから数年。

誰もが精一杯やっているのだ、自分もやはり精一杯やっている、それだけ、と思います。

 

空とは単に想念と欲望の不在にすぎない。肩に重荷をかついでいれば、安らぐことはできない。例えば百キロの重量をかつぎながら、それから逃れたいと願っているなら、それが重荷だ。それを降ろしたからといって、あなたは何かを得られるわけではない。以前にはなかった新たな状態を達成したわけでもない。ただあなたを苦しめていたものを捨て去って、重荷を背負う前の本来の状態に戻っただけなのだ。
この思考過程、この重荷とは、私たちがいつも抱いている欲望のことだ。私はあなたにこの厄介な重荷をどうやって降ろすかを指し示している。「考えているのは誰か?」と尋ねることは思考過程を止め、あなたは本来の自己、自然な状態、空なる純粋な源に戻る。これがあなたの本性だ。あなたはいつも「それ」なのだ。そこに心は入り込まない。時間も、死も、恐れも入りこまない。これが自己本来の永遠の本性だ。そこにとどまりさえすれば、恐れは消え去る。そこから一歩外に出れば、このサンサーラ、世界という現れに足を踏み入れることになる。そして絶え間ない災難にまきこまれるのだ。

The Fire of Freedom  Sri H.W.L. Poonja より