手のはなし その2

donguri2

手の話の続き。

そういえば私はひとの手を何気なく、よく見て来たなあと思い出しました。

私の幼なじみは小学生の頃から優秀でした。私は、その左利きで鉛筆を持って字を書いている手をよく見ていた。

いま、建築家になった彼女がイメージをさらさらっとスケッチしてくれる手を、やっぱり見つめてしまう。

絵を習っていた時には、先生が私の絵を直してくれるクレヨンを持つ手をじっと見ていました。

おじいさん先生の細い指に挟まれたクレヨンで、まるで魔法みたいに絵が変わって行くのが面白くて仕方なかった。

仕事の兄貴分の画商さんの手は、日焼けしてがっちりしているけれどその手先の器用さや手さばきの美しさにはいつもほれぼれしてしまう。

仕事であちこち飛び回り連日徹夜の忙しさの中、飛行機の窓から見た雲の上の夢のように美しい瞬間を撮る友達の手。

小柄なからだで重い重い買い物袋を両手に提げて、お弁当を作ったり洗濯したり、自分の事より家族のために夢中で生きてきた女性の手。

 

私は、ヨガの恩師、龍村修先生や加藤眞智子先生から簡単なマッサージの仕方を学びました。

父の病室で、縁ある年上の人の病室で、パーキンソン病にかかってしまったおじの家で、

そして身近な人たちが疲弊している時、緊張している時、悲しんでいる時、

そのささやかな知識を使って実行してみました。

何かを伝えたかった訳ではなく、思わずそれしかできなかったというだけだけれど、

この手が伝えたことがおそらくあります。

技術でなく、想いだけでもなくて、ただそっと手を握ることで伝わる何かがありました。

亡き相棒犬ハリーもきっと受け取ってくれたことでしょう。

だから、私は今もヨガクラスで手のマッサージを皆さんにお伝えしています。

 

皮膚感覚の研究をしていらっしゃる傳田光洋さんを、いつかプロトマニアにお迎えできたらいいなと模索中です。

そして、今週は青空禅フォーラムとサトルアロマセラピーワークショップです。

まだまだご参加大歓迎ですよ〜!

 

 

広告