ちょっと気の利いたダジャレをいうひと、みたいに。

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陶を使った造形作家、保科晶子さんがフランスに渡って5年。

夏休みで帰国した保科さんにお会いしました。

 

保科さんの最近の作品は、現実にここにある 「 物 」 を粘土で包んで覆って焼く。

粘土は時間と共に乾燥したり、水分が移ったりして、中にある物の性質との相互作用で思わぬ様相を見せる。

例えば、上のカタログの写真。

赤い洋服は、保科さんがある人とデートをする時に初めて着て行ったワンピース。

お洒落をしてドキドキ出かけたデートなのに、

その人との関係は、なんとたった一度のそのデートで終わってしまった。

そのワンピースと共にその時の感情や想いを粘土で固める。  焼く。

その想いと共にワンピースは燃えてなくなり、後にはカタチだけが残る。

 

人間は何かを残そうとします。

それは、子孫だったり、業績だったり、生きた証しだったりします。

記憶したことは、いずれ忘れていく。 記憶することと忘れることは切り離せない密接な関係。

憶えておくための作業が忘れることに繋がったり、忘れるための行為がカタチに残ったり。

 

生きものは記憶と忘却と適応を繰り返して変化し続けます。

今、当然 で 現実 で 疑いもしないモノコトはただの 記憶 であって、

10秒後にそれは消滅しているかもしれません。

 

大昔から絵を描いたり、彫刻を作ったり、建物を作って、

人は何を残そうとして来たのでしょうね。

…  お金や社会的地位は生きるために必要とされ追及されますが、

教育とか教養というのは、泥棒に盗まれず、詐欺にもあわず、肉体の最期のときまで楽しめる。

何を選ぶかはそれぞれで、誰もが精いっぱいやっているのだと思います。

サラリーマンの心の病気が増えているとネットニュースに出ていましたが、

あまり一直線で固まらないように、くねくねと道草もくえたらいいですね。

美術はそういう時に、なんだこりゃ??? や あれまぁビックリ!!!  と私たちを揺さぶってくれるのです。

青空禅フォーラムの伊東充隆先生のお話も、

これからの宋海君先生の気功や井田知秋先生のサトルアロマセラピーもそうです。

そんなことが今、やはり必要なのじゃないかなぁ。

保科さんに言わせると

 

ちょっと気の利いたダジャレを言うひと

 

みたいに。

ふふっと笑えたり、視野がふわっと広がるような何かに触れる時間や出会いがありますように。

 

 

 

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