smile

watercolor

たまに見かけるおばあさんがいます。

日傘を差してお出かけの時に会うのですが、

いつでも笑顔です。

誰もいないのに口元がいつも笑っているのです。

その笑顔を見ると、自分がコワイ顔をしていないか、眉間にシワを寄せてないかと慌ててしまう。

見知らぬひとの笑顔で自分のこわばりが解けます。

笑顔って本当にすてき。

 

悪いのはわかってますけれど

stop

今日はちょっと寅さんみたいな気分で、

世知辛い世の中だねぇ

と思いました。

 

私の家に用事があって来た介護サービスの会社の車が、

我が家のガレージの真ん前で、短時間の間に駐車禁止のシールを貼られてしまったのです。

もちろん、公道に駐車してはいけないのですよ。

でも、緑溢れる住宅地の中のゆったりした道路、車通りが殆どない道、車のすれ違いは悠々とできる道幅、

おそらく誰の迷惑にもならない状況、その環境で駐車禁止を取り締まる、

しかも介護会社の車と明らかにわかる車を。

悪いのはわかってますけれど、

もう少し、ゆとりがあったらいいのに。

 

小さな権限・権力を握ってしまった取り締まりのミドリムシさんたちは、

1cmはみ出てもここは公道はだから、これは正当だからと正義をかざして取り締まるのでしょうか。

こんな小さな権力が、人間をこんなにちっぽけにしてしまうのでしょうか。

もう少し、自分のアタマとハートで感じる判断をすればいいのに。

 

プロトマニアは都会の真ん中でビルの前は駐車禁止ですが、

車を止めて作業をしている時に電話番号を書いて車に入れておいたら、

おまわりさんから「 作業そろそろ終わりましたか〜 」と電話があって、やんわり移動を促してくれました。

のんびりリラックスした緑いっぱいの環境の中では、なんだかチグハグな感じの出来事で、ため息が出てしまいました。

こういうことは、いつの世にもあることだけれどね。

ゆとりとユーモアとトンチのサプリメント、処方してあげたいわ!!

 

祈り

flowerpic

変えられないものを受け入れる心の静けさと、

変えられるものを変える勇気。

それらを見分ける英知を与えてください。

(ラインホールド・ニーバーの祈り)

*写真(上)は、写真家の百瀬恒彦さん撮影、礼拝堂へ向かうマザー・テレサ

それでよいのだ

littlebaby08

先週、少し凹んでぽろっと弱音をはきました。(私にはお腹がすくのと寝不足がひっかかりやすい罠です)

「 ふと気づいたら、実はこれすべて妄想だったりしてね… (苦笑)」

とつぶやいたら、これまでずっと、隣の屋根から私を見ていてくれるトモダチが、

「 妄想だって別にいいじゃない! 正しいも間違ってるもないんだから好きなことすればいいじゃない、サロン・ド・ヨウコ! (爆笑)」

あはははは。

トモダチは、プロトマニア構想時から

「 名前は 〜ヨウコズルーム〜 が絶対いいよ 」

と真剣に主張し続けて、全力で抵抗する私を大いに笑わせてくれて来た、天然ユーモア搭載の有り難い存在です。

この世界の成り立ちを知りたいとか人間とは何か、は、なかなか分からない。もともと分からない。

分からないから誰もがあちこちからアプローチしている。

自分がどの道に出会うかは誰にもわからないし、お釈迦さまもイエス様も本物に会ってないから、先生もわからない。

こっちこっちなんて旗をふって言えないでしょう。

ここから探究します、と思っても、誰にもその先はわからない、いわゆる、一寸先は闇??

今朝の新聞に小説家の西加奈子さんが、飼い猫に対して自分が提供するシアワセは猫にとって幸せかどうかわからない、

だって猫はしゃべらない、猫のプロにだって、誰にだってわからない、

だから私は、とにかく自分が思う猫の幸せを全力で提供するしかない。間違っているかもしれないし、お門違いかもしれない。でも、とにかく信じたことを、愛を持って全力でやるしかないのだ。そして、それがもたらす結果に対して、自分で責任を取るしかないのだ。

と書いていました。

本当だなあ。

おそらく、誰もがそう、仕事をするにも、家庭を守るにも、恋愛をするにも、介護をするにも。

きっと、誰でもそれしかできないものね。

だから、それでよいのだ。

ひ と り 静かに座る午後の瞑想会おしまい

med

 

本日は、8月の静かに座る瞑想会、のはずだったんですが、

参加者は私しかいなくて(苦笑)、

土曜ヨガクラスの後、神保町まで歩き、おばを誘ってピザを食べて、本を買って、また九段に戻って、

そして「 ひとり静かに座る午後の瞑想会 」でした(笑)

去年の妄想からこんな風に始めた寺子屋、こんなことはこれからいくらでもあるさ。

ノープロブレム。

 

独りになることは大切と思います。

改めて考えると、私は比較的、仕事でも独りでいることが多かったですが、

今日は意図せずとても落ち着いて静かに過ごせて、リラックスできました。

振り回されなければ、ネットだってスマホだって良いと思います。

ただ、ヨガもそうですが、自分とプリミティブに向き合う時間を持つと、

徐々に中心がブレなくなるのではないかと思います。

 

今日の私のよかったことは、

Proton + Mania  のくせに、納得のための安心枠を作りそうになっていた自分に気がついたこと。

 

今日の九段下駅はやけに人が多く賑やかで、武道館でコンサートかなと思っていたら、

24時間テレビをやっていたから、らしいです。

 

 

ちょっと気の利いたダジャレをいうひと、みたいに。

pocchi1

陶を使った造形作家、保科晶子さんがフランスに渡って5年。

夏休みで帰国した保科さんにお会いしました。

 

保科さんの最近の作品は、現実にここにある 「 物 」 を粘土で包んで覆って焼く。

粘土は時間と共に乾燥したり、水分が移ったりして、中にある物の性質との相互作用で思わぬ様相を見せる。

例えば、上のカタログの写真。

赤い洋服は、保科さんがある人とデートをする時に初めて着て行ったワンピース。

お洒落をしてドキドキ出かけたデートなのに、

その人との関係は、なんとたった一度のそのデートで終わってしまった。

そのワンピースと共にその時の感情や想いを粘土で固める。  焼く。

その想いと共にワンピースは燃えてなくなり、後にはカタチだけが残る。

 

人間は何かを残そうとします。

それは、子孫だったり、業績だったり、生きた証しだったりします。

記憶したことは、いずれ忘れていく。 記憶することと忘れることは切り離せない密接な関係。

憶えておくための作業が忘れることに繋がったり、忘れるための行為がカタチに残ったり。

 

生きものは記憶と忘却と適応を繰り返して変化し続けます。

今、当然 で 現実 で 疑いもしないモノコトはただの 記憶 であって、

10秒後にそれは消滅しているかもしれません。

 

大昔から絵を描いたり、彫刻を作ったり、建物を作って、

人は何を残そうとして来たのでしょうね。

…  お金や社会的地位は生きるために必要とされ追及されますが、

教育とか教養というのは、泥棒に盗まれず、詐欺にもあわず、肉体の最期のときまで楽しめる。

何を選ぶかはそれぞれで、誰もが精いっぱいやっているのだと思います。

サラリーマンの心の病気が増えているとネットニュースに出ていましたが、

あまり一直線で固まらないように、くねくねと道草もくえたらいいですね。

美術はそういう時に、なんだこりゃ??? や あれまぁビックリ!!!  と私たちを揺さぶってくれるのです。

青空禅フォーラムの伊東充隆先生のお話も、

これからの宋海君先生の気功や井田知秋先生のサトルアロマセラピーもそうです。

そんなことが今、やはり必要なのじゃないかなぁ。

保科さんに言わせると

 

ちょっと気の利いたダジャレを言うひと

 

みたいに。

ふふっと笑えたり、視野がふわっと広がるような何かに触れる時間や出会いがありますように。

 

 

 

Intouchable, s?

kudannaka1

Intouchables   決して出会わないもの、触れ合わないもの。

または、 intouchable   非の打ちどころのない。

 

DVDでフランス映画の「 Les Intouchables(邦題:最強のふたり)」を観たのですが、

このタイトルのことばからイメージが広がった。

 

相容れない二極のもの( s をつけて複数形で intouchables )が、

非の打ちどころのない( 形容詞 intouchable )に、繋がっている。

 

あくまで私の頭の中での広がりですけれど、なるほどね。ふふふん。

 

ひとは、異質なものに出会うと身構えて恐れ排除しようとする。

または、あ、同じだ!と共通点を見つけ嬉しくなって勝手に安心する。

もしくは、全く正反対なものだから余計にどうしようもなく抗いがたく、気になり魅かれる。

二極を知れば知るほど、味わえば味わうほどに、

世界はあらゆるものが充ち満ちていてこんなにも豊かなのだ、

とわかる。

そこに「 怖れ 」がなければただそれを発見できる…、のにね。

 

現実が変わったり、現実に何かが動いたりすれば、納得しやすい。

圧倒的なスーパーパワーや超・能力は解りやすい。

一方、目に見えないものを信頼するのはある意味、とても難しい。

自分の感覚を頼りに進み、たったひとりでそれを発見する。

それは「わたし」にしかできないこと。

 

櫂をすてなさい

kurayamizaka

探究すべき何かがあるという概念を捨て去りなさい。

 

人の歩いた道に従ってはならない。自分自身の道を歩かなければならない。道なき道を行くのだ。

 

空の中に道はない。どこへ行こうとも、空があなたの後に従う。空があなたを導く。

空はあなたの横に、上に、下にある。空を離れてどこへ行こうというのか?   それ以外のどこに行くというのか?

 

ここからは、あなたの櫂を投げ捨てなさい。櫂を川の中に投げ捨てれば、安全な船旅となるだろう。

質問者: 私は櫂がとても気に入っているのです。

風があるではないか。風があなたの面倒を見るだろう。櫂を使うのはくたびれる。風にまかせなさい。

質問者: 櫂を捨てることを想像すると恐ろしくなります。

今がそのときだ。私が「櫂を捨てなさい」と言うこのときこそ、それをするべきときなのだ。

 

( The Fire of  Freedom    Satsang with Papaji )

 

 

多言多慮

転不相応

 

9月気功養生特別講座と宋海君先生のこと

water

気功は、健康法のひとつとして日本でも親しむ方が大勢います。

ごく一般的には、気功の達人がぐっと気を入れると、入れられた人が後ろに飛ぶ!

なんていう不思議なパワーとしての気功のイメージかもしれませんね。

 

9月にプロトマニアでレクチャーをお願いしている宋海君先生は、

国立北京中医薬大学日本校で気功を教える傍ら、気功による治療などもしていらしゃる先生です。

私は気功については、全くと言ってよいほど知識がありませんが、ご縁があって、以前、海君先生に治療をしていただいたことがありました。

治療を受けた後は何かぐずぐずと体内で滞っていたものが、すっと流れる感じがして身体が軽く楽になりました。

…という体験程度ですが、先日、プロトマニアのレクチャーに来て下さった方がたまたま中医や薬膳のお勉強をされていて、

その概要を伺ったところ、これはプロトマニアを通してぜひ皆さんにご紹介したいと直感しました。

後からわかったのですが、その方は偶然にも海君先生の生徒さんでした。

 

気功の「気」というのは、宇宙とすべての物質を構成する最も基本的な物質で、

全てのものはこの「気」から生まれ、全ての出来事は「気」の変化の結果であり、

「気」というのは哲学概念のひとつ。

という基本的な考え方を、海君先生から教えていただきました。

 

気功は身体の健康のみならず精神の健康も大切にし、その技術だけでなく生活や自然との調和を追求するもの。

身体を小宇宙とみなし、外側にある大宇宙との一致を目指す。

(これは三木成夫先生の本にも出てくる身体観です)

 

プロトマニアは、本質についておおいに学ぼう語ろうという寺子屋ですが、

いろいろな道筋からそれに触れて行くように、こんなご縁が自ずとできるのだなあと思いました。

面白いものです。

 

で、海君先生ですが、実は武術の達人です。

私はかつてカンフー映画にはまっていたことがあって、その頃に、地味ながら動作があまりにも美しくてファンになってしまった、

リー・リンチェイという俳優さんがいました。

聴けば、海君先生はそのリー・リンチェイと同じ武術大会で競い合ったというではありませんか!!!

どれほどの達人か、それですぐ想像できました。

リー・リンチェイは今はハリウッド映画でも活躍する、ジェット・リーのことです。

そんな武術の達人であり治療家でありその道を極めて来た先生は、もちろん相当な過密スケジュールなわけですが、

そこはプロトマニアの神通力(ウソです)とスーパー強力ルートでアタック、今回の講義をご快諾いただきました。

内容は、私たちの生活に活かせる気功養生のお話や実技ですよ。

ぜひこの機会をお見逃しなく!

 

余計なことながら、

今回のプロトマニアでの特別講義では、

気で人を飛ばすのを見た〜い!  なんて言わないでくださいね〜(笑)