静かに座る午後

singing

今日はプロトマニア初めての、静かに座る午後の瞑想会でした。

 

白い壁のプロトマニアは午後の光がとても気持ちよいです。

はじめに少しヨガ的ストレッチをして、蜂の音の呼吸法、そして静かに座るという流れ。

最初の瞑想は音楽を流そうと思っていたのにそれをうっかりぽっかり忘れてしまうくらい(!)、

参加者の皆さんがすぅっと静かになっていらっしゃいました。

インターバルを置いて、全部で3回の瞑想。

いずれもとても穏やかで静かなひとときでした。

 

私はこのブログでリラックスのことや自分自身を見つめる時間のことやいろいろと書いていますが、

後から読むと、「それ、自分ができないからやりたいんでしょう?」とツッコミを入れたくなる時があります。(ちょくちょく)

プロトマニアのレクチャーを引き受けて下さっている伊東充隆先生が折に触れておっしゃるのですが、

 

ものごとは、逆説的です

 

例えば、ひとを癒してあげたい人は実は自分自身が癒されたい、とか、肩の力を抜いてと言いながら本人が一番カチカチ、とか、

結婚したい人ほどできないとか(いえできないのではなく、結婚しないか???)… 最後のこれはちょっと違いますか?

とまぁそんな風に、皮肉なことに求めていることほど遠ざかったりするわけです。

思い当たる節、ありませんか?

 

実はワタクシ、ヨガ歴はこれでけっこう長いのですが、まじめに取り組んだのはインストラクターコースに行き始めてからです。

その頃「瞑想って何ですか?」と先生にまじめに質問したくらいで、瞑想とは何か、どうするものなのかも全く知りませんでした。

今だってわかっているわけではないですが自分の意識を内側に向けると、

まずは自分が、いかにどうでもよいことを考え続けているかやお猿のように思考やイメージが落ち着きなく飛び回ることに気づき、

たまに静かで気持ちよい状態が来たりしながら、瞑想すると意外なことにお腹がとっても空くということを知ったりします。

人間とは何か、本質とは何かを知るためにはまず自分自身をよく見ること、そのためにも瞑想は大切だと思います。

それでも告白すれば、私は瞑想があまり得意ではありません。(これまた逆説的か?!)

ひとよりも思考が多いし、頭の中のお猿はかなり活発なのでなかなか手強いのです。

 

ところが今日のように皆さんと一緒に静かに座る時間を持つと、これは一人で座るのとは全く違う瞑想ができます。

周りのひとに助けられ、相互作用でなめらかに時間が過ぎていくようです。

凸凹していたり、ガチャガチャ荒れていた波が凪いで、穏やかになる感覚を味わいました。

みなさん、ありがとうございました!

 

静かに座る午後の瞑想会をやりましょうとお誘いするのは、

実は何よりも自分がサポートを必要としているからかもしれませんね。

助けていただいたり、ちょっとお手伝いをしたり…

それはとってもチャーミングで一方通行でない「お互い様」な感じがします。

というわけで、来月も「静かに座る午後の瞑想会」いたします。

よろしかったら、ぜひご参加くださいね。