希望

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パンドラの箱の底に残っていたものは何だったっけ?

「希望」じゃなかった?

では私はあなたにそのパンドラの箱を贈りましょう。

 

 

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I’ll meet you there

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「そして父になる」という是枝裕和監督の映画が第66回カンヌ映画祭、

審査員賞を受賞しましたね。10月のロードショーが楽しみです。

是枝監督の作品は、監督自身がどう日々を生きて何をどう見たか、

という生活者としての目が作っていてそれが見る人の共感をよぶ、

とどこかで読んだことがあります。

若い頃は日常の繰り返しが嫌いで、一見変わったことやドラマティックなことばかりに目が行きましたが、

実はこの当たり前のような日々は当たり前ではなく、目に見えていることがすべてでもない。

変わっていることが良いことで個性、と持ち上げられて無理やり変人でいるよりも、

個々人が違うのは当たり前、変人も当たり前、だけど本当は別のメガネをかけて見ればどれも変わらないからこそ、

そのままですでにどれもこれも面白くドラマティックで主人公だと、私は思うようになりました。

ただ、それはどこかを目指したからこそ、そう思えたのかもしれません。

あそこは、実は、ここだったりしてね。

静かに座る午後の瞑想会

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静かに座る午後の瞑想会

プロトマニアのプチ瞑想会をおこないます。

この午後の瞑想会では「ただ目を閉じて座ってみる体験」を通して、

普段の仕事や生活や現実のあれこれからしばし離れ、

ひととき、自分ひとりのリラックスした静かな感覚を味わっていただくことが目的です。

むずかしい順番やきまり、スタイルはないので、初めての方にもピッタリの体験瞑想会だと思います。

そしてプロトマニアの空間は、すでに瞑想を日常に取り入れている方にも、

きっと心地よくゆったりした新たな感覚を体験していただけることと思います。

お気軽にご参加ください。

日時: 6月29日(土) 午後2時~4時頃まで

    のんびりと数回に分けて行います。

参加費: 1000円(ハーブティー付)

定員: 10名

予約: メールでお申し込みください。

    yoyoa@mac.com

リラックスしてあぐらや正座がしやすい服装でお出かけください。

簡単なヨーガの呼吸法とストレッチを軽く行ってから、ただ静かに座ります。

自由意志

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「僕にはよくわからないんだ。だとすれば人間の自由意思というのは、

いったいどれほどの価値を持つのだろう?」

 

”色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年”

村上春樹

美しさを見つける

写真 (39)

 

物の価値は、見方の問題、それを受け取る人の側の心の動き方に重点があって、

物そのものの性質はどんなに小さな物からでも強い幸福感や満足感、

あるいはその美しさを読み取ることができる

加藤周一

伝える

 

 

scene

 

ある大手広告代理店の方が若い人たちに向けてお話される会に参加しました。

今の若者は、将来設計のためにやることがいっぱい、求められることもいっぱいのようですね。

人としていかに生きるか、自分とは何か、人間とは何か?ということを考える時間やゆとりは持ちにくい。

その方は、マスコミで取り上げられるような広告業界の大スターではない普通の会社員の自分が、

どのようにキャリアを作って来たかというお話をされました。

大学の恩師との出会いから始まるそのものがたり全体を通して、

将来への備え、今よりも先に有利なあれこれに心奪われざるを得ないこの時代ではあるけれど、

若い人たちには今だからこそできることを、

それが自分にとっての原点になるような何かを見つけて、と伝えていらっしゃいました。

お話は情熱と若い人へのあたたかなまなざしがあって素晴らしかった。

人柄が伝わってくる講演でした。

私が聴いていて印象的だったことは、

伝わる伝え方でコミュニケーションする

という言葉でした。

沢山の情報を羅列して本当に相手に言いたいことが伝わるかというと、そうではありません。

たくさんのことばを使って説明したり、巧く話すことすることよりも、

伝わるように伝えるために必要なことは何でしょう。

ホスピタリティ。

それを、大人としてふるまうこと、と彼は説明を加えていました。

これは私の解釈で、ホスピタリティとは「想像力」であり「配慮」、

そして「思いやり」だと思います。

当たり前のようですが、それがなければコミュニケーションは一方的な「伝える」になってしまう。

では自分ができているのか? そう言われるとハッとします。

その場にふさわしい行動ができるのが成熟、大人のふるまい。

空気を読む、とよく言いますがそれも然り。

目に見えず耳に届かない情報を得るためには感性が必要です。

表面に浮かんでいる言葉や見えるカタチをあてにし過ぎず、惑わされず、

その源にあるものを見逃さない、柔らかくて開かれた感性を持っていたいものですね。

さて、あれこれ書いている私は、伝わるように伝えられたでしょうか?…

遊び人哲学者

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昨夜、お友達の会社の社長さんと食事をご一緒したときに、

「誰でも必ず死ぬんだからな、この自分がどう楽しく生きるかだよ。

ここから始まる自分をまず認めて肯定してやらないとな。

最初は自分のシアワセから、そして家族を作ってなんだかんだ引き受けて続けて来ると、

自分以外のやつらがシアワセそうにしていることが自分のシアワセになるんだな。」

と酔っぱらっておっしゃいました。

70代にして遊び人の社長さん。

なんだか無茶苦茶な方なんですが、とても魅力的です。

実践哲学。

この社長がおっしゃる「自分」は外に向けてドアを開いています。

自分がこの世界をどう見て、どう生きるか、それがもたらすものを引き受けています。

自己中心、手前勝手とは違いますね。

ややこしい自分を持て余して面倒になることもありますし、

何が何だか分からなくなった時には、

誰かが決めて命令してくれたらどんなに楽かと思うことだってあるかもしれません。

そんな時、誰かの考えや存在が救世主のように思えることがあるかもしれません。

でもそこで思考停止してしまってはいけない。

楽しそうに酔っぱらう遊び人社長さん。

自分の感覚を頼りにただ独り歩んで来たひとは一直線じゃない。

凸凹もたくさんあって多面体です。

裏を見せ表を見せて散る紅葉。

そのとき

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ひとの帰りを迎える時、見送る時、

私は自分自身の心中が曇り空や竜巻であろうと、

できるだけその時は気持ち良く迎えよう、気持ちよく送り出そう、

とこころがけています。

それはある方から伺ったお話。

その方にはお子さんがいらっしゃらないのですが、研究職のご主人ととても仲の良いご夫婦でした。

ある朝、お二人はちょっとしたことで口喧嘩をしてしまって、

ご主人がいつものようにお出かけになる時に、彼女は不機嫌な顔のままご主人を送り出したそうです。

そんなことは誰にでもいつでもありそうなことですが、そのままそのご主人がお家に帰ることはありませんでした。

外出先で突然、亡くなってしまったのです。

まるで小説かなにかのようですが、本当のお話です。

そのときは二度とない、ということはわかっているつもりでも忘れてしまうのです。

だから、外から帰って来たひと、これから出かける人、

そのひとには笑顔で。

…なるべくね、と自分自身に微笑みます。

そのままありのまま

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薔薇の花は、開いたら開いたでまた美しいものです。

ヨガで学んでいるのは、

大きい人は大きいなりに、小さい人は小さいなりでよろしい。

ひとと比べずに自分と向き合う。

そして突然やってくることに慌てず騒がず対応する。

生きているということは予定通りではないことばかりですから。

ばらの花のように、歳を重ねるにつれそうありたいものです。

世界観

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私たちはそれぞれの見方でこの世界を見ています。

普段の生活ではそれほどハッキリ意識しているわけではないので、

人との会話を重ねるうちにふと、

世界をどういう枠組みて見ているかは、それぞれに違うのだと思い至る。

ひとつの聞き慣れた言葉も、その世界観によって違う意味だったりします。

そのまま話していると何かがズレて気持ち悪い。

たとえば「宇宙」という言葉。

昨日参加した「科学と仏教の接点」という講演会の中で佐々木閑先生がおっしゃっていました。

「仏教で宇宙と言ったら、それは外側ではなく内側のこと」

たとえば「Love and Compassion」。

以前聴いたダライ・ラマのお話の中でこの言葉が出てきましたが、

このシンプルなことばの意味を私を含めひとりひとりどうとらえたでしょうか。

ひとつのテーマについて話し合いを始める時やより深い理解に大切なのは、

ことばの定義をハッキリさせておくことかもしれませんね。

と感じる一方で、

人間は国籍や年齢や体験を越えて、何かを瞬時に共感共有することができる、

そこに何かホッとする時があります。